ぱたんと扉が閉まる音。
 それはまるで死刑執行を告げる鐘の音のようだと彼は思った。
「それで?どういうコトか説明していただけますかしら?レパント」
 にっこりと、気品さえ感じられる微笑みはまさに切れ味のよい刃のよう。
 それに気圧されるように彼は口ごもる。
「説明といっても…」
 そんなコトしなくともすべてわかっているだろうに、と苦く思う。
 すると相手は彼の考えを見透かしたように軽く首を傾げてみせた。
「そうですわね」
 では言い方を変えますわ。
「コレをあなたはどこに隠していらしたのかしら?」
 ガサリ、と音を立てて机の上に置かれた大きな袋。その中にたくさんの紙片が詰め込まれていることは、拾い集めた彼自身よくわかっていた。
「アイリーン…」
 愛する妻の慈愛の微笑みが崩れることはない。
 しかし、その微笑みを見ていると真綿で首を絞められている気分になる。そして、そのやわらかな真綿の中に隠された鋼線が肌に食い込むのは手にした者の思惑次第にちがいなくて。
「すまんっ!頼むから返してくれ」
 机に手を付き、なりふりかまわず彼は頭を下げた。
 それから一分が過ぎ、二分が過ぎ…彼はどっと冷や汗が吹き出してきそうな気がして顔を引きつらせた。
「あらまあ、嫌ですわ。レパント」
 別に謝ってほしいわけではありませんのよ?
「わたくしはコレをどこに隠していたか聞いていますの」
 今度は本当に彼のこめかみを嫌な汗が滑り落ちた。
「ア、アイリーン…」
「このあいだ大掃除してから、あなたの様子がおかしいのはわかっていましたわ」
 でも、まだこんな物を隠していらしたなんて。
「ほかにも隠していらっしゃるんじゃありませんか?あなた」
「まさか!これだけだっ」
 反射的に顔を上げて言いきりはしたが、見つめ合う目を先にそらしたのは彼の方だった。
 それが自分の立場を悪くするとわかっていても、なんでも見通す冷たい瞳を見続けるには限界があった。
 しかし、続いたのは苦笑混じりのやさしい声だった。
「まあ、仕方ありませんわね」
 今回はそういうことにしておいてあげますわ、レパント。
 思ってもいなかった言葉に彼は驚いて、妻を見返す。
「ほ、本当か!?」
「本当ですわ」
 いつものやわらかな眼差しがそこにあるのを見て、彼は心底ホッとしたように肩を落とした。が。
「その代わり、これはわたくしが処分してもよろしいですわね?」
 有無を言わせぬ口調に、凍りつく。
「アイリーンっ!そ、それだけは勘弁してくれ!!」
 処分されてなるものかととっさに伸びた手をかわし、紙袋を背中に隠すアイリーン。
 キラリと光る目には凍える冷気の代わりに、今度は意地の悪い影が宿っていた。
「あら、まだちゃんと理解してくださってませんのね。レパント」
 日記をつけるのは個人の自由ですけれど。
 あなたがこれまでいったい何冊の日記帳を使われたと思ってらっしゃいます?
 そして、それがどれだけ居住スペースを無駄にしているか。
「この砦に移ると決めた時、館に残して他人の目にさらしたくないとおっしゃったのはあなたのはず」
「そ、それはそうだが…なにも処分するとは…」
 彼はその時のことを思い出し、言葉を詰まらせた。
 大きな焚き火で焼いて食べた焼き芋の味は一言では語り尽くせない。
「あれを全部ここに持ってこられるはずがありません」
 今も進行形で増えているというのに。
「それはわかっておるが、これらはわしの大事な思い出の品で…」
「大切なものは頭で覚えていればいいことですわ」
 覚えていられないモノは所詮その程度のものなのですから。
「アイリーン…」
 今にも折れそうに繊細な容姿で聖母のごときやさしさを持つ人の、こんな一面を誰が知るだろう。
 はかない一輪の花というより、雑草のごときたくましさ。まあ、そういうところに惚れたのは確かだが、無情な彼女の仕打ちには泣きたくなることもしばしばだ。
「それは本当に特別なのだ。それだけは返してくれ」
 声を振り絞るようにして告げ、もう一度頭を下げる。
「頼む」
 しばらくの沈黙の後、小さな苦笑が空気を震わせた。
「本当に仕方のない方ですわね」
 はい、お返しすればいいのでしょう?
「アイリーンっ!」
 うれしさに勢いよく顔を上げた彼の目の前に差し出されたのは−−−一枚の紙片だった。
 笑顔のままに彼の顔は凍りついた。
「そうそう簡単にお返しするわけにはいきませんわ」
 大事なものだとおっしゃるなら相応のコトはしていただかないと。
「まさか…一枚ずつか…?」
 にこにこと無邪気にすら見える笑みは肯定の証。
 いったい一冊の日記帳が何ページでできているのか考えようとして、彼は目眩を覚えた。
「それだけの価値がある物なのでしょう?レパント」
 そう問う彼女は記された内容を知っていて、そう言うのだろうか?
 彼は相手の瞳を真正面から見つめ返し、苦笑した。
「ああ、それだけの価値はあるな」
 初めてアイリーンと出会った日のことが綴られた日記帳。
 なにより大切にして隠し持っていたそれが大掃除のどさくさに紛れて行方不明になった時、どれほどショックを受けたことか。
 それを取り戻せるなら、多少の苦労などなんでもない。…たぶん。
「では最初のお願いなんですけど…。レパント」
 にっこり笑うその笑顔は罪深いほどに美しく、また無邪気で。
 その内に隠されたものを知ろうと惹かれずにはいられない自分自身を彼は苦く思う。
 それでも、幸せがそこにあるのは確かだ。
『これがわしにとっての幸せなのだから仕方あるまい』
 こっそり胸の内で呟き、彼は取り戻した紙片に目を落として微笑んだ。
 過去も、現在も、そして未来も幸せになるために必要なモノはたった一つだけ。
 それは未来永劫、変わらぬ事実にちがいない。


 END