雨降る日の恋人

 ざあざあと雨が降る。
 むっとした湿気が肌にまとわりつくほど、激しい雨の日。
 そんな不愉快な空気の中で、極めて不愉快な成り行きに声を荒げる男が一人。
「行くと言ったら、私は行く!」
 青の軍服に漆黒のロングコートを羽織りながら言う。
 その行く手を遮るように立ちふさがる女性が一人。
「だめですっ!!大佐」
 きつい眼差しと口調で制止をかける。
 自分よりも小柄で、しかも女性でありながら、まったく怯む様子すらない相手に男はきつく眉間にシワを寄せた。
「一ヶ月かけてくどいたんだぞッ」
「デートの日にちを変えるくらいでダメになるような相手では、どうせ長続きしませんッ」
「そんなことを君に言われたくないな」
「これは単に今までの経験からくる『事実』です」
「それは過去のことにすぎないだろう!なによりっ」
 そこでいったん息を吸い込み、彼はきれいに片づいた机を指さした。
「なんの為に今の今までかけて、すべての仕事を片づけたと思っているんだ」
「大佐…」
 こちらも眉間に深くシワを刻んで、彼女は盛大なため息を吐いた。
「それは大佐である、あなたの義務で責務で、遂行して当然の任務です」
 堅苦しげな単語をことさら強調しつつ、言い募る。
 それは反論の余地のない事実だ。
 だからこそ、男は忌々しげに小さく舌打ちし、それでも負けじと平静を装いながら言う。
「ならば、任務遂行後は余暇を使って心身を休めるコトもまた私の責務であり、義務になるはずだ。ついでに言うなら、いくら軍人とはいえ余暇にまで行動の制約を受けないのは至極当然の権利のはずだが」
 これもまた論理的に反論の余地はない事実。
 しかし。
「そんなことはどうでもいいんですッ」
 対する女性の言葉は論理を無視する感情論で噛みついてきた。
「ど、どうでもいい…?」
 そのあまりの言い草に彼は思わず目を見張る。自分たちの階級の、本来あるべき上下関係を彼が疑いたくなるのはこんな時だ。
 しかし…。
「こんな雨の日にデートだなんて、どれほど危険な事かは重々承知のはずではありませんか?もし、あなたの身に何かあったら…」
 苦しげな表情でかすかに語尾を震わせる相手を、彼はまるで初めて見る生き物のように呆然と見下ろした。
「中尉…?」
『まさか』
 そんなコトがあるはずはナイ!と思いながらも、心の片隅でわずかな期待を抱いてしまうのは。
 彼がこの気丈な部下を決して”嫌い”ではないからだった。
 だが、続く言葉には一瞬、本気で殺意を抱いた。
「私のこれまでの苦労はどうなるんですかッ!残業と徹夜と気苦労の連続で、そんな上司にもやっと諦めをつけて慣れてきたというのに」
 震える拳が本気を物語っている。
「それがすべて無になるなんて御免ですッ!」
 その堂々たる言いっぷりに、周囲から「おお〜」とどよめきが起こった。
 パチパチと拍手までついていて、男はそこにいた部下たちと客人をキツイ視線で睨みつけた。
 場所は彼の執務室。
 いつものように勤務していた部下たちと、そこにたまたま居合わせた兄弟が二人。誰の目にもこの口論の勝者がどちらであるかは明らかだった。
 それでも。
「ほお、君たちは彼女の味方をするつもりかな」
 半ば八つ当たり気味に、彼は発火布をつけた右手を掲げてみせる。
 雨の中ではたとえ使用不可なシロモノであろうと、今、この室内でなら、かなり有益な働きをする手袋に包まれた指と指を触れ合わせた。
「てめっ…大人げねえぞッ」
 身を低くして構える少年の後ろで慌てて避難する部下たちが視界に入る。
「聞こえないな」
 まさに指に力を込めようとした瞬間。

