[帰り道]

「今日も遅くまでごくろさんです」
「お疲れさま、ハボック少尉」
 規定の軍服ではなく、私服の上にダークブラウンのコートを纏ったホークアイは帰宅準備万端の様子で部下に声を掛けた。
 明日も早い。
 さっさと帰ろうと歩きかけた彼女の横にごく当たり前のように人影が並んだ。
「きりきり働けよ。ハボック」
 その横柄な声が誰のものかなんて、考えるまでもない。
 まるでクセのようにこぼれそうになったため息を誤魔化し、建物の外へと向かう。
 廊下に響く靴音は二人分。
 最初のうちこそ早足だった靴音は、やがて諦めたようにスピードが落ちた。
 それを追う側の足音は常に一定に刻まれつつも、実際、一歩の距離の違いは大きかった。しかしそれも今はいつもどおりに落ち着いた歩みへと変わる。
 途中まででも帰り道が同じというのは、こういう時不便だわ、とホークアイは思った。
「外はすっかり真っ暗だな」
「冬になって日が落ちるのが早まりましたからね」
「でもまあ、幸い月が出ているから足下は大丈夫そうだ」
 月が出ているといっても、満月からはほど遠く、細い細い月がひとつ。
 人工的な明かりの届かない場所ではかなり暗いだろうと思えたが、それでも慣れた道を歩くだけなら問題はない。
「…そうですね」
 建物の外へ一歩出ると、吐く息の白さが闇に鮮やかに浮かび上がった。
 ホークアイは冷たい外気を避けるように少しだけ首をすくめ、ゆるく巻いていたマフラーを整え直した。残念ながら手袋はしない。とっさの緊急事態に銃をつかみ損なったら目も当てられないからだ。
 そのため、すぐ冷たくなる手はコートのポケットに突っ込む。するとそこに愛用の銃が入っていることが指先の触れる硬さで確認できた。
「今日はひどく冷えるな」
 漆黒のコートを着たロイがそういいながら、灰色の毛糸で編んだ手袋をはめるのを見て、彼女はかすかに目を細めた。
 その様子はあんまり歓迎できないというように。
 でも、注意したところで返ってくる返事は決まっているのだ。
『手がかじかんで、いざという時に動かなかったら困るだろう』
 銃よりも錬成陣の描かれた手袋での攻防を重視する彼はそう答える。…というより、そう答えられた過去があった。
 それは確かに正論でホークアイも反論することができない。
 これがもっと違う理由だということがハッキリしていたら、強い態度で臨めたのだが…。
「ええ。予報では明日の朝はまだ冷え込むそうですよ」
 そう言うと、ロイは嫌そうに顔をしかめた。
「これ以上、寒くなるのか」
「雪が降るかもしれませんね」
「雪!?」
 それは嫌だとばかりに声を上げる様子にホークアイは小さく笑いをこぼした。
「私がそう思っただけです」
「…雪が降ってほしいと思っているのか?」
 微妙に声の調子が変わった相手を思わず見返す。
 仏頂面を隠しもせず、眉間にシワを寄せたままの相手の目を見上げ、彼女は軽く息をついて肩を竦めた。
「いいえ。雪が降ったら雪かきが大変ですし、雪を理由に仕事を休もうとする輩が出たら嫌ですから」
「中尉。…何か引っかかる言い方だぞ」
「何か心当たりがありましたか?」
 笑顔で聞くと、ロイはわずかに顎を引いて、
「私は雪だから、などという理由で休んだことはないぞ」
「そうですね」
「そうだろう?」
「遅刻は山ほどあっても、休まれたことはありませんでしたね」
「…っ」
 言葉を詰まらせる相手に構わず、ホークアイは歩みを止めることなく歩き続けた。
 軍の建物が遠ざかり、店々がすでに閉じた通りはずいぶん暗い。
 街路樹の細い幹が地面にうっすらと黒い線をつけているが、それも満月の日に比べれば周囲の影とそう変わらない。
 今にもすべてが闇に包まれてしまいそうだ。
 こういう日はさっさと家に帰って暖かな暖炉のそばでくつろぐのが一番。
 そう、彼がバカなことをしでかす前に…
「中尉」
