そこに行ってみよう、なんて思ったのはただの気まぐれだった。
仕事の合間にぽっかりできたヒマ。
いつもならそのまま部屋でぼーっとするか、仮眠室で眠るかするところを彼はふとした気まぐれから射撃訓練室へと足を向けた。
すべてがソコソコであればいいと思っている彼は射撃の腕を上げるコトにもあまり興味がない。
仮にその気まぐれに理由をつけるなら、建物の外はひどく天気が良くて。
そんな日に面倒な仕事をしながら、そのうえ地下の暗い射撃場に行くというひねくれた選択が気に入ったから、と言えるかもしれない。
煙草を唇の端に挟んだまま、彼は防音設備の整った部屋の扉を開けた。
わずかに硝煙の匂いはするものの、射撃場とは防音ガラスで仕切られたそこまで銃撃音は届かない。
馴染みの管理係に軽く挨拶しながら、彼は棚から補充用の弾丸ケースを取り上げた。そこには様々な銃器類もずらりと並べ置かれていたが、銃は腰のホルスターに納めてあるモノで充分だった。
次いで壁にかけてあった防音用のイヤーカバーを取り上げ、彼は射撃場の方へと目を向ける。
そして。
防音防弾用ガラスの向こう、その風景に軽く目を見張った。
「中尉…?」
思いもかけない人物の背中に、ぽろりと口から落ちかけた煙草を慌ててくわえ直す。
『おいおい、なんでここにあの人がいるんだ?』
まばたきして目をこらすが、見慣れた後ろ姿は見間違えようもない。
ぴんと伸ばされた背筋に首筋、髪留めで留められた髪は一筋もこぼれることなくまとめ上げられている。
なにより、的に対して銃を構えて立つその隙のない立ち姿。
別に、その人がこの場所にいるのはさして珍しいコトではない。
ただ、問題は今日が中尉にとって数少ない休日に当たるというコトだ。
「真面目にもほどがあるだろ…」
きちんと軍服まで着込んだその姿に呆れた呟きがこぼれる。
それがまさか聞こえたとは思わない。
が、まさに計ったかのようなタイミングで振り向いた中尉の目とぶつかり、彼は今度こそ不覚にも煙草をぽとりと床に落とした。
「あーあ…」
落としちまったよ…。
やれやれと身を屈めて吸いさしの煙草を拾い上げ、どうするかちょっと考えた末に近くにあった灰皿へそれを押しつける。
そうして視線を戻すとまるで何事もなかったかのように再び的に向かう中尉の後ろ姿が見えた。今度は左手に握られた小型小銃。
的確に、素早く的を貫く。
彼はガラスの扉を通り抜け、中尉が立つ仕切の隣に立った。
数メートル先に立てられた人型の板は頭部と心臓部を中心に弾痕が残っていた。それが若く、しかも女性でありながら彼よりも上官である相手の実力を明示する。
そして、隣で試し撃ちを試みた彼の結果は命中率八割強の凡打といったところか。利き手ではない左手で中尉が出す結果よりも劣る。
しかし、残念ながらそれを悔しいと思うほどの闘争心は彼にはなかった。
ただほんの少しだけ…癪な気がするだけ。
だから。
「急な仕事でも入ったんすか?」
弾が切れた隙を狙って、邪魔をしてみる。
騒音を防ぐイヤーカバーをしていては声など聞こえるはずもないが、気配は伝わったのだろう。
顔だけ振り向いた中尉に彼はもう一度同じ言葉を繰り返した。
「急な仕事でも入ったんすか?」
「いいえ」
と中尉は苦笑混じりに応えた。
「単なる日課」
唇がそう言葉を刻む。
「これ以上、強くなってどうするってんです?中尉」
声の代わりに、ゆっくり動く唇の形で成立させる会話。
その問いかけが読みとれなかったわけではないだろうが、彼女はただ曖昧に微笑んだだけで、視線を的に戻した。
このわずかな時間で切り替えられる意識。
鋭く的を見据える眼には迷いも躊躇いもなく、それが現場で実際に人間を相手にする時となんら変わりないコトを彼は知っていた。
同じ上司の下につくようになってから、過ぎた時間はそう短くない。
女性でありながら射撃の腕前において軍部内でも十指に入ろうかという彼女に、出世欲なんてモノがまったくないコトもよく知っている。
常に自らを鍛え、強くなる。
何の為に?
…誰の為に?
それは愚かすぎる問いだとよくわかっていた。
それでも。
「そんなに大切ですか?あの人が」
脳裏に浮かぶ男の顔に、ため息混じりの呟きが漏れてしまう。
恋人同士でもなく、ただの上司と部下の関係でしかないのに。
なのに、命をかけるんですか?
『そんなに大切ですか?あの人が』
どうせ聞こえやしないと声に出してしまった言葉。
なのに、またしてもタイミング良く振り返った瞳に息が止まりそうになる。
「ハボック少尉」
「はい?」
「せっかく来たんだから、見学ばかりしてないで練習しないと」
「…………」
真面目極まりない言葉に、彼は思わず肩を落として苦笑した。
まっすぐに前を向き、ただひとつのコトを優先させて彼女は進んでゆく。
のらりくらりと後からゆっくり道を行く自分には到底、不可能な生き方で。
正直なところ、多大な憧れと、少しばかりの嫉妬を感じずにはいられない。
そして。
そんな彼女をいろいろな意味で独占している相手を羨ましく、妬ましく思えるのもまた事実。
「少尉?」
怪訝そうな視線に、なんでもないと彼は手をひらひら振ってみせた。
「そうすね。せっかくだし今日は真面目に練習しときます」
あなたと同じような生き方はできないけれど。
まあ、ほどほど真面目に。
それが自分の生き方。
「やっぱり大佐よりはマシの位置キープしとかないとマズイですからね」
思わず、というようにこぼれた失笑が視界の隅をかすめる。
それに目だけで笑い返しながら、彼は口元を引き締め、銃を構えた。
そんな彼が目の前に立つ的に誰の姿を重ねていたか? …なんてコトは誰も知らなくていいことだったに違いない。
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