「ねえ、大佐はどうして強い女の人を恋人にしないんだろうね?兄さん」

 金髪の少年の服を引き、不思議そうに尋ねる子供の声が響いた。
 それに気を取られたのが運の尽き。
「…ッ!?」
 すぐ間近にいた女性の足払いを見事に受け、彼は後ろにひっくり返っていた。
「大佐。ここが室内で、しかも公的機関の中だとご理解されてますか?」
 こめかみに青筋を立てて拳銃を突き付けてくる部下を見上げ、『まいった』と彼は顔を押さえた。
 これ以上、下手な反撃をしようものなら間違いなく!仕事ができる程度に撃たれるにちがいなかった。確実にっ。
「わかった…わかったから、銃を下ろしてくれ」
「では、今日は一日ここか、自宅でおとなしくしていてもらえますね?」
「ああ。…寄り道せずに自宅に戻るとしよう」
「でしたら、お送りします」
 たとえ雨の中でも、彼を護衛できるだけの力を持つ女性は当然のようにそう告げる。別に自分の口約束を信じていないから、ではないだろうと思いつつも彼の唇は自然とへの字に歪む。
 そこに再び、少年の声が響いた。
「ねえ、ホークアイさん」
「ん、なにかしら?アルフォンス君」
 厳しいしかめっ面だった表情をやわらげ、ホークアイが鎧の巨体を振り返る。
 ようやく刃のような視線の拘束から逃れたロイは横を向いてこっそり息をついた。
 しかし、その耳に飛び込んできたのはこれ以上ないというくらいイヤな言葉。
「もし、大佐の恋人がすっごく強くて、雨の日も大佐を守れるくらい強かったらデートしてもいいんじゃないですか?」
 ひくっとロイの頬が引きつった。
 そんな彼の様子に気づいていても無視して平然と頷くホークアイ。
「そうね。だから、前からそうした人を選んでもらうように言ってるけれどタイプじゃないんですって」
「えっ!そうなの!?」
「そうなのかッ!?」
「そうなんスか!?大佐」
「女性に守ってもらわねばならないほど、弱いつもりはないッ」
 集まる視線の不快さに耐えられず、はねのけるように言い捨てる。
 すると何を思ったのか、くるりと踵を返したホークアイが彼女自身の机の引き出しから一冊の分厚いファイルを取りだしてみせた。
「せっかく空いた時間ができたのですから、やはりもう一度ご検討いただけませんか?マスタング大佐」
「君は…まだ捨てていなかったのか…」
「当たり前です。これを集めるのにどれだけ時間を使ったと思っているんですか」
 分厚いそれを目の前にずいと差し出され、ロイは反射的に胸をのけ反らせた。
 開かなくてもそれがなんであるかは知っていたのだ。
「どうぞ」
「いらん」
 そんな風に一冊のファイルを挟んで無言の圧力をかけ合う二人の間に割って入ったのはまたもや無邪気な少年の声。
「それってなんなんですか?ホークアイさん」
「ああ、これは…」
 そう言いかけ、途中で言葉を切ったホークアイは、実際に見た方が手っ取り早いというようにファイルを持ったままアルフォンスを振り返った。
 とっさにハッとしたように手を伸ばすロイ。
「中尉ッ」
 制止の声を上げ、奪い取ろうとした彼の手を擦り抜けてファイルは見事鎧の手の中に引き渡される。もはや見物人と化しているハボックほか部下たちが興味津々とファイルを覗き込んだ。
 そして。
 続いたのは、またしても「おお〜」という歓声。
「私はとても素敵な人ばかりだと思うんだけど」
「はー、美人揃いっすねえ」
「若いし、美人だし、すげえな」
「え?え?これってなんなの?」
「何って見たまんまだろ、アル。見合い話のファイルじゃんか」
「まあ、写真と名前、詳しいプロフィールまで揃ってるんじゃそうだろうな」
 それにしてもスゴイ!と感嘆と羨望の混じったため息が次々こぼれる。
 何十人と掲載された美女たちの写真はそれだけでも圧巻であった。
「大佐ってやっぱりもてるんだねー…………って」
「ん?どうした、アル」
 ちょうど開いていたページの下の方、趣味、特技の欄をじいいっと見つめていたアルフォンスがはあ〜っと深い息をついた。
 太い腕を組んで、うんうんと感心したように頷く。
「やっぱり大佐の恋人候補になる人ってスゴイんだねー、兄さん。この人の趣味って”レスリング”で自己アピール欄に”熊を素手で殺した事アリ”とか書かれてるよ」
「はああ!?」
 それまで写真にばかり目がいっていた男たちが、顔色を変えてファイルを覗き込む。
「すげえ…マジだ」
「こ、こんなふわふわした人形みたいな子が去年の異種格闘技戦で優勝したってのか!?」
「こっちの彼女の名前、これってもしかしなくても、密林で遭難しながらもサバイバルナイフ一本で生還したアノ伝説の…?」
「そういやそんな猛者がいたっけか…」
 彼らはついうっかりしていたが、それはホークアイがわざわざ集めた見合いファイル…もとい大佐の恋人候補資料であった。
 つまり、彼女たちは軍部の中でも選りすぐりの女性たちというコトになる。
 ほおおおお…っとため息とも感嘆ともつかない息が全員の口からこぼれた。

「んで、大佐。どの子にすんの?」
 
 ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた少年に、ロイはギリギリと奥歯を噛みしめた。ここでキレてはほんっとうに大人げないのだ。
 そういう自覚はまだ一応ある。
 それに背後で隙なく銃に手を添えている部下の視線もある。
「残念ながら、自分の恋人くらい自分で見つけるのでね。結構だ」
 引きつる唇でなんとか言って、これ以上は関わるまいと彼は扉へと向かった。
 幸いにも長い足で大股に彼は部屋を突っ切ろうと試みる。
 が。
 扉のノブに手をかけた時。
「この人の名前…テレーズ=ル…」
 不幸にも聞こえてきた名前に彼は慌てて扉を開き、力強く叩きつけるようにして扉を閉めた。
 だから、その後も室内で続いた会話は彼の耳に届かない。
「…ナ=アームストロングだって」
「げっ!アームストロングって…」
 各々の脳裏をどんな想像が駆け抜けたのか。
 ははははは…と渇いた笑いが部屋の中に響いた。
「でも、私はとても素敵なお嬢さんだと思うんだけど」
 目の前で勢いよく閉められた扉を再び開けるべく手を伸ばしながら、ホークアイが困ったように微笑んだ。
「ま、大佐にもこだわりってのがあるんすよ。きっと」
「…そうね」
 それじゃ後はよろしく、というように目で告げ、ロングコートを腕にさげたまま、彼女は執務室を出た。
 足早に刻まれる靴音はあっという間に聞こえなくなる。
 だから、彼女もまたその後に続いた会話の内容を知るコトはない。
 とはいえ。

「なんでホークアイさんじゃダメなのかなあ?」

 その素朴すぎる疑問に返る答えはなかったらしい。

END




〜雨降る日の恋人〜
なんか私が書くと大佐って弱々になりますね〜。
いや、書いてて楽しいですが(笑)。
素朴で無邪気な問いはやはりアルフォンス君が担当。歳では一回りは大人の大佐の心をグサグサ刺してくれたこと間違いなしですね。いいなあ、この子。ダメージ度は大佐がどのくらい中尉に傾いてるかによるので、その辺は読んだ人の解釈しだいッス。(無責任な)
そして、ホークアイさんはこんな感じ。厳しくてあくまで強気の彼女が好きです♪