[Once more]


 目の前にある広い背中。
 それはとても信頼を寄せるに足るもの。
 そう、この人なら大丈夫と思わせる『何か』を感じさせる背中だった。
 だから私はずっとこの背の後ろに立ち、彼を守ってきた。

 それはどちらか一方の命が尽きるまで変わることなく続く、不変の関係。

 『愚かでもいい』

 ただそうとだけ信じていたかったというのが---------私の本音だった。


 *


「うかない顔だな。ホークアイ中尉」
 最終点検をしていたライフルの銃身に影が落ち、椅子に座っていた私は顔を上げて声の主に目を向けた。
 そこにいたのは今現在、私の上官を務める人。
「ヒューズ中佐…」
 彼はいつものように飄々とした態度で、なぜか楽しそうに口元を緩めて私を見ていた。しかし、
『うかない顔…?』
 そうだったかしら、と思う。
 考え事をしてはいたが、だからといって意気消沈していたとか、そういうわけではない。これからの状況に対して真剣に策を練っていたにすぎない。
「そのように見えましたか?」
「ああ、見えたね。そんな顔をされると、これからの戦況がかなり困難極まりないようで気が滅入るってなもんだ」
 からかうように笑って、彼は言った。
 同じ上官でもヒューズ中佐とマスタング大佐は持ち味というか、雰囲気がずいぶん違う。
 でも、この人の指揮に従えば大丈夫だ、とそう思わせるモノを感じさせる点では同じ。これからの戦いで負けるかもしれない、なんて危惧や不安を相手から拭い去る影響力を彼らは持ち合わせていた。
 そこに水を差す気はなかったが、
「しかし、困難極まりない作戦であるのは本当のことでしょう」
 私はちょっと笑って、そう返した。
「マスタング大佐を相手に戦場で勝ちを得るのは、実際、なかなか骨が折れることだと思いますが」
「だが、優秀な狙撃手殿はこっちにいただいたし、ヤツは錬金術を使わない条件だ。これなら戦略次第でどうとでもなるもんさ」
 自信たっぷりに中佐は言う。
 確かに、錬金術の技を使わないとなれば、マスタング大佐の戦闘力自体は格段に落ちるだろう。が、錬金術以外の能力も優れているからこそ、相応の地位を与えられているのも確かだ。
 しかし、そんなコト、ヒューズ中佐相手には今更、だ。
「心配かい?ヤツが」
 いつか誰かが言ってくるだろうと思っていたセリフを告げられ、思わず笑みがこぼれた。既に決まっていた答えを出すのは容易い。
「いいえ」
「おやおや、即答か」
 ヤツも可哀相に、と苦笑する。
「あちらはハボック少尉たちが上手く働いてくれているでしょうし、それに模擬戦くらいで何か問題が起こるとは思いません。…というより、何か問題があってもそれくらい対処できて当たり前のハズです」
「こいつは手厳しいな」
 その感想にはきっぱりと首を振る。
「それだけの方だと信じていますから。でなければ、副官なんてやっていられません」
 それは私にとってはごく当たり前の真実だった。
 そして、それはごく身近な同僚たちとも共通するモノだと認識している。
 だから、ヒューズ中佐にまるで珍しいモノでも眺めるように見下ろされたかと思うと、ふいにバカ笑いされた時には思わず眉をひそめてしまった。
「いいな、ソレ!わかってるつもりだったがなあ…。ああ、イイ答えだ」
「………っ」
 近くにいた者たちが驚いて振り返るほど豪快な笑い声。
 しかし、からかっているわけではないらしい。彼の眼差しの優しさに、私は珍しく気恥ずかしさなんてものを覚えた。頬の熱がわずかに上がった気がする。
「すみません、言い過ぎました」
「何を謝ることがあるってんだ?俺は気にいったぜ」
 バシバシと叩かれる肩が痛い。
「まあ、今日は思う存分、あいつを試してみるといい。守るばっかで、戦場で向き合ったことはないだろう?たまにはそういうのを経験しとくのも悪かない」
 言いながら、ちらりとかいま見せた真面目な顔。
 これまでとは一転し、一瞬だが、鋭く挑発的な光を宿した瞳に私は不思議と反発心を覚えた。
 ただの思い過ごしだったかもしれない。しかし、告げられた言葉とは裏腹に、『おまえでは所詮勝てないだろうがな』とそう言われた気がしたのだ。
「私は負けません」
 意識するより先に口が動いていた。
 たとえ大佐が相手だろうと負けたりなんて、しない。
「じゃあ、勝てるか?」
 打てば響くように返ってきた言葉に私はすぐさま返事を返そうとして、
「………」
 むなしく空気を噛む唇の存在に、思わず目を反らしていた。
 決して許したくない事実が一つあった。
『私は彼には勝てない…』
 たとえ模擬弾とはいえ、マスタング大佐の体にそれを撃ち込むということ自体に、どうしようもない抵抗感を感じた。
 ふだんの威嚇とは違う。戦場で相手の命を奪うことを優先させる弾道に、どうしても彼の死を連想した。
 仮に一対一、軍人として向き合って、錬金術の使えない彼に自分があっさり負けるとは思っていない。ただ、彼を撃つことさえできない自分が、彼に勝てるハズがないのだ。
 『負けない』こと、それが私にできるギリギリの選択。
 それを油断ならないヒューズ中佐の観察眼はあっさり見破っていた。
「…勝てる自信は正直、ありません」
 でも…と思う。
 それではダメなのかもしれない、と今の私は考えるようになってしまった。
「ですが、中佐。私は、あの方に勝ちたいと思っています」
 それがその時、どうしても必要なことならば。
 手にしていたライフルを握りしめ、己の決意を再度、自分自身に思い知らせるために言って、私は顔を上げた。
 そんな私を見下ろし、中佐はまた笑った。
「イイ答えだ」
 穏やかな微笑だった。
 そして、優しい眼差しだった。
「きっとあんたは勝つさ」
 そう告げる言葉の根拠なんて知らない。
 でも、彼の声の響きだけは信頼に足るような気が、した。

