たとえば。
互いを理解するためには、相手のコトを知るのが必要だという。
それはごくささいなことから始まり、もしかしたら相手の秘密の領域まで踏み込んでしまうこともあるかもしれない。
『どこまで知れば充分なのか?』
それはとても難しい判断だ。
ただ。
時々だが、いっそ知らなければ良かったと思う出来事にぶつかるコトもある。
*
「ねえねえ、ホークアイさん」
大きな鎧の体を丸めるようにして、”少年”が声をかけてきたのが最初。
人間の魂と繋がった鎧は金属でできた作り物のはずなのに、とても感情豊かな動きと表情を見せる。とても楽しそうに弾んだ声のまま、”鎧”の口がにこにこと笑っていた。
そして、輝く”瞳”には強い好奇心。
見かけはどうあれ、相手を”子供”だと彼女が感じるのはこういう時だった。
「なにかしら?アルフォンス君」
廊下の向こうから走ってきたアルフォンスは身を屈めても、ホークアイが見上げるほどに巨体だ。
それでも、自然とやわらかな笑みがこぼれる。
他に人目がなかったのは実に残念なことだった。しかし、軍部の建物内において、滅多に見られるコトのないそれを至極当然と与えられるのは子供だけの特権に違いない。
彼女がエドワード兄弟を特に子供扱いすることはなかったが、いつも気にかけているのは事実だった。
『珍しいわね』
いつも兄と一緒にいるアルフォンスは控えめな性格のせいか、自分から積極的に話しかけてくることは少ない。
こうして、好奇心いっぱいの目で彼女に話しかけてくるのは本当に珍しい。
珍しいといえば…
「そういえば、エドワード君は?」
「うん。兄さんは大佐となんか決着つけるのどーのって言ってました。ぼくは危ないから外で待ってろって」
明るい口調のままの台詞に不穏な言葉を見つけて、ホークアイはわずかによろめいた。
今、大佐の執務室で何が起こっているのか?とか。
これから、この建物がどうなるのか?崩壊の可能性は?とか。
なにより、大惨事が起こった後の後始末はどうすればいいのか?
次々とイヤな考えが浮かび上がり、彼女は無意識に胃の辺りを押さえる。
いい歳をしていながらやけに子供じみた上司の姿を思い浮かべ、きつく唇を噛んだ。
「あの…悪いんだけどアルフォンス君、急ぎの用ができたので私はこれで…」
「あっ!ホークアイさんっ」
早くもくるりと踵を返したホークアイに、アルフォンスが慌てたように声を上げる。がしょんがしょんと追いすがりながら…
「あのね、ぼく、ホークアイさんに聞きたいことがあるんですっ!周りに人がいないのって滅多にないから今、ちょっとだけ待ってくれませんか?」
一所懸命に、控えめに言い募られては無視するわけにはいかない。
ホークアイは小さく息をついて気持ちを落ち着けながら、「なにかしら?」と問いかけた。今彼女たちがいる廊下の端から端まで、他に人影はない。多くの人間が立ち働くこの場所で珍しいコトもあるものだと思う。
それでも、アルフォンスは大きな体をますます縮めるように身を屈め、まるで秘密の話なのだというように声をひそめる。
「アルフォンス君?」
何か重大な話だろうか?
