| 『桜、桜…桜ってえと、アレだな』 一週間ほど前に、話題に上った春の象徴ともいえる樹木。 花が満開のその木の下で宴会したいもんだと言ったのは誰だったか。 そして、興味を持った少女がはた迷惑にもそれをどこかからテレポートで持ってきてしまったのだ。 かなり大きなその木を砦の庭に植えるためにどれほど苦労したことか。強制的に駆り出された一人としては嫌な思いも蘇る。 そういえば、それから後、帝国戦の準備に追われてすっかり忘れていたな、と思う。 だから、砦の建物を出てその木を見た瞬間、彼は思わず立ち止まってしまった。 最初に見た時は茶色の枝だけだったのに今や全体が淡い色彩に包まれていた。殺伐とした空気の中でそこだけ別世界のようだった。 「すげえな…」 思わず見惚れる彼の視界でちらりと濃い赤が揺れた。 ほんのわずかなそれで木の向こう側に捜し人がいると気づき、花への興味など一気に消し飛んでしまうのはまさに恋は盲目というヤツだろうか。 こんなところで…しかも人目を忍ぶように木の幹に隠れて何をやってるんだ? そんな考えがちらりと頭をかすめたが、それより顔を見たいという想いの方が勝った。 「バレリアっ」 名を呼び、駆け寄る。 すると木の向こうからゆっくりと体を起こすようにして姿を見せたのは、やはり赤の軍服を折り目正しく着込んだ女性であった。 しかし、彼女はその位置から動こうとはしなかった。 それ以上は微動だにせず、ただ近づいてゆくビクトールを静かな瞳で見つめていた。 「バレリア?」 淡い色彩の中で黙ったままたたずむバレリアの姿はいつにもまして綺麗に見えた。 幻想的で。 どこか一枚の絵のよう。 その美しさに目を奪われると同時に言いようのない不安にかられるのはなぜだろう。 ビクトールは勢い込んでバレリアへと近づき、その腕を掴んだ。 「ビクトール…?」 掴む力が強かったのか、少し驚いたように見返してきたバレリアにビクトールはなんとなくバツの悪さを感じて苦笑した。 「その、なんだ…あんましキレイなんで消えちまうかと思った」 ぼそぼそと呟くような言い訳は後になるほど声が小さくなる。 しかし、バレリアはそれをちゃんと聞き取ったかのようにやさしく笑った。 「ほら、花びらが落ちてくるだろ?」 「ん?ああ…」 それがどうしたんだ?というビクトールにバレリアは、 「この下にいるといつもと同じ景色が少し違って見えて面白い」 珍しく子供のような目をしてそう言う。 「舞い落ちてくる花びらのなかにいるおまえなんて初めて見た」 「あ…?」 少し考えて、ビクトールは納得したように頷く。 「そういや、桜の下にいるおめえを見るの、初めてだな」 「桜の下でこうして話をするのも初めてだろう?」 ふふっと笑いながらもバレリアはじっとビクトールを見つめていた。 それはまるでその瞳に映る光景を焼き付けているかのようで。 同じコトをしていたビクトールとしては言いようもなく胸の奥が熱くなるのを感じる。 「バレリア…」 しかし。 「もう…時間だな」 バレリアの唇がぽつりと呟いた言葉はつかの間の夢を終わらせるものだった。 「美しさにひかれてついうっかり長居しすぎてしまった」 だがそのおかげでおまえに会えたのだから、良しとしよう。 にっこりとうれしげに微笑んでそんなセリフまで言われながら、このままバレリアを行かせたくないと思うのは我が儘だろうか。 互いにどうしてもやらなければならないコトがあるとわかるから、平気のフリを装って我慢に我慢を重ねてみるが。 「なあ、バレリア」 こらえきれない想いを込めて声をかける。 「さっきの”初めて”っての、もう一つ増やさねえか?」 「もう一つ?」 不思議そうな顔をするバレリアの肩に手を置き、かすめるようなキスをする。 すると驚いたように彼女は口元を手で覆い、小さく目を見開いた。 「ビ、ビクトール!」 「桜の下でキスしたことなかったよな」 「そ、それはそうだが…こんなところで」 かすかに顔を赤くして、ちらりと建物の方をうかがう相手の様子にビクトールは悪戯心を刺激されてニヤリと笑う。 「誰も見てねえって」 それに今のはちょっとした練習だ。 「練習?」 「今度が本番」 いいだろ?と覗き込んでくる瞳を呆れたように見上げて、バレリアは仕方のないヤツだなというように笑みをこぼした。 目に映るのは心落ち着くやさしい色の花。 そして、そんな花以上に愛しさと心地よさを感じる相手。 ほんのわずかな休息の時をなにより大切に想いながら、二人はゆっくりと唇を重ねた。 END |