 *

 事の起こりは、どうでもいいような会話からだった。
 その時、私は出かけるマスタング大佐の背中をぼんやり見送っていて、ふいに声をかけられた。
『どうかしたんスか?中尉。気むずかしい顔してますよ』
『背中…広いと思って』
 私は深く考えもせず、無意識にそうこぼしていた。
『へ?』
『ハボック少尉も広いわね』
 正直、うらやましいと思ったのだ。
 マスタング大佐の部下となり、その背を守るようになり、いつも思っていた。
 どうして自分の体は彼のそれをカバーできるほどに大きくないのか、と。
 どうしても身長差のぶん、体格差のぶん、できる隙間があった。
 それを補うために、反射神経を鍛え、動体視力の向上をはかり、銃の腕前を磨いたりしてきた。
 しかしどれほど努力しても、時々、感じる不安。
 大佐の背中は、自分の背中よりも面積が広い分だけ敵も狙いやすいにちがいないと思えた。
『背中が広いぶん、狙いやすそうだと思って』
 その言葉にハボック少尉はギクリと身をすくませると、乾いた笑みを浮かべてそそくさと退散してしまった。
 試し撃ちをさせてくれ、と私が頼むとでも思ったのだろうか。
 まあ、実際、そんなことをほんの少しだけど思ったことが昔にあったけれど。
 結局、どういう経路を辿ったものか、そんなやりとりがセントラルのヒューズ中佐の耳にまで届いたのだという。で、そう思うなら本人を使って試してみればいいじゃないか、と。
 ヒューズ中佐の手配は驚くほど迅速だった。
 模擬戦を行う場所が設定され、参加する部隊が用意された。
 司令官にロイ=マスタングとマーズ=ヒューズを戴く2つの小部隊。ごく自然な成り行きとして私は大佐と対立する陣営に配属され、大佐を狙う狙撃手の任務を与えられた。
『君と戦うことになるとは、不思議な感じだな』
 どこか苦々しく見えたマスタング大佐の笑みと言葉が、私は忘れられない。