「あのねっ!マスタング大佐の研究手帳ってどんなのかと思って…」
ドキドキ♪
そんなワクワクした雰囲気が伝わってきそうな口調に、ホークアイはぽかんと口を開けた。
「研究…手帳?」
『どんなのか?と思って…?』
上司が錬金術師でも、そうでない彼女にはなんのことだかよくわからない。
「うん♪大佐が錬金術の研究を書いてる手帳です。あっ…別に大佐が見つけた錬金術そのものを知りたいとかじゃなくて…」
「?」
「錬金術の研究手帳ってたいてい本人しかわからないように暗号化されてるんです。だから、大佐はどんな暗号使うのかなーってちょっと思って」
知りません?…というか、知らなかったんですか?というような目を向けられて、ホークアイは苦笑した。
たとえ何年も上司と部下をやっていても知らないコトは多々あるものだ。
よく考えなくても、錬金術師が研究書を書き記すというのはごく当たり前なように思えた。が。
あの怠け者の上司に研究書というのが実にそぐわないのだ。
だから、知らないどころか、そういう物の存在を想像したこともなかった。
「残念だけど私にはわからないわ」
「でもっ、いつも大佐が身につけてる手帳とかってありませんか?うちの兄さんは旅行記風に文章が書いてあるだけなんだけど、他の人は料理のレシピだったりするし…」
「旅行記に…料理のレシピ…」
そして、肌身離さずいつも携帯しているようなシロモノ。
何かがちらりと思考の隅を過ぎる。
「あっ…」
『まさか』
イヤすぎる考えに、ホークアイは胸を押さえた。
あの面倒くさがりの上司がいつも持ち歩き、こまめに書き込みをしている手帳。
それが実のところ二册ばかりあった。
「一冊は…デートの予定を書き込むスケジュール帳で」
これは誰の前でも開いて書き込みながら、時々声に漏れていたりするので、誰もが知っている物だ。
それでも子供にはやはり意外なのだろう。感心したように素直に頷いている。
「へー!やっぱり大佐みたいな人だとそういうのを暗号に使うのかなあ?」
「そういうのってアリなの?」
ホークアイは思わず聞いてしまう。
アルフォンスはちょっと考えるように首を傾げて、
「うーん、ぼくもよくわかんないけど…無理じゃないと思います」
「そ、そう…」
これが錬金術の研究手帳というのもどうかと思うが。
しかし、残るもう一冊の方が研究手帳だと言われるのも大問題な気がして、ホークアイは額に手を置いた。
吐き気のついでに熱も出てきそうだ。
「でも一冊はってことは、もう一冊、別に手帳があるんですか?」
まっすぐな問いにどう応えたものかとホークアイはわずかにためらう。ためらいつつ、ぐらりと頷いた。
知りたくはなかった。
知りたくはなかったが、ここまでくれば知るべきなのかもしれないと思う。
「そっちの方が研究手帳みたいでした?」
「も、もう一冊は…たまたま執務室に落ちてた時に一度見たっきりなんだけど」
その時も、死にそうになるくらい気分が悪くなったことを思い出しながら、ホークアイは覚悟を決めるように一度目を閉じた。
「か、書いてあったのは女性たちの名前と住所と電話番号と…」
「うんうん」
「それからスリーサイズに身長体重体脂肪率…」
唇が震える。
「うんうん。やっぱり数字を使った方が便利だからかなあ?あっ…ごめんなさい。それでほかには?」
『やっぱりこれが…研究手帳になるの?』
もはや隠しようもなく、頬が引きつるのをホークアイは感じた。
この手帳に書いてあったのは女性の個人情報とそれから……
「ホークアイさん?」
「あ、あとはその、……ポ…………なんだけど」
「え?」
聞こえないよ?と首を傾げるアルフォンスを前にホークアイはもう一度、空気を胸に吸い込み、言葉を声にしようと試みる。
「だから、あの、そっそれは……」
『ポ』から続く、彼女にとっては禁忌の言葉。
ぶるぶる震える唇からは震える空気しか吐き出されず、ホークアイはぎゅっと唇を一文字に引き結んだ。
それが、限界。
「ホ、ホークアイさんっ!?」
歩き出すと同時に、腰のホルスターから抜いた拳銃の装填を確かめるホークアイの様子にアルフォンスの狼狽える声が響いた。
*
たとえば。
互いを理解するためには、相手のコトを知るのが必要だという。
それはごくささいなことから始まり、もしかしたら相手の秘密の領域まで踏み込んでしまうこともあるかもしれない。
『どこまで知れば充分なのか?』
それはとても難しい判断だ。
ただ。
時々だが、いっそ知らなければ良かったと思う出来事にぶつかるコトもある。
そう、ただそれだけのコト。
*
ひと呼吸置いて、彼女は見慣れた扉をノックした。
その後のひと騒動については立ち会った者たちだけの秘密だという。
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