口紅

「あ…」

思わず目が留まった。
ドラッグストアの化粧品コーナー。
秋の新色が並ぶそこに、わたしのお気に入りのシリーズが出ていた。
おこづかいで買える値段なのも良かったけれど、特に甘い香りが特徴的な口紅は一番のお気に入り。
自然と手が動いて、口紅の色を確認していた。
口紅なんて滅多に使うことはないけれど、でも、だからこそ、使う時には自分の好きなものを、と思う。

『かわいい…』

数本ある新色の中でもやわらかな色合いをした1本に惹かれた。
買ってしまおうかな、とサンプルではなく商品をとり、財布をかばんから出しかけて…

『あ…』

わたしは珍しく躊躇した。
口紅を買うことに躊躇するなんて、おこづかいがピンチな時くらいなものだ。
でも、この時、頭をよぎったのはそんなことではなくて…

『ヒル魔君は……嫌いよね。やっぱり』

ほんのり香る甘い香り。
最近では聞かなくなったけれど、前は「甘ったるい匂いだな」とよくしかめっ面をしていたっけ。
まあ、そんなのこれまで無視してきたけれど。
今、ちょっとだけ、そのことが気になった。

『………』

とりあえず、買うのは今度にしようかな、と思う。
思って、棚に口紅を返そうとしたところで、声が響いた。

「買わねえのか?」
「…っ」

思いがけない声に、反射的にびくっと腕が震えた。

「ヒル魔君…」

別に、いっしょにお店に入ってきたのだから、彼が店内にいることは知っていたけれど。
いつの間にこんな近くに来ていたのかしら。
…というより、いつから見てたのかしら?

「買えばいいじゃねえか。ソレ」

淡々と彼は言う。
それはとても意外なセリフだったから、わたしは思わず彼の顔を見ていた。

「なんだ?」
「…だって、甘いの、好きじゃないでしょ?」

今まで買ったぶんを捨てる気はさらさらなかったけれど。
新しく増やすのはひかえたほうがいいかしら、なんて思ったのよね。
でも、彼はそんなわたしの言い分をバカバカしいとばかりに肩をすくめ、いつものように意地の悪い笑みを浮かべて言った。

「もう慣れた」

短くて。
でもそれは、わたしが思わず赤面するのにじゅうぶんな一言だった。


END


一応、恋人同士のひるまも〜。ほんのり甘め。                   
... 2005/09/26

掲示板より転載 (2006/06)