雨が降る。
窓の外に広がる灰色の景色に途切れるコトのない雨音。
それはあまり気持ちの良い環境とは言えないが、すべて当たり前の自然現象がもたらすモノ。
毎日毎日、晴ればかりより。
たまにはこんな日があっても悪くないと割りきってしまえば気にならない。
ただ、この”現象”だけはどうにかならないものか、と彼女は頭痛のする額を指で押さえて思った。
「大佐」
自分の声に疲れが滲んでいるのを自覚する。
「大佐、いいかげんにそのうっとおしいため息、やめていただけませんか」
激しい雨音にもかき消されることなく、耳に届いてくる吐息。
それも相手が聞こえよがしにわざとやっているとわかるからこそ、神経に障る。
その上、目を向けてみれば、これ見よがしに一枚も手をつけてない書類の山が視界に入り込む。
「マスタング大佐」
「…私は傷ついているんだ」
わかるかね?中尉。
と、机の上で組んだ手の向こうから、黒い瞳が責めるように彼女を見ていた。
「君にああ言われて以来、雨の日は憂鬱でね。何も手につかない」
ふううううっと重いため息が言葉に重なる。
思わず、チッと舌打ちしそうになり、彼女は少しだけ顔を背けた。
「いいかげんしつこいと思っているのだろうが、私はそれだけのショックを受けたということだ」
「…謝罪はしたはずですが」
こぼれそうになるため息をなんとか噛み殺す。
「そういう問題ではないだろう?」
わかっていないな、と大仰に肩を竦めて言うロイに、彼女は負けてなるかと軽く眉を上げて見返した。
場所はマスタング大佐の執務室。
傍らに用意された自分の机に着いていたホークアイはゆっくりと立ち上がりながら、言葉を撰んだ。
「ではどういう問題だとおっしゃるんです」
不思議な威圧感を与えてくる視線に逆らい、彼女はまっすぐ上司の執務机の前までくると挑むように相手を見下ろした。
そんな彼女をロイは面白そうに見上げて、ニヤリを笑う。
「たまには私の自尊心が回復するような言葉のひとつもくれていいんじゃないか?ホークアイ中尉」
つまり。
「褒めろというコトですか?」
「ああ、そうだ」
まったく悪びれもせず子供じみた要求をしてくる相手に、彼女は軽い目眩を覚えた。
くだらないコトを言わないでください、とつっぱねることもできた。
が、そうするとますますヘソを曲げるだろう男の姿もまた簡単に予想できてしまったから始末に負えない。
「褒めるということはあなたの長所ですか…」
憂鬱な気持ちを懸命に振り払いつつ、真面目に考えてみる。
この、まるでワガママな子供のような人の長所。
ないわけではないのだが、普段悪いところばかりが目に付くせいでなかなか思い出すコトができない。
「中尉…そんなに苦しむほどの質問かね?」
ひくりと片方の頬を引きつらせ、剣呑な目で見上げてくるロイ。
その様子に、どうやら少しばかり相手を傷つけてしまったようだと気づく。
『いい歳をした大人のくせに、本当に子供のよう』
仕方がないわね、と胸の内で呟く。
「そうですね…。あなたがこれまで一度も女性関係で修羅場に陥ったコトがないというのはとてもスゴイと思っておりますが」
努めて真面目な顔つきで言ってみる。
するとため息混じりの声が返ってきた。
「ああ。その点については私も自負しているところだ」
苦笑し、今度は恨めしげな視線で見上げながら言う。
「君は本当に意地悪だな、中尉」
自覚があるから、あえて反論はしない。
彼女はちょっと笑って「ですが…」とほんの少し語調を和らげた。
「本気を出したあなたが非常に有能な方であることは私も認めます。それにとてもお優しい方だと思っております」
ふだんそうと思っていても決して言わない言葉。
目の前にいる男が明らかに驚いているように、それを口にするだけの勇気は彼女にとってかなり消耗率が高いシロモノだった。
頬の筋肉と腹筋に常にない力がかかっているのを感じる。
「中尉…?」
自分から仕掛けてきたくせに、まだ半信半疑でいるロイに彼女は笑いかけた。
そう簡単に相手を喜ばせてやるほど甘い人間ではないのだ、自分は。
『肉を切らせて、骨を断つ』
だから。
「先日、池のほとりで魚に餌を撒いておられましたよね」
その瞬間、顔を強ばらせた相手の様子には気づかぬフリで言葉を続ける。
「苦手とする水場の近くでわざわざ魚のために餌をやるあなたの姿に感心したものです」
「中尉ッ」
まるで噛みつくように呼ぶ声に、彼女は「どうかしましたか?」と不思議そうに首を傾げてみせた。
魚に餌を撒いていたとある人物が足を滑らせて池に落ち、逆に魚に食われかけた…なんてコトなど知らないというように見返す。
「中尉、君は本当に意地が悪すぎる」
心底悔しそうな声と視線に。
彼女はこらえきれず、小さく吹きだした。
「お褒めにあずかり光栄です」
「褒めたつもりはまったくないが…」
ロイはぼやくように言いながら、少し目を細めて彼女を見上げた。
「まあ、いいとするか」
雨が降る。
窓の外に広がる灰色の景色に途切れるコトのない雨音。
それはあまり気持ちの良い環境とは言えないが、すべて当たり前の自然現象がもたらすモノ。
毎