 *

「………」
 ゆっくりとライフルを構えて、照準を合わせる。
 息を殺す沈黙と集中の果てに絞る引き金に、『敵』は倒れた。
 広がる染みは敗北を示すペイント弾の鮮やかな赤。
 私は目を細め、周囲の状況をうかがいながら、次の標的を探す。
 そんな私の頭の中はとても冷静で、冷徹で、無慈悲に冴えていた。
 死人が出ることのない模擬戦だから、なんてことが言い分けないならないことも既に熟知している。
 立ちふさがる敵はすべて討ち払うべきものとだけ認識して、倒す。
 これが戦場に出た私。
 これまで守ってきたその人さえ、『手強い敵』とだけ認識するに止める。
 …いつものように100%そうと思い込むことはできなかったけれど。
『…ッ』
 ライフルを構え、チャンスを狙って見つめる先で、まっすぐに私のいる方を見返してくる漆黒の瞳に思わず銃身が揺れた。
 それに引き替え、離れた距離にもかかわらず、まるで私の居場所がわかっているかのように彼の視線は揺るがない。
 彼は逃げも隠れもしなかった。
 撃たれることを望んでいるのか?
 それとも、撃てるものならやってみろと挑発しているのだろうか?
 わからない。
 ただ、わかるのは、やはり自分に彼は撃てないのだというコト。
 好機を逃しているという自覚はあっても、同じ過ちを何度も繰り返すばかり。
『私は…ッ』
 模擬戦のためにと用意された時間はもう残り少なかった。
 次が最後かもしれない、と思いながら、マスタング大佐の動きを追って場所を移動する。彼は部下たちから一人離れ、前線からは少し離れた三階建ての建物へと入っていった。
 その行動の意味は測りがたい。
 罠が仕掛けられている可能性は大きいだろう。
 が、これが最後の勝負に思え、私はかまわず大佐の後を追った。
 時々、軍の模擬戦にも使われるこの街は廃虚と呼ぶに相応しく、弾痕の残る建物内もひどく荒れ果て、薄暗い。
 一歩一歩、靴で踏みしだく瓦礫の破片が生み出す音がやけに耳についた。
 きしむ階段は、階上にいる者に侵入者の存在をハッキリ伝えていることだろう。
『うるさい…』
 いつになく、心臓の音をうるさく感じる。
 いっそ止まってしまえ、と物騒なことを考えてしまうことに…自分がギリギリの精神状態であることをうっすら自覚する。
 階段をのぼった先のフロアに彼はいた。
 そこには特に障害物になるような物もなく、ただがらんとした広間になっていた。薄暗くても足場に困ることはなさそうだ。
「来たか」
 抑揚のない、短い声が響く。
 彼の表情は読み取れなかった。
 相手のいる位置までの距離はこの場合、遠いのか、それとも近いのか。
 私はなんとも言いがたい気持ちに襲われ、判別することもできない。
 しかし…
「本気でいくぞ?」
 その言葉に頭の奥の一部が、いつものように冷たく冴えた。
 迷うことは敗北への一歩。
 ならば、迷えない。
「はい」
 今、決めたコトを実行する。
 私は、迷わない。
「では、行く」
 それまでの静けさがウソように、放たれた冷たい殺気。
 ほんの一瞬、気圧された。
 彼は銃も剣も抜かなかった。
 ただまっすぐに私の方へと迫りくる。
 私は銃を片手に冷静に狙いを定める。

