「…ッ」
 つま先の痛みに彼女は眉をしかめた。
 それでも痛みをこらえて最後の一歩とばかりに部屋に飛び込み、扉を閉める。
 次に踏みだした足が感じたのは冷たい床の感触だった。
「やれやれ…」
 ヒールの高い靴を横目にほっと吐息をついた彼女は裸足のまま、くるりと回った。
 すると空気をはらんでドレスの裾がゆるやかに舞い上がる。
 真紅の。
 自分にとって一番馴染みのある色。
 そのはずなのに、色のとる形が違うだけでこれほど居心地の悪い思いをするから不思議だ。
「本当に…」
 まいった、な。
 彼女は苦笑しながら鏡台の前に立った。
 そして、胸元にかかる小さなガラス玉に指をのばす。
 それは確かにこの高価そうな衣装に比べるとかなり見劣りのするものだった。
 宝玉でさえない、ただのまがい物。
『だが、派手なドレスの似合う自分ではなく…』
 このガラス玉をつけるに相応しい自分こそが、彼女は好きだった。
 それは別に自分を卑下しているとか、決してそういうことではなくて。
 ”自分らしさ”を尊重した結果というだけのコト。
 そして…。
「そんなところで何をしている?ビクトール」
 鏡の中を見つめたまま、彼女は振り向かずに言葉を続ける。
 シンと静まりかえった薄暗い室内。
「のぞきとは趣味がよくない」
 呟きに返ったのは小さな舌打ち。
 棚の影からゆっくり姿を現したビクトールがわずかに唇の端を上げるのが見てとれた。
「相変わらずかわいげのない言い方しやがって」
 その言葉にバレリアは淡く微笑む。
『かわいげのない』
 それもまた愛着を覚える自分らしい姿の一つに違いなかった。
 昔の自分ならかなり傷ついたはずの言葉だが、今では褒め言葉にすら聞こえてしまうから不思議。
 そんな風にふてぶてしささえ感じる”心”は前より強くなったと言えるのかもしれない。
 しかしその一方で、可愛くなるような変革を試みない”今の自分への固執”は心の弱さなのかもしれないとも思うのだ。
『だから…』
 一つの言葉に対して心を揺らすことのできるテンガアールやビクトールをうらやましいと思う。
 そして、彼らの素直さに愛しさを覚えずにはいられない。
「ところでビクトール…」
「…ん?」 
「服を着替えたいんだが」
 背後から腰に回された腕を困ったように見下ろして彼女は言う。
 すると、ビクトールは彼女の髪に顔を埋めたまま、
「まだダメだ」
 そんなことを言った。
 バレリアは小さく吐息をついて、自分を抱きしめる相手に寄りかかりながら問う。
「じゃじゃ馬には愛想が尽きるんじゃなかったのか?」
『じゃじゃ馬がすぎると愛想つかされちまうぞ』
 それはビクトールがテンガアールに言った言葉。
 低い笑い声が彼女の肌に伝わる。
「なんだ、気にしてたのか?」
 その問いに対する”可愛げのある応え”を彼女は知っていた。しかし、
「いや」
 私がじゃじゃ馬だからと愛想を尽かすようなヤツはこちらから願い下げだ。
 バレリアは思いのままにそう返す。
 その即答にビクトールは一瞬、絶句したが、
「おまえはそういうヤツだよ」
 そう言って喉の奥でクッと笑った。
「でも、言っとくがな」
 おまえがじゃじゃ馬ってな可愛いモンかよ。
 どっちかってえと豹とか狼とかの猛獣だろーが。
「ちがいない」
 その妙に的を射たような表現にバレリアも自然と笑みをこぼす。
「褒めたんじゃねえんだぞ…」
 少し悔しそうに呟くビクトールに、彼女の笑みは深くなる。
「私には褒め言葉に聞こえたな」
「…褒めてねえだろ」
「そうだったかな?それよりビクトール…」
「ん?」
「そろそろ腕をといてくれないか?」
「嫌だ」
「だが、この状態では…」
 キスもできない。
 呟きに、ようやく束縛が緩む。
「オレみたいなむさくるしいヤツは女に捨てられるんじゃねえのか?」
 強い瞳で見つめてくる相手をじっと見返し、
「なんだ、気にしてたのか?」
 先ほどと同じ問いを今度は彼女が口にする。
 そして、聞くまでもない答えを沈黙で受けながら、彼女はビクトールの頬に手をのばした。
「安心しろ。あれは単なる一般論というヤツだ」
 確かにむさくるしいトコロもあるが、私はそういうおまえが好きだぞ。
「…なんっか、素直に喜べねえ」
 もうちょっとなんとかしろとばかりに唇を歪めるビクトールに、
「じゃあこういうのはどうだ」
 バレリアは顔を近づけながら、囁く。
「私が、おまえを拾う最後の女になってやる」
「言ってくれるぜ」
 苦笑とも失笑ともつかない笑み。
 そして、それ以上の言葉を遮るように。
「好きだ。ビクトール」
 彼女はビクトールの唇をふさぐ。
 ”自分”を認め、受け入れてくれる特別な存在と出会えた幸せを時々、奇跡のようだと思うほどに。
 そんな風に私が想っているコトをおまえは知っているだろうか?
「「好きだ」」
 重なる二つの囁きに。
 思わずこぼれた笑みが重なって。
 静かな空気にやさしい色が混じり、あたたかな想いが満ちる時。
 それはまさに至福の瞬間。


 END