[推理]

 ここ数日でおなじみとなった展開。
『それではこれで私は失礼します。大佐』
 机の上に置かれた時計の針がちょうど5時を指すのを見計らったように、彼女は言う。
 担当している急ぎの仕事を抜かりなく片づけ、定時の17時が近づくのに合わせて机の上を整理し始めたら、そうなることは確実。
『ああ…中尉、こっちの件なんだか気になることがあってだな』
 なんとか引き留めようと適当な理由を言ってみたところで、『申し訳ありませんが、明日の朝一番でおうかがいしますので』の言葉であっさり片づけられてしまう。
 毎日毎日、いったいどうしたというのか?
 数時間の残業というのがほぼ定番となっていた状況で、この変化はあまりにも急激だった。
 さりげなく部下たちに話を振ってみると、
「あー、きっといいかげん残業するのがイヤになったんじゃないですか?」
「残業数時間は当たり前でしたから」
「無制限のサービス残業はちょっと…」
「そうですねー。いくら中尉でも、しんどいでしょうし」
「大佐も中尉に無理させすぎないように気をつけてくださいよ」
「そうッスよ、大佐」
 などと自分を責める方向へと話がどんどん流れて収集がつかなくなったので、とりあえず、うるさい発言者共は殴って口を封じさせておいた。
 周囲からそう思われているように、過剰労働…というのは確かな実情で、『疲れた』『イヤになった』つまりはそれで『見捨てられた』というのもあり得ないことではない。
 しかし、ここでひとつだけ見過ごせない事実があった。
 足早に帰途につく彼女の様子がどこか楽しげな様子だというのはどういうことなのか?
 わたしに知られないように隠しているつもりらしいが、隠しきれていない。
 それはまるでわたしに隠れてこっそりデートでもしているようではないか!
『いったい誰とだ!?』
 男女問わずに人気のある中尉のことだ。
 デートといっても色恋沙汰とは無縁の食事会とかお茶とかそういうことだと信じているが、それでも毎日定時で帰るなど…理解できない。
 長い付き合いだからこそ、わたしがこんなことを考えて不審や不満に捕らわれていることとてしっかり気づいているだろうに、キレイに無視するところがまた憎らしい。
 今日は金曜日。
 しかも明日は二人いっしょに休みが巡ってくるという、極めて珍しくも貴重な日だ。
 明日のスケジュールは朝から晩まで何をするか早くからもう決めていた。
 ついでに言うなら今日の仕事が済んだ後の予定も、暗黙の了解のハズ。
 なのに、定時の17時が近づくのに合わせていそいそと机の上を整理し始めた彼女の様子にわたしは憮然とした。
 今日中に提出しなければならない書類は、どうがんばったところで後一時間はかかる見込みだった。
「それではこれで私は失礼します。大佐」
 今日こそ一緒に帰るつもりでいたのに…。
 そんな想いに思わず嫌みが口からこぼれていた。
「そんなに急いで、デートかね?」
 わたしはそんな己の短慮さに、言ってから冷や汗が出そうになった。せっかくの休みを前にケンカなどする気は毛頭なかったというのに。
 しかし、彼女は怒らなかった。
 ギクリとしたようにわずかに身をすくめただけで、その後、体の力を抜くように大きくため息をついた。口元にはかすかな苦笑。
「あなたがお考えのものとは違います」
「…そうか。では、あと一時間くらいわたしに付き合ってくれないか」
 彼女は困ったように眉根を寄せた。
「申し訳ありませんが、それは無理です」
「理由は?」
「ごくプライベートなことですから…」
「言えない、と?」
「そうです」
 この時のわたしの苛立ちといったら、顔には出さなかったものの、手元の書類を引き裂くくらいでは気が収まらないほどだった。が、
「仕方がありませんね…」
 いつものため息をひとつついて、彼女は言う。
「明日のためにも今日は早く帰りたかったのですが…。きちんと後から代価を支払っていただけるのでしたら、残業におつきあいします」
 それはとても意味深い言葉のような気がした。
 特に『明日のためにも』というところがかなり重要ポイントだ!
 後から払うことになる代価が何であるのか?というのも気にすべき点だっただろう。
 しかし、それを考えている余地はなかった。
 すでに鞄を手元に引き寄せ、帰り支度をしている彼女を引き留める術はひとつしかない。
「わかった。代価は払う」
「約束ですよ」
 そうして、本当に久しぶりにわたしは定時後も彼女と仕事をし、一緒に帰路につくことができたのだった。

