[鋼の心]

 すらりと伸びた五本の指。
 それを見つめ、親指から順に数を数えるように折り曲げてゆく。
 それは脳の判断と呼応して、とても滑らかに、とても自然な動作で繰り返される。
 見た目も、動きも人間として特に違和感は見あたらない。
 人間の肉体構造を模して作られた義体は実に精巧であった。
 違いがあるとすれば、生身ではありえない強度と重量くらいだろうか。
 しかし、それを利点として利用し、特に職務上、その恩恵に預かることになって久しい草薙素子にとって自らの体が生身か作り物かというコトにおいて受ける精神的な葛藤などからも卒業して既に久しかった。
 自分には義体しかないのだから、それ以上を望むのは愚か。
 これほどまでに優れたボディならば、脆弱なだけの肉体よりも良い。
 そうと割り切って生きるようになるだけの時間が彼女の上には流れていた。
 幼い頃、同じようにスクールに通う友達と自分とで大きな差のある体重に、密かに胸が痛んだのも遠い昔だ。
 今となっては当たり前のコト。
 なのに、時折、感傷めいた感情が心を過ぎるのは…過去の経験による記憶の作用だろうかと思う。
 素子は、手にした電子カルテの内容に目を通しながらかすかに苦笑した。
 義体のメディカルチェックは定期的に行っているが、年に一度、公安九課にも健康診断の時期がやってくる。それは多分に、九課には面倒くさがりで己の健康状態に過信気味の人間がいるせいだろうと思われた。
 二ヶ月前にメンテを受けた時のデータと変わらぬそれに「無意味よね」と呟く。
 身長も体重も、性能も、義体の場合、とりたてて希望しないかぎり変化することはない。
 彼女にとってそれは日々、自己内部で理解しているコトを仰々しく再確認させられるだけの行為にすぎなかった。
 そう、本来あるべき人の姿とはかけ離れているのだと改めて思い知る。
 そこに性別を問うのは無意味に近く、唯一、人として残されたゴーストは認識するにはひどく儚いものでしかない。
 強い器と、それに内包される柔な存在との落差の不思議さに素子は自嘲した。
 しかし、ゴーストそのものは別にして、それに基づく己の精神構造が 『柔だ』などとは仲間の誰もが否定しただろうし、彼女自身もまたそうと信じていたし、信じていたかった。
 器に釣り合うように、望むのはしなやかで丈夫な鋼のような心。
 そうして手に入れたのは…

「おーい、少佐!」

 メディカルセンターの廊下の向こうから響いてきた声に、彼女は電子カルテから顔を上げた。医療施設特有の静寂を好む空間に不似合いな雰囲気を纏った大柄の男が、大きく手を振っているのが見えた。
「…バトー?」
「ちょうど良かったぜ。もう終わったんだろ?」
 九課で義務づけられた健康診断とはいえ、メンバーが一度に受けて職場が空になるのを防ぐため、日替わりで予定は組まれていた。
 バトーは明日だったはず…と顔を引き締め、大股で急ぐように近づいてくる相手に「事件か?」と問うと「いいや」という返事。確かに電脳での通信記録にそのようなものはなかったが、ならばどうしてと疑問が浮かぶ。
 怪訝に眉を顰めた素子の前で、バトーは彼女が持っていた電子カルテをごく当たり前のように手から引き抜き、内容を流し見て、なぜかホッとしたように息をついた。
 そんな様子に謎はますます深まった。
「おい、バトー…?」
「いやあ、よかったよかった!」
 いきなり大きな声を上げたかと思うと、驚きで一瞬の隙が生じた素子をバトーは軽々と両手で抱き上げた。腰の辺りに添えられた手が彼女の体を簡単に天井高く持ち上げる。
 それをやった張本人はといえば、嬉しそうに笑いながら、
「おー、軽い軽い」
「バトーっ!?」
 まるで幼い子供が高い高いと遊んでもらっているかのように持ち上げられて、素子は今にも顔が赤くなりそうなのを自覚した。周囲の視線がイタイ。
 なにがなにやら訳がわからないが、
「いっ…いいかげんにしろっ!!」
 この場合、こぶしでの鉄拳制裁は妥当だと彼女は冷静に(?)判断した。



「あー、いてえ…」
「自業自得だ」
「顔が曲がるとこだぜ」
「多少曲がったところで、おまえなら支障ないだろう」
「どーいう意味だ。そりゃ」
 ひでえ…とぶつぶつ文句をたれながら、横を歩く男のふてくされた様子に素子はかすかに口元を緩めた。
 いきなり意味不明の行動に出たバトーはと言えば、今回、健康診断のついでに素子が大幅に義体の改良をするらしい…というイシカワから出たデマに踊らされ、事の真偽を確かめるためにあんな事をしたのだという。
 しかも、それが『おまえになんかあった時、抱えられねえくらい重くなってたら困るじゃねえか』という理由からきているのだから、可笑しい。
『女一人も抱えられないってな、情けねえだろーが』
 その可笑しさに思わず笑ってしまった素子に、バトーは『笑うな』と不機嫌になったが彼女は構わなかった。
 たとえ自分を構成する大半が人工的に作られたものだとしても。
 この男の前では確かに『人間』で。
 なおかつ『女』であるということは………決して嫌な気分ではなかった。
「本当にバカだな…」
 本当に愚かだと思う。
 この男も、自分自身も。
 そして、その愚かさが…愛しく思えた。
 誰に向けてでもなく思わずこぼれた呟きに、眉をしかめたバトーが口を開く前に素子は素早く一歩前に出る。
「さっさと帰るぞ」
 肩で風を切るように前へ前へ、まっすぐ前を向いて。
 自分の内に輝くしなやかで丈夫な鋼のような心を感じながら。
「へいへい」
 不承不承と気のない返事を返す男は、それでもちゃんと遅れずについてくる。
 残念ながら後ろにいる彼が目にすることはなかったが、彼女の口元に浮かぶ笑みは実に晴れやかなものだった。

END





バトーさんは「男の義体にしたら…」と茶化して言ったりしているので、
本当は微妙にもうちょっと違う反応を見せてくれたんじゃないかと思うのですが、素朴路線で行ってもらいましたv
…ってか、イシカワ氏はかなり脅したものと思われます(笑
もし、素子さんの体重が増えてたら、きっと次の日、バトーさんも慌ててバージョンアップしたことでしょう。
あ、専門用語とか機械系の世界観は苦手なので、見苦しい点もあると思うだけどお許しを(^^;
久々の文章に四苦八苦しながら、でも、ほのぼの支え合っている二人が好きでついに書いてしまいました〜v
素子さんが素子さんでいられる要素はイロイロあると思うのですが、その一つはやっぱバトーさんだよね、と思う。

2004/5