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「ちょっと待ってくださいってば、少佐」 固い廊下を遠慮なくどんどん進んでゆく背中に俺は声をかけた。 緊急配備の指令に、仮眠室から叩き起こされたばかりの俺は上着の袖に手を通しながら、未だ眠気を訴える目をこすった。 寝癖でぼさつく頭はざっと指を通したところで、マシになった気はしない。 「急げ!トグサ」 「わかってますよ」 ああ、でもあと5分眠っていたかった…というのが本音。 ここのところ、事件続きで極めて睡眠不足気味だった。 しかし、それをいうなら俺の目の前を行く少佐だって同じ条件なわけで。 まあ、ほぼ生身の俺より完全義体化している彼女の方が睡眠不足による負担はかなり少ないはずだが、仕事上、そんなことで弱音を吐いてはいられない。 きびきびと無駄のない動きで廊下を進んでいく少佐の後を、俺は急ぎ足でついていく。 途中で同僚のバトーが加わったが、一度視線を合わせただけで少佐は別に立ち止まるでもなく、交わす言葉すらなかった。それでもバトーは特に気にするでもなく、ごくふつうに少佐のやや斜め後ろについた。 二人が並ぶ姿は見慣れて久しいが、いつもその差異に興味を引かれる。 彼らは共にほとんど全身義体化を済ませ、超人的な身体能力を手に入れていた。 とはいえ、もとから属する性別の違いが義体の形にも現れ、外見はまったくもって違っている。 特に女性である少佐の義体は、傍らにいる大柄な男に比べて格段に細くしなやかで、苛烈な戦闘に加わることもある職場上、不似合いにも感じられた。 歩く勢いで揺れる髪の間から覗く細い首。 指の爪先までも優美に整えられた手。 丸みを帯びたボディライン。 そのすべてが、極めて女性的で美しかった。 しかし、そうであることを許されるだけの実力を彼女は備えていた。 女性的と言ってもそれは容姿の造りにおいてであり、その身がまとう覇気や独特のカリスマ性はふつうの女性では持ち得ないものだ。 正直なところ俺にとって少佐は『女性』という範疇にはいない。 並み居る男どもより最強で、向かうところ敵ナシのその人は頼りになる『上官』と認識するにふさわしい。 だから、 「あれ、少佐…」 ふと気づいたそれになにげなく手を伸ばしたのだって、下心など微塵もない。 「襟んとこに何か、ついてますよ」 黒革のジャケットの襟元。 艶やかな光沢をさえぎるようにそこにあるのはホコリか小さなゴミだっただろう。 ごく自然な展開として、俺は何も考えずに手を出していた。 そう、その愚行へ至る理由はいくつかある。 寝起きで思考回路がボケていたこと。 また、その行為はふだんあまりにも当たり前のように目にしていたから… 俺は油断した。 『しまっ…!』 相手の首元に手をのばすという行為を行う「1秒」にも満たない時間。 奇妙な違和感に、『しまった!』という思いが一瞬、閃いた。 「…ッ!」 切れ長の鋭い眼光。 殺気の宿る視線に、息が、止まる。 赤く輝く瞳は紛れもなく『死』を予感させるものだった。 刹那の動きで細い腕が顔面に振り下ろされる! 「!」 生身ではありえない強度をほこるそれをまともに受けたらどうなるのか? 過去の走馬灯など流れなかった。 ただただその結果がリアルに脳裏に描き出された。 『ああ、無惨…』 コンマいくつで展開される思考の早さは電脳化のおかげだろうか。 しかしそんなことは有難くもないコト。 一瞬、生まれた意識の空白に。 『音』だけが響いた。 「おいおい…」 聞き慣れた低い声。 「あっぶねえなあ…」 やれやれと息をついて、あきれたように見下ろしてくる義眼を俺はぼんやりと見返す。 現状を理解するのにほんの少し時間がかかった。目の前で起こった事象は映像的には取り込めていたが、どうにも実感が伴わなかったのだ。 「バカか、おまえは」 「あ、ああ……すまない…だんな」 眼前に差し出された太い腕。 