|
『子供というのは、なんて憎らしい存在なのだろうか』
とは、東方司令部勤務のマスタング大佐が常々思っているコトであった。
そして、その『原因』たちはここのところ休憩時間や昼休みを狙って彼の執務室を訪れる。それは今日も変わらず、もはや日課に近い頻度になりつつあった。
「だからさ、その時、アルってば後ろにひっくり返って…」
「もう、兄さんっ!それ以上言わなくてもいいだろっ」
そこが軍部の敷地内であるなどとは、到底思えない様子で言い合っているのは金の髪の少年と甲冑に覆われた巨体の二人組。
時折、大人びた雰囲気を見せながらも、ちゃんと年相応の部分を持ち合わせる彼らは本当に元気で。
賑やかで。
無邪気な悪魔で。
『うっとおしい!』
と正直なところ、思うのであるが、口にするのはさすがに憚られた。
これが勤務時間中ならまだしも、休憩時間の今、そんなことを言えば反感を買うどころか、邪険にされるのは自分自身だと彼もよくわかっていた。
比較的、子供には態度も甘い副官が、彼らを擁護するに決まっているのだ。
そうなれば、どちらの立場がより悪いかなど言うまでもない。
しかし…。
「それで?その後、どうしたの?二人とも」
いつも無表情かしかめっ面しか見せない副官が、いつになく和らいだ声で、楽しそうに笑っているというのは彼にとってイライラする現実だった。
子供というのは本当に得だ!と思わずにはいられない。
なぜなら、こんな公の、そして、人目のある場所で彼が副官からそんな笑顔を向けられた覚えは数えるほどしかなかった。
だからこそ、貴重な逸品で。
しかも、それが特に最近、ますます稀有さを増した気がするのは絶対、気のせいなどではない。それは理由がわかっていても納得したくない現状だった。
なのに子供というだけで易々とそれを得られるというのはどういうことかと思う。
目の前の兄弟たちを憎らしく思ったところで、当然のコト。
いったいどうしてくれようか、と思わず暗い思考が頭の中で画策を始めるくらいには彼の心は狭かった。
と、そこに制止をかける涼やかな声が響く。
「そろそろ休憩時間が終わりだわ。残念だけど、また今度、話の続きを聞かせてもらっていいかしら」
それが終了の合図。
思いのほか聞き分けの良い少年たちは、いつもそれですんなりと引き下がってくれる。それだけが彼にとって唯一の救いでもあった。
『また遊びに来い』
などとは口が裂けても言う気になれず、かといって、
「もう二度とくるな」
とも言えるはずがない。…が。
「へーんだ。また来るからな!大佐」
金髪の少年があっかんべーと舌を出して不敵に言い返し、その横で副官が眉をしかめているのを見ると、どうやら口が勝手に滑ったらしい。
仕方がないので苦笑しながら「好きにしろ」となげやりに返す。
「言われなくても好きにするさ。中尉、またくるよ」
「お邪魔しました、大佐。それじゃまた来ます、ホークアイ中尉」
いつの間にこれほどなつかれたんだ?と彼が思いたくなるほどには、彼と彼の副官であるホークアイ中尉に対する少年たちの態度は違った。
しかし、彼は別になにも少年たちになつかれたいと思っているわけではない。
ただこれ以上、中尉に近づくなと言いたいだけだった。
『さっさと帰れ』
という思いを視線に込めて、小さな背中と大きな背中を見送る。
しかし、少年はそんな彼の密かな願いに反発するように扉の前で「あっ」と振り返った。
「そうだ!中尉。聞きたいことがあったんだ」
「なにかしら?」
『まだ居る気かっ!』
舌打ちをこらえる彼の耳に、次の瞬間、信じられない言葉が飛び込んできた。
「ほら、公園近くの劇場でやってる舞台。どんなもんかと思って。評判よさそうだからアルと見に行こうかと思ってるんだ」
そのセリフに内心ギクリとする。
それはここでは非常にまずい話題で、彼が焦りを覚えながら話に割って入ろうとするより先に、
「そうね、けっこういいお話よ。舞台の作りもわかりやすかったし、役者の演技も上手かったわね。それに感動的なお話だったわ」
興味津々といった兄弟の前でホークアイ中尉の様子はいつもどおりの穏やかさで応えていた。
「じゃ、けっこうオススメの舞台なんですね」
「へー。んじゃ、行ってみるか。アル」
「ありがとう、中尉」と礼を言って少年たちがバタバタと部屋を出て行く。
それを見送るやいなや、ホークアイ中尉はいつもと同じように脇にどけてあった書類を取り上げ、口火を切った。
