一方は外見、怠け者の女好きで。
そして、もう一方は外見も実際も生真面目な堅物。
そんな二人は男女という性別の違いを別にしても、かなり対照的な性格の持ち主だった。とはいえ、任務に支障をきたすどころか逆に互いを補いあって上々ならば文句はないトコロ。
ただ。
この二人の数少ない共通点の一つが『意地っ張り』というのはけっこう問題ではないかとハボックは思うのだ。
険悪極まりない空気に包まれた執務室に足を踏み入れる時のその居心地の悪さといったら、ため息モノである。
だから。
「中央からの特急便です。大佐」
さっさと退室しようと用件だけを短く告げて、四角い茶封筒を執務机の向こうに差し出す。
眉間にシワを寄せたままの上司は不機嫌そうな顔つきを誤魔化そうともせず、封筒を受け取る。その時、差し出された手の動きで空気が揺れ、独特の甘い香りがハボックの鼻に届いた。
『ホントにこの人は…』
執務室に入った時から感じていたほのかな香り。
間違いなく女性が好む香水の香りにげんなりしながら、ため息ばかりはなんとかこらえてみせる。
余計な刺激も、口実も与えるのは厳禁だ。
だからこそ、そばに佇んでいる中尉の顔も見ない。
ずっと口を閉ざしたまま黙々と書類整理に励むホークアイ中尉。
ここ最近の彼女はマスタング大佐と一緒にいる場に限り、にこりともしないどころか、頬の筋肉すらぴくりとも動かさないほどの無表情ぶりだった。それを見なくても、彼女が怒っているのは気配でイヤというほどわかってしまう。
怒りの対象はもちろん、恋人からの移り香を残したままの上司。
しかし、怒りの理由が”嫉妬”などではないところが中尉らしい点だった。
『匂いは敵に自分の位置をさとられる危険があります』
そんな危険な場面はそうそうないとはいえ、軍に所属する人間ならば想定しておかしくない状況を考え、彼女は懸念した。元々、彼女自身、香水を身につけることはなく、化粧品や整髪料にまで気を配る念の入れようだった。
だからこそ。
煙草の匂いが染みついたハボックにも時々、小言を言っては良い返事を得られず、困ったようにため息をつく。それも相手の身を案じてのコトとわかるから、反発するより、ハボックもなんとなくうれしいと感じるのだが。
司令部にあるシャワールームに行けば簡単に落とせる香りを残したままでいる男はいったい何を考えているやら。
中尉の嫉妬心を煽ろうという試みなのか、単なる嫌がらせなのか。
それとも、注進してくる中尉とのやりとりをただ楽しんでいるだけなのか?
どれもハズレではないような気がするが、なかなかそうと核心を悟らせないところはさすがマスタング大佐だと思う。
ただ問題は、それが行き過ぎた時。
ブチ切れた中尉が大佐めがけてバケツの水をぶっかけた日には周囲を巻き込む大惨事…ならぬ大喧嘩勃発。
その後の冷戦状態は数日を経た今でもまだ続いている。
無事に執務室から逃げ出せたハボックは、はーっと盛大なため息をついた。
正直言って、『面白い』とは思うのだ。
いい歳した大人で、しかも地位のある二人がまるで子供のようにつまらないコトで喧嘩をして未だに意地を張り続けている。
でも、いつまでもいつまでもこんな調子でいられるのも周りは疲れるわけで。
どーにかならないものかと思っていたハボックはその日の夕刻、幸か不幸か、一つのチャンスを手に入れた。
「中尉、こんなとこで何してんですか?」
薄暗い資料室で、ランプ一つの灯りだけを頼りに古びたファイルを覗き込んでいた相手にハボックは少し驚きながら声をかけた。
夜の冷気が忍び込み始めているというのに彼女は薄い長袖一枚という格好だった。上着は?と思って視線を巡らせると、近くの椅子の背にかけてあるのが見えた。
「どうしたんです?ソレ」
本来、濃い青色であるはずの上着がうっすらと白くなっている。
中尉はちょっと笑って、
「本棚の上に積んであった資料が落ちてきて埃まみれになってしまったの。着てると息苦しくて」
だから、脱いであるのだと告げるように視線を流す。
「少尉も何か資料を探しに?」
「は?あー、まあ、そんなもんです」
まさかサボりに来たとも言えない。ハボックは手頃な棚に手を伸ばし、用もないファイルの背表紙に視線を走らせてみた。
幸いそれ以上の詮索はせずにファイルへと目を戻した中尉が黙々と紙を繰る音だけが静かな室内に響く。
ふだん、あまり人が寄りつかない場所は積もる埃も分厚く、汚かった。
それに寒さも増してきたとなれば、ナゼ自分はこんな所に来てしまったのだろうと後悔の方が強くなってくる。
ハボックはさっさと退散だとばかりに一冊のファイルを手に取った。
そして、真剣な顔つきで資料を覗き込んでいる中尉を振り返る。
「中尉、寒くないです?」
「ん、ええ。大丈夫よ」
「そうすか…」
見てる方からすると寒そうに見えるんですけどね。
大丈夫と言われたから、とこのまま行ってしまうには気分がスッキリしない。
『それに…』
それに、と思いながらハボックは上着のボタンを外した。
「中尉に風邪なんてひかれたらイヤなんで」
そんなありふれた言い訳をしながら、勝手に中尉の肩の上へと自分の上着をかける。少し驚いたように顔を上げる相手に彼は片目を瞑って笑いかけた。
「煙草臭いのは少々我慢してください」
「そんなのは別に…でも、もうあと10分もかからないと思うから」
「じゃ、10分後に返してください」
そういうことで、と手を振り、上着を返される前にさっさと資料室を出る。
背後で「ありがとう」という声が聞こえた。
厳しくて、生真面目で、思いのほか素直な上官。
本当は呑気にお礼なんて言ってる場合じゃないと思うのだが。
意外なところで鈍感なんだよな、とハボックはこぼれそうになる笑いを懸命に噛み殺した。
たかが10分?
いや、それだけの時間があれば、煙草の匂いを服に残すには充分だろう。
執務室へ戻る前に服を着替えられたらアウトだが。
もし、そのまま大佐のいる執務室へ戻るとしたら…?
どんな事態になるのか、考えてみるになかなか楽しいコトだった。
薄いシャツ一枚のハボックは小さなくしゃみをこぼしながら、
「だから辞められないんだよな」
と呟いた。
*
さて、翌日。
機嫌の良い中尉の横にいるマスタング大佐からは数日ぶりに香水の香りが消えていたとのこと。
風邪で欠勤したハボックがそれを知るのは更に翌日のこととなる。
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