風を切る勢いで迫っていた細い腕が顔面にヒットする寸前、割り込んできたそれがなければ、きっと想像が現実になっていた。 「…助かった」 極度の緊張感から解放されて、思わず足元がふらつく。 生き物は視界に映らない背後の気配には敏感に反応するようできていた。 特に電脳化が進んだ昨今、首の後ろには外部接続のためのコネクターがあり、そこが致命的な弱点ともなりえるため、ただ触れられるだけだとしても嫌悪感を抱くのが一般的だ。 子供じゃあるまいし、そんなことはよくわかっていたというのにミスを犯した自分自身の愚かさが恨めしい。 「あの…すいませんでした。少佐」 「次からは…気をつけなさい」 ふいと顔をそむけて、踵を返す。 表情は見えなかったが、先ほどよりも彼女の覇気が少し弱まったように感じるのは…たぶん気のせいではないだろう。 『あー…』 思わず、くしゃりと前髪をつかんでしまう。 どんな理由や状況であろうと同僚や部下を殺しかけたら、俺だって嫌な気持ちになるのは確かだ。そんな気持ちを少佐だって感じなかったはずはない。 『しまった…』 そんな自己嫌悪のドツボにはまる俺の肩をでかい手がぽんと叩いた。 「だんな…」 「そう落ち込むなって」 自分自身を指差してニヤリと笑う大男はまるで『オレにまかせとけって』と言っているようだった。 そのまま足早に歩いて少佐の横に並んだヤツは、相手の無視にも構わず何事かを話しかけていた。が、ついに耐え切れなくなった様子で振り返った少佐の平手をまともに頬に受けて、やれやれと肩をすくめるに至った。 『おいおい…怒らせてどーすんだよ』 それにしても、平手をくらおうが殴られようが、ちっともめげないヤツのふてぶてしさには感心する。 そして。 ごく当たり前のように細い首元に伸ばされる手。 少佐は少し目を細めただけだった。 バトーは指でつまみあげた小さなゴミを取り上げ、『取れたぞ』というように二ッと笑って返す。それはごくごく自然体なやりとりだった。 いつもどおりに。 それは共に過ごした時間の差のせいだったかもしれないし、もっと何か別の要素もあったかもしれない。 とにかく、少佐とだんなとの間に強い信頼関係があるのは確かだった。 今だってそれを感じるし、これまでだって感じてきたことではあったけれど…。 『あーあ…』 俺じゃまだまだ、ってことだな。 時々、表れる『差』に思わずため息が出る。 少佐の隣に肩を並べられるだけの信頼を得られるのはまだ先らしい。 ま、そんな日が本当に来るかどうかもアヤシイもんだが、せめて一歩の距離を半歩に縮めるくらいはできるんじゃないかと思う。 『がんばるとしますか…』 俺も一家の大黒柱だもんな。 強く踏み出す一歩の足音が響くのを聞きながら、俺は二人の後を追いかけた。 * ところで、こいつは後日談だが…。 だんなの言い分によると、 「一度、顔つぶされて腹あ立ったから、調教したんだ。会ったばっかの頃のアイツはまるで野生動物みたいでなー」ってことらしい。 が、コイツをうっかり少佐に聞かれちまったから大変だ。 こっそり背後に忍び寄っていた少佐から見事にプロレス技を決められ、だんなの情けない声が響く。 「ギブギブ……おいっ、ぎぶあっぷ…」 「野生動物は人間の言葉なんてわからないのよ♪」 そんなことを言いながら、笑みを浮かべて相手を締め上げる少佐に俺はクルリと背を向けた。 邪魔するなんて、きっと野暮なことに違いないのだから。 …ということにしておこう、うん。 |
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| 「許容範囲」がテーマでした♪ 同僚、部下とくくれても、やっぱり個人差はあるハズだよね〜ということで。 ごく基本的なお話になってしまいましたが、こういうシチュエーションってありそうじゃないですか? おとぼけなトグサ氏…「走馬灯…」のあたりが自分で書いててちょっと笑ってしまいました。 2004/12 |