ガターン。
椅子がひっくり返った音に少女は驚いたように目を丸くした。
そして、椅子と一緒に床に倒れ込んだ大男に駆け寄る。
「えっと、えっと、大丈夫?ビクトールさん」
猛獣を木の枝でつつく子供のように、指先でビクトールの肩に触れる。
が、見事に気絶したビクトールはぴくりとも反応しなかった。
「し、死んじゃった…?」
思わず泣きそうになった少女の言葉を、そばにいた少年が笑い飛ばす。
「まさか。こいつがそう簡単にくたばるわけないだろ」
「ホントに?」
「ああ、ホント。たぶん君の作ってくれたマフィンがあんまりおいしかったから、それで幸せ気分のあまり気絶したってところだろ」
ほら、その証拠に全部残さず食べたじゃないか。
空っぽになったバスケットを指し示して自信たっぷりに言う。
「そうなの…?」
「そうそう。だからさ、ビクトールは幸せで気絶するくらいヘリオンさんからのお礼を喜んでたって、ビッキーはヘリオンさんにそう報告すればいい」
ビクトールならすぐ目が覚めるからさ。
気にすることないよ、とばかりにイルフはさっさとビッキーの手にバスケットを握らせると扉の方へと促した。
「ホントにホントに喜んでくれたんだよね?」
「それは120%大丈夫」
真面目な顔でそう応じたイルフに、ビッキーはようやく表情を崩した。
「よかったあ。そっか、あのマフィン、気絶するくらいおいしかったんだね」
心の底からうれしそうに笑う。
「うん。だから、それをヘリオンさんにも教えてあげなよ」
「そうだね、イルフ」
今度また一緒にお茶会しようね。
そんな言葉を残して慌ただしく去ってゆく後ろ姿が見えなくなってから、イルフは口元の笑みを消した。
そして、床に転がる巨体にため息。
「情けないヤツだなあ。ビッキーが帰るまで頑張れないなんて根性なさすぎ」
ビッキーの手料理が実のところ殺人的なシロモノだということは、本人以外にはよく知られたコト。
ヘリオンを含めてのお茶会に何度か誘われ、出席したことのあるイルフは身をもって理解していた。
「ちゃんと最後に笑って”おいしかった”って言えないなんて、まだまだ」
まあ、途中でやめずに全部食べきった点だけはほめてもいいかな…。
年は若くとも、外面だけは完璧な少年はそんなコトを思う。
「さて、こんな重いの一人じゃ運べないし、どうするかな」
戦闘では頼りになる大男も、こうなると場所をふさぐうえに運びづらい大荷物にほかならない。
本当に面倒ばかりかけて…。
そう呟きながらも、ビクトールを見下ろす彼の目はいつになくやさしい光を宿していた。
END |
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