凍えた空気に吐く息が白く染まる。
「はあ」
 わざと大きく吐き出した息がまるで濃い霧のように薄暗い闇の中に溶けてゆくのを見ながら、彼女は静かに微笑んだ。
 背中が触れる石造りの壁は体中の熱を吸い取るかのように冷たい。
 そして、すぐそばにある窓は外の風にあおられてガタガタと鳴り、閉めだし損ねたすきま風が秘やかに忍び込む。
 どこからともなく集まってきた冷気は痛いくらい冷たい。
 そんな誰もいない廊下の端にひっそりとたたずみ、彼女は肩にかかる自分の髪に触れた。
『冷たい』
 やわらかな彩に反して、ひんやりと冷気を帯びた髪。
 かじかんだ指が、爪先が、痛かった。
 しかし、目を転じれば、あたたかな光とざわめきに包まれた部屋の扉がすぐ近くに見えていた。
 扉の継ぎ目から漏れる光。
 楽しげな笑い声に彼女は耳を澄ます。
 そこはほんのつい先程まで、彼女がいた場所。
 クリスマスのパーティ会場。
 派手に飾り付けられた食堂には、金銀のモールと色とりどりのガラス玉で飾られたクリスマスツリーがランプの明かりを受けてキラキラと輝いていた。
 しかし、一番輝き、その騒々しくも楽しい場所を作り出しているのはそこにいる仲間たちだったろう。
 好きなだけ料理を食べて。
 浴びるように酒を飲んで。
 歌って踊って騒いで。
 屈託なく笑う。
 心の底から楽しいと思える時間。
 とても尊く。
 大切で。
 夢のように幸せな時。
 その幸せに心地よく酔う。
 そして。
 ほんの少しだけ、怖くなる。
「ふう…」
 苦笑といっしょにこぼれたため息が真っ白になって広がる。
 そんな冷たい空気に頬の辺りが痛んだ。
『これは夢じゃない』
 頬をつねって夢と現実を区別するように。
 わざわざそんなことを確認してしまう自分自身に苦笑しながら、それでも彼女は満ち足りた気持ちで扉を見つめていた。
 と、その目の前で扉が開いた。
 明るい光を背に、大きな人影がそこから現れる。
「うおっ。寒ィ」
 彼は鋭く息を詰め、ぶるりと体を震わせた。そして、目ざとく窓際にいた彼女の姿を見つけて怪訝そうに眉を寄せる。
「んあ?おまえ、こんなとこでなにしてんだ。バレリア」
 ずいぶん酒を飲んだのだろう。酒気を帯びた顔は赤く、盛大に吐き出された息は雲のように真っ白だ。
 思いがけずも目の前に現れてくれた相手の姿を、彼女は不思議に思いながら見返した。
『なんだろうな?この感じは…』
 不快とかそういうものではなかった。
 ただ鮮烈な驚きにも似た感覚。
 しかし、そんな風に驚く理由が見当たらず、彼女は戸惑いを覚えた。
「少し…酔いを醒ましていたところだ」
「あんだけ飲んで騒いでりゃ、悪酔いもするだろーよ」
 皮肉げに口の端を上げた男の強い眼差しが、彼女の意識を貫く。
 夢のような場所から抜け出してきた男には『夢』という甘やかな響きを蹴散らすような存在感があった。
「おまえにだけは言われたくないセリフだな。ビクトール」
「相変わらずかわいげのねえ言い方しやがる」
「それはおまえも同じだろう?」
 いつものように意地悪く言い返し、そして、ふいにこみ上げてきたおかしさに彼女は思わず口元を緩めた。
 ああ、そうか、と思う。
『なんて現実感だろう!』
 言葉を交わすだけで。
 いや、その強い眼差しだけで、これが紛れもなく現実のコトだと思い知らせるほどの確かな存在感。
『それをこの男は持っているのだ』
 これは夢ではない、と。
 単純すぎるほど明快な真理を突き付けられた時のように、納得してしまう。
 そして。
『少し悔しいな』
 と、彼女は素直にそう思った。
「なに呑気に笑ってんだよ、おまえは。寒くねえのかよ」
 真っ白な息を吐きながら小刻みに震えている男を見上げ、彼女は肩をすくめてみせた。
「これくらいなんともない」
 やせ我慢だという自覚は多分にある。
 しかし、そこで悔しげな顔をするかと思っていた男は彼女の予想に反して、ニヤリと笑った。
「そりゃあたいしたもんだ」
 言い終えないうちに、大きな手が彼女の腕を捕らえていた。
「酒が足りねえってんで倉庫まで取りに行くとこだったんだ」 
 反論する間もない。
 問答無用に走り出した相手に半ば引きずられて彼女は走った。うかつに足を止めれば前のめりに床に激突しそうな勢いに、冷たい風が首元を吹きすぎた。
「ッ」
 凍える冷気と。
 服越しにも感じる温かな手の熱と。
 そして、このどうしようもない理不尽さへの怒り!
 つい先程まで、今というこの時を夢か現実かなど惑っていた自分が本当に滑稽に思えて。
 怒るより先に思わず笑い出した彼女に、真面目な顔つきで男が振り返った。
「おまえ、この寒さで脳ミソ砕けたんじゃねえだろーな」
 しかし、この時の彼女はいつになく寛大だった…かもしれない。
 男の言葉に素直に頷き返す。
「ああ、少しだけ壊れたかもしれないな。だから…」
 だから、と呟くと同時に彼女は足に力を込めて床を蹴っていた。
「こういう無茶もしたりする」
 場所は階段の最上段。
 もちろん男の腕をつかむのは忘れない。
 必死の形相で踊り場目指して跳び落ちる男の姿を横目に、彼女は笑った。
『これは夢じゃない』
 しかし、『夢』に近い現実のあるトコロ。
 そうと改めて教えてくれたのがコイツというのはちょっと気にくわないが。
「まあ、いいか」
 呟き、
「なにがいいんだッ」
 という苦情はあえて聞こえなかったことにして。
 彼女は次の着地点めざし、問答無用で階段を蹴った。
 

 END





**後書き
バレリアさん中心のシリアス風味。
時期はstep1の後を想定して書いてみました。こうした小さな積み重ねで少しずつ心奪われていくんだよ、絶対!とか思いながら(笑)。
最後の方、書き直すうちに二人の行動が入れ替わりました。バレリアさんが壊れ気味なのは私のせいかも〜とか思うのですが。
ハメを外した彼女ってのも好きです♪
さて、クリスマス企画用でありながら、あんまり関係ない仕上がりになってしまいました。それが残念で…っていうか、そのせいで題名にすごく悩みました。そして、問答無用の題名がついたわけです(苦笑)。