 呼ばれて、『なんです?』と彼女は何気なく振り返った。
 職場と同じように呼ばれたから、うっかり油断していたといえばそうだろう。
「はい。リザ」
 無防備な笑顔で右手を差し出している相手の姿に、彼女はどう反応したものかと数瞬、悩んだ。そして、深い葛藤の末にくるりと背を向ける。
 その場からさっさと立ち去るべきだと足早に歩くも、響く足音が一人分しかないことに思わず後ろ髪を引かれるように立ち止まってしまった。
「…」
 振り返ってはいけないとわかっている。
 が、やっぱりそのまま見捨てていくことはできなくて、振り返ってしまう。
「帰らないつもりですか?大佐」
「帰るさ。君と手を繋いでね」
「…っ」
 まるで子供のように右手だけを差し伸べて立っている。
 無視して帰ったら、彼が傷ついた顔をするのが想像できて無性に腹が立った。
 それは子供じみたコトをするロイに対してもそうだし、そんなことを気にする自分自身にも苛立った。
 カツカツと靴音も高らかに相手のそばまで戻り、強く睨み返す。
「ただの職場の同僚が手を繋いで帰るのはおかしい、と以前も言ったはずですが」
「ただの職場の同僚でなければいいわけだ」
「言葉遊びはやめてください」
「でも、恋人同士ならOKだろう?」
「ふつう一般の、でしたら」
 「そうか」とロイは実におかしそうに笑った。
 そして、やはりまったく懲りた様子もなく、手を差し出した。
「…」
「暗いし、はぐれたら大変だからな」
「…」
 人混みでもあるまいし、誰がこの距離ではぐれるというのか?
「却下です」
「では、女好きの上官が無理じいしたということで」
「却下っ!」
 状況としてはそれと似ているかもしれないが、そんなことを誰に言えるというのか。
 眉間にシワを寄せるホークアイに構わず、彼は差し出したままの手を「ん」というように彼女の方へと動かす。
 それはまるで犬がお手をするのを待つ仕草にも似ている。
 正直言って、彼女にとって毛糸の手袋で包まれたロイの手はいろいろと魅力的ではあったが、ここで負けるわけにはいかなかった。
 いいかげんにしろ、とばかりに叩き落とそうと右手を動かす。
 と、さすがに一筋縄ではいかない男はあっさり彼女の手を捕らえてみせた。
「…っ!」
 やわらかな毛糸に包まれた手がぎゅっと彼女の手を捕らえている。
 そうして、ロイはいたずらが成功した子供のように笑顔をみせた。
「君の手が凍えて、わたしの警護ができなくなっては困るからな。中尉」
 それならいいだろう?というように軽く首を傾げて、覗き込んでくる。
 その余裕が腹立たしくて、ホークアイは空いていた左手を広げてロイの顔を押し返した。
 一度捕まった手を彼から引きはがすのはきっと大変な作業になるに違いない。
 想像するだけでどっと疲れた彼女は力なく肩を落とした。手を繋ぐのもおかしなことだが、こうしてこんなコトでもめているというのも端から見れば奇妙なことに違いない。…というか、痴話喧嘩をしている恋人同士とでも見られかねない。
「わかりました。…今回は私の負けです」
 ぼそりと呟くように応える。
 負けを認めるのは悔しかった。
 でも、一番悔しいのは…もっと別のコト。
「では、右手のことはわたしに任せたまえ」
 そんなことを言ってロイは彼女の右手を左手に持ち替えると、導くように歩き始めた。
 あたたかくて大きな手。
 触れることは決して嫌いではない。
 それどころか、一度手にしてしまえば放しがたくなってしまうから困るのだ。
 ホークアイは細く息を吐いて、冷たい空気を肺に取り込んだ。
 この暗闇のおかげで、きっと赤くなっているだろう顔を相手に見られずに済むことだけが、唯一の救いだった。


END





ごく短いシーンで…ってことで、とりとめもなく♪
恋人同士になってまだ日の浅い二人って感じかな〜と思いますv

2004/12