 そして、

「まさか…」
「その、まさかです」
 彼女の家についた時、そこには確かに待ち人なんてのは存在しなかった。
 が、しかし、とうとう諦めたように彼女が明かした早帰りの理由にわたしは愕然とした。
「あと少しで終わるところなんです」
 少し恥ずかしそうに言いながら、見せたのは一冊の分厚い本だった。
 ブックカバーがかけられていたが、彼女が言うには今、話題の推理サスペンスらしい。
「それならそうと…」
 言ってくれればよかったのだ。
 ここ一週間、思い悩んでイライラしたのはなんだったのか。
 あまりのことに脱力しかけるわたしに、彼女はさっさと本を棚に戻し、
「あなたのことですから、用心するに越したことはありません」
「?」
「最後のページだけ読んで、犯人をわざと言いそうですから」
「そんな大人げないことをわたしが…」
「絶対します」
 ハッキリと確信を持っているように告げる。
 その様子にわたしは苦笑する。
 さすがによくわかっている、という言葉は言わずにおこう。
「きちんと代価は支払ってもらいますから」
「代価…」
 イヤな予感がした。
「本を読む間は邪魔しないでくださいね」
「…っ」
 一瞬、本を燃やしてしまおうかと思ったが、それではきっと明日、本を買いにいくところから時間を奪われそうだ。
 不承不承うなずくわたしに、彼女はうれしそうに笑ってキスをした。
「ありがとう、ロイ」
 その姿があまりにも可愛くて、思わず力いっぱい抱きしめてしまったとしても仕方がないことだっただろう。
 そして、大人げない嫉妬で焦げる胸を埋めるための代価を求めることもまた、ごく当然の結果だとわたしは思う。


END





少し前のことですが、「ダ・ヴィンチ・コード」が面白いらしいという話を聞いてからむくむくと構想を思いついていたお話♪
私はまだ最初を少ししか読んでませんが(^^;
久々にほのぼの〜v よくありがちな展開かもですが、こんな二人がやっぱり一番大好きです。
最後に大佐がどう行動するかはご想像にお任せです〜。
中尉は彼のことをよくわかってるので、先を見越していろいろ行動してそうですよね。
…ということで上には上手くまとめて入れることができなかった以下の文章はオマケです(^▽^)v

2004/12



夜も更け、人々もすっかり眠りについた頃、
こっそりとベッドから抜け出す男が一人。

『これか…』

恋人の心を奪うにっくき一冊の本を握りしめ、眉間にシワを寄せる。
光を絞ったランプを引き寄せ、中を確認する。
こいつのせいで明日の貴重な時間が少しでも奪われると思うと憎さも最高潮に達しそうだった。
彼女が危惧していたとおり、彼は犯人を突き止め、相手にばらすという行為に罪の意識を感じなかった。
たかが本の中で繰り広げられるだけの事件にあまり価値を感じないというのが本音か。

なので、さっさと犯人がわかる最終ページの方を開き、
ざっと目を通して、さらに最後まできて…彼は愕然とした。

『以下、下巻に続く』

ひくっと頬を引きつらせて、本の題目を確かめてみれば、確かに『上巻』の文字が。
もう一度、棚の場所とブックカバーの模様を確かめてみる。
彼女が棚に置いたものに間違いはない。

読み終えるつもりだったのは上巻だったのか?
いや…それではおかしい。

『…っ』

さすが、リザ!
ざっとその辺りを探してみるものの、下巻は見あたらない。
どうやら用心に用心を重ねて、しっかり隠しているらしい。
さすがにわたしのことをよくわかっている…などと、
うれしいのだか悔しいのだかわからない複雑な気持ちで彼は肩を落とした。

それにしても、いったいどんな本なんだ…?


この後、しっかり朝まで本を読み続けることになることを、今の彼は知らない。
そして、しばらく仕事場で囁かれた言葉。

「犯人を知りたくなかったら、きちんと仕事してくださいね」

というなんとも奇妙なものに周囲が首を傾げたのは言うまでもない。


<終>