「大佐、いるー?」
時々、出向く軍司令部。
金髪の少年がその一室に立ち寄ってみたのは、本当にほんのついでの気まぐれだった。
「あら、エドワード君…とアルフォンス君」
二人分の執務机と書棚しかない簡素な部屋で振り返ったホークアイ中尉が少し意外そうに首を傾げる。
その手には煎れたてのコーヒーが入ったガラスポットがひとつ。
『あっ』
部屋中に満ちたコーヒーの良い香りに、エドワードの心は思わず弾んだ。
『ラッキー♪』
司令部で支給されるコーヒーに期待なんてしてはいないが、もしかして…もしかしなくても、大佐クラスになれば良質のコーヒーが飲めるのかもしれない。
そういうコトにマスタング大佐はうるさそうだし、なにより、ホークアイ中尉が煎れるコーヒーは格別だという”噂”を彼は聞いたことがあった。
「大佐はそろそろ会議が終わった頃だと思うから、中で待ってるといいわ。適当な場所に座ってて」
来客用の椅子がないため、大佐の執務机を指差して言う中尉。
とはいえ、それもいつものコト。遠慮せず机に腰掛けるエドワードの横に後から入ってきたアルフォンスもそっと座る。
ほんのかすかにミシッと音を立てるその机が『いつ大破するか?』については目下、エルリック兄弟の賭の一つである。そんなコトなどまったく知らない中尉は気さくな笑顔で、
「ちょっと待ってね。あなたたちにはココアを入れるから」
そう言って彼女用の机の引き出しへと手を伸ばした。
その成り行きに、思わずエドワードの目が点になる。
「え!?別にオレ、コーヒーでかまわないけど」
っていうか、どうせなら目の前にあるこのコーヒーを飲みたい。
「すごくいい香りだし」
とても美味しいんじゃないかと思ってしまうのだ。
しかし、中尉は困ったように微笑んだ。
「でも、これは大佐用だから」
「大佐用…?」
それってどういう意味なんだ?
大佐用の特別品ってことか?
とてつもなく美味しい貴重なコーヒー、とか。
特別カフェインが強くて夜眠れなくなる、とか。
もしくは…これは大佐のために煎れた物だからダメ、とか?
思わず眉間にシワを寄せて考え込んでしまったエドワードの前で、ココアの缶を開けた中尉が「あ…」と小さく呟く。
「なに?」
「ココア、足りないみたい。ちょっと他からもらってくるから、留守番していてもらえるかしら」
「ん…」
それならやっぱりコーヒーで…と言いかけ、エドワードは思いとどまった。
「いいよ♪オレとアルでばっちし留守番しとくから」
ニッと笑いながら胸を叩いて請け負う。
「すぐ戻るから」と言って出ていった背中に手を振るエドワードの横で、彼を良く知る弟がぽつりと一言。
「兄さん、変なコト考えてないよね…」
それに応えが返るまで数秒の間があった。
机から下り、まっすぐ目的の物へと向かいながら、エドワードは肩を竦める。
「別に、変じゃねえだろ」
「だって、だって、怒られるよっ!ぜったい」
「はあ?コーヒーくらいで怒るヤツいねえって」
性格的にホークアイ中尉がそんなコトで怒るとは考えられなかった。
まあ、マスタング大佐ならありそうだが、それも…。
「別に大佐が怒ったって怖くねえし」
目の前の中尉の机には、ポットだけでなく既にカップも…それにグラスも用意されていた。
あとは注ぐだけでいい。
「でも、兄さん…」
「いいから、いいから」
なおも言い募ろうとする弟の言葉を遮り、エドワードは遠慮なくコーヒーをカップに注ぐ。香り立つコーヒーの香りが心地よかった。
「絶対、美味いんだぜ♪」
どうしようもなく強まる期待に胸を膨らませながら、彼はカップに口をつけた。
*
そして、数分後。
「おや、鋼の来ていたのか?」
ファイル片手に執務室へ戻って来たマスタング大佐を、エドワードは引きつり笑顔で出迎えた。
「よ、大佐」
「何か用か?」
「別に、ついでに寄っただけ」
少し離れたところで”健康と栄養”について話し込んでいるホークアイ中尉とアルフォンスの声がやけに耳について、気分が悪かった。
「珍しく元気がないな」
そう言いながら、執務机に用意されていたグラスを取り上げた男はそのまま氷の入ったアイスコーヒーを一息に飲み干す。
「…ッ」
「どうかしたのか?鋼の」
何も知らない大佐は怪訝そうに眉をひそめ、そして、ふと思いついたように口を開く。
「そうだ。気分直しに中尉のコーヒーでも飲んでいくか?彼女が煎れるコーヒーは格別だと司令部でも人気でな」
「褒めても何も出ませんよ。大佐」
空になったグラスとは別に用意されていたカップに、今度は煎れたての熱いコーヒーを注ぎながら、小さく笑って中尉。その様子からエドワードは目をそらしつつ、思う。
とても良い香りで、見た目も普通のコーヒーとなんら変わりなくて。
でも。
『味がコーヒーじゃねえなんて』
そんなコトは今、この場で言えるハズなどなく。
ただただ首を横に振るエドワードに、からかい混じりの言葉が届く。
「コーヒーの美味さがわからないようではまだまだ子供だな」
これには言いたいコトは山ほどあったのだが。
ホークアイ中尉の視線に、ぐっと堪えて大人げある言葉を彼は選んだ。
「(その)コーヒーの美味さがわかるあんたは偉大だよ。大佐」
と。
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