「さあ、休憩は終わりです。こちらの件ですが…」
毅然と顔を上げ、迷いのない目で書類を見つめる彼女は本当にいつも通りに完璧な副官の姿のままで…。
そんな彼女を彼は思わず、まじまじと見てしまう。
「大佐…」
さっさと仕事をしてください、と言いたげな視線につい言葉がこぼれた。
「泣くかと思った…」
「!」
瞬間、目を見張った中尉は一拍遅れて真っ赤になった顔のまま、
「泣くわけないでしょう」
と、きっぱり言い返した。
そう、彼女がたやすく人前で涙を流すような性格ではないことは彼も熟知していた。しかし…
「だが、題名だけでもダメだっただろう?」
中尉が『感動的な』と評した物語は実に効力絶大で。
数日前、一緒に観劇したその場ではなんとか大丈夫だったものの、家に着いたとたん彼女の涙が止まらなくなった事実もまた彼は知っていた。
以来、この劇の話題どころか題名が出るだけでも彼女の涙腺は緩む。
感情の起伏が低いのだろうと思われがちな中尉ではあるが、実に自制心が極めて高いだけなのだと知る者は少ない。
「人前で…しかも子供の前でなんて泣けません。あの子たちが心配します」
早くも赤みの薄れてきた顔で毅然と言いきる彼女に、彼は苦笑した。
「今回ばかりは君の自制心に感謝だな。笑顔は仕方がないところだが、君の涙まで見られた日には私の自制心がどうなることか自信がない」
再び中尉の顔に朱が差す。
「…心が狭いですよ、大佐」
「ああ、狭いんだ」
君のことが関わると特に。
そうと言わなくても視線だけで伝わったように中尉はふいと横を向いて、「それではまるで子供と同じですよ」と言う。
そんな強気な彼女に、彼は禁忌の言葉を囁いてみる。
それは先ほど話題に出たばかりの舞台の題名。
「!…大佐っ」
「君の自制心をためしてみたくなった」
笑って言いながら、うつむきかげんで横を向いたままの相手の手を引き、自分の方を向かせる。
しかし、うつむいたままの中尉はあくまでも彼を見ようとはしない。
「中尉…」
促すように声をかける。
「泣いているのか?」
そうであることを期待するような問い掛け。
すると負けず嫌いの中尉がムキになって顔を上げるだろうと見越しての試みだった。期待に違わず、彼女はキッと顔をあげて彼を睨み返した。
「泣いてなどいませんっ!」
そう、泣いてはいない。
「…」
ただ、今にもこぼれそうな涙で瞳が震えるように見えるだけ、だ。
そんな中尉の様子に彼は『まいった』と胸の内で呟いた。
こんな場所では殴られるだろうとわかっていても、力いっぱい抱きしめたくなったと言ったら…きっとすごい勢いで逃げられてしまうのだろう。
『仕方ない、な…』
胸を熱くする想いを誤魔化すように選ぶのは、からかい混じりの言葉。
「泣いてはいないが、今にもこぼれそうだぞ」
「大佐のせいでしょうっ」
確かにそれは肯定の事実。
そして、いつまでも見ていたいとはいえ、他の男どもにこんな彼女を見られた日には左遷どころかそれ以上の手段を講じねばならなくなるだろう。
『笑顔には多少目をつぶる代わりに、君の涙は私だけのものと決めたのだから』
「そうだな…」
一つ息をついて、相手の瞳を覗き込む。
涙を止めるにはごく簡単な、意味ある言葉だけでいいと彼は知っていた。
「そうだな。では、いつもの方法で涙を止めようか?」
意地悪に見えると言われる笑顔が、相手の瞳に映り込んでいるのを確認しながら手を伸ばす。
と、彼の手が触れる前に細い体は素早くその場を飛び退いていた。
「けっこうです!」
たったそれだけでピタリと涙を止めた瞳。
射るように見返す瞳に、彼は感嘆ともため息ともつかない吐息をこぼした。
「さすがだな、中尉」
「また同じようなことをしたら、怒りますよ。大佐」
表情は平静を保っていても、書類をつかむ彼女の指は紙片に食い込み、しわを作っていた。そんな相手をわざわざこれ以上、ここで怒らせては危険だと身をもって知っている彼は軽く笑って「わかった」と答えておくことにする。
しかし、それだけでは中尉の疑念を晴らすことはできなかったらしい。
「本当にわかって…」
「中尉、そろそろ真面目に仕事をしないか」
相手の言葉を遮り、珍しく彼から切り出したセリフに怪訝な顔が返る。
が、それにかまわず彼は極めて真面目な顔を作って優秀な上官の姿を装い、こう付け加えた。
「今日は残業する気はないからな」
言葉の終わりに重なったのは、書類が床に散らばる音だった。
|