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いつもと変わらず言葉を交わし、視線を交わし、過ごしていても。
それが『平静を装っているだけ』なのだと見抜ける彼女が、わたしは時々、怖くなる。
*
「何かありましたか?大佐」
昼の休憩時間が終わって、いつものように書類の処理をして数時間、いきなり鋭く切り込まれ、わたしは一瞬、焦った。
とはいえ、平静を装うことなど慣れたものだ。
そうそう簡単に表情を崩したりなどしない。
「別に何もないが?中尉」
いつものように書類整理はだるい、とばかりに頭を掻いて応える。
だが、続く彼女の言葉には平静が崩れた。
「ですが、大佐、こちらとこちらの書類に関してですが、スペルミスがいくつか…」
ばかな、と思ったのだ。
確かに気がかりなことがあったが、それを努めて表に出すまいと、書類のミスなど出すまいと注意していたというのに!
まさか、という思いがぐるぐると頭の中を駆けめぐる。
それが事実なら、彼女が不審に思うのも確かなわけで。
「さっきの話を聞いて…ましたね?」
確信を持ったかのような言葉に、頭の中が冷えた。
彼女が言っているのが、昼の休憩時間にハボック少尉と話していたプロポーズ云々のことだというのはわかっていた。
それでも、認めるわけにはいかない事情がある。
「さっきの話…?」
「はい」
「なんのことだかわからないが…」
苦笑と無難な言葉で誤魔化そうと試みる。
「…さっきのあなたの質問の答えは『Yes』ね」
『結婚してもいいと思うようなプロポーズをされたことがあるか?』とハボック少尉に聞かれて彼女が答えた言葉。
彼女はほかに誰も聞いていないと思っていただろう。
でも、幸か不幸か、わたしはそれを聞いてしまったのだった。
それから、ずっと頭を離れない疑問がある。
『いつ?』
『誰に?』
『自分はそんなことをした覚えはない!』
いっそ聞いてしまいたいところだが、過去のコトなら、そんなことまで根掘り葉掘り追求するのは論外だった。
現在進行形のハズはない…とは思うのだ。自分が彼女にプロポーズの言葉を告げた記憶はまったくないのだから。
とりあえず、『忘れてしまおう』と思う。
なのに、彼女の言葉は無情だ。
「それなら別にかまいませんが。実際、あの件は今でも有効事項ですので知っている人が少ないというのは喜ばし…」
我慢、できなかった。
自分の可能性はないという事実に、苛立たしさが押さえきれず、机を叩いていた。
「いつ、誰に?わたしには覚えがないんだが?」
地を這うような低い声が唇からこぼれる。
これで誤魔化すことはできなくなったが、もうどうでもよかった。
怒りをこらえきれずに彼女を睨むが、彼女は驚きも、怯えもせず、逆に笑みをこぼした。
取り乱すわたしのことがおかしいのかと腹が立ったが、それを制するように投げられた言葉に、わたしは唖然とする。
「いつも。あなたに」
ナニが?
「え…?」
「二度は言いません」
いたずらっ子のように、彼女はくすくす笑ってわたしを見る。
「さあ、わかったら、気持ちを切り替えてしっかり働いてください」
「ちょっと待て!わたしには覚えが…」
彼女の言葉からすると、わたしがプロポーズしたということだが…。
そんな覚えのないわたしとしては冷や汗が出そうだった。
プロポーズなんて大事なことを忘れてしまうなんて!
「覚えてないんですか?」
彼女の少し責めるような視線が痛い。
「覚えてなくても私はぜんぜんかまいませんので。とりあえず、やることを先に片づけてください」
そう言われて、ハイそうですかと横に置いておける問題ではなかった。
あれはちがうし、これもちがうだろう…?
必死に記憶を探るわたしの耳に、彼女のため息が聞こえ、
「日常的なささいな言葉で、たとえそういう意図がなかったとしても、私はそう思った…というだけのことなのです」
そんな驚くべきセリフが続いた。
驚いて彼女を見ると少し恥ずかしそうに横を向いて、
「ご了承いただけましたら、仕事に戻ってください」
いつになく事務的な口調でそんなことを言う。
わずかに赤い頬がかわいかった。
それは反則技だろう?
書類の束をめくろうとしていた腕をつかみ、引き寄せる。
「…っ」
珍しくスキだらけで、簡単にバランスを崩した体を受け止めるのは容易い。
意地悪で、正直で、かわいい彼女が愛しくてたまらなかった。
「愛している」
耳元をかすめるように囁く。
ここは執務室で、勤務中だから、今はこれだけ。
彼女に抵抗される前に、腕を解いて解放する。
なんだか、とても幸せな気分だった。
「今日はいつもより仕事がはかどりそうだ」
小言を言われるかと思ったが、彼女は困ったように苦笑しただけだった。
「…それはなによりです」
*
いつもと変わらず言葉を交わし、視線を交わし、過ごしていても。
それが『平静を装っているだけ』なのだと見抜ける彼女に、わたしは時々、恐れをいだきつつも、気に入っている。
今のわたしの気持ちもきっとバレているにちがいない。
…そうだといいと、わたしは思うのだ。
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