 響いたのは、一発の銃声。
 勝ったのは…

「ぐっ…」
 私は息苦しさに目を見開いた。
 大きな手が喉を鷲掴みにして締め上げていた。
 右手は捻り上げられ、愛用の銃が床に落ちる固い音が遠く聞こえた。
 痛くて、苦しい。
 しかし、そんなことより私の意識を奪ったのは凍えた漆黒の瞳だった。
 ぞくりと背筋を撫ぜるような恐れを抱かせるそれも、戦場では誰もが持ち得、また自分とて同じく持っているモノと知っている。
 今の彼なら私を殺せるだろう。
 私は『敵』だから。
 彼と敵対する…そんな状況などこれまで考えたことがなかった。
 でも、未来にそのようなコトがありえる可能性は決してゼロではないのだ。
 どちらか一方が敵に操られてしまった場合、もしくは…互いの道が決定的に分かれてしまった場合、とか。
 私が望まぬ形で敵に操られたり、道を誤ったのであれば、結果として彼に殺されることになってもかまわなかった。むしろそれこそが本望だ。
 しかし、その逆の場合は…?
 自分はどうするだろう…?
 いくら考えても答えはとても単純で、ひとつしかなかった。

『もし、彼を止めなければいけない状況なら…』

 私が止めてみせる。
 それが相手の命を奪うことになるとしても、彼のためになるのであれば。
 どれほど心が否定の想いを叫ぼうと…私は…

『ロイ…』

 息苦しさにすべての感覚は遠くて…。
 それでも私はただただ想いのままに、左袖から手のひらに滑り落ちた小さな固まりに指を絡めた。
 これが最後と振りしぼった力がどうなったのかはわからない。ただ…



 聞きなれたはずの音が、遠くかすかに…聞こえた。


 *


 …音。
 意識の覚醒よりもまどろみを誘いそうな規則的な音が耳元で繰り返される。
「…?」
 ゆっくりと目を開けると青い色が見えた。
 それから、黄色の房飾り。
『え…?』
 少し遅れて自分の下に…下敷きになっているモノの正体に気づいてギクリと体がこわばる。しかし、まるで縛り付けられているかのように体の自由は利かず、身動きひとつとることができなかった。
「大佐…」
 とがめるように低い声で言うと、拘束する二本の腕の力が増した。
「…っ」
「君の勝ちだ。中尉」
 穏やかな声。
 彼が何を考えているのかなんて、知らない。
 ただ、息をするのが苦しくて私はかすかに喘いだ。それはなにも彼の腕のせいばかりではない。
「…放してください。大佐」
 私が勝った。それはつまるところ、私が彼を『殺せた』というコト。
 私は彼を『殺せる』というコト。
 自ら望んで行動しながら、しかし、その事実は私をなぜか居たたまれない気持ちにさせた。
「大佐…」
「いやだ」
 そこで彼はくすっと小さく笑った。
「死体は自由に動けないものさ。違うかい?」
「死体なら、しゃべりませんよ」
「では、半分死体ということにしよう」
「…わけがわかりません」
 本当に、この人は時々、子供のようにわけのわからないことを言う。
「わからなくていいさ」
「…」
 拘束の力がほんの少しだけ弱まり、大きな手が髪を梳くように頭を撫でた。
 そして、頬に触れる。
「ありがとう…リザ」
「…」
 目を閉じると、いつからかこぼれていた涙が目の端で大きな滴になるのがわかった。
 悲しくて、切なくて、苦しくて………でも、なによりいとおしい人。


 そんなあなただから、私は…


「本当にこんな状況になったら、許しませんからっ…」
 震えそうになる声を押し殺し、言えたのはそれだけだった。
 ぎゅっと手を握りしめ、固い胸を叩く。
「ああ…」
 彼は優しい声でうなずき、私を抱きしめた。

 耳元で音がする。
 規則正しく繰り返される確かな音が。
 どうかこの音が永遠に続きますように。
 そして、私がこの音を止める日など永遠に来ませんように。

 私は繰り返し繰り返し願う。
 それは果てなき願い。


END




〜後書き〜
珍しくシリアスで少し長めのお話となりました。
ホントに長くって…フリー配布には相応しくないよっ!と冷や汗ものです(^^;
しかも実は最初は2万記念で書いてたんだから、いったいそれがいつだったかは深く考えるまい…です。
とりあえず、お楽しみにいただければ幸いです〜。

こういう話は好みが分かれるところかも〜と思いますが、とりあえず、個人的にはツボな展開で楽しみました(^▽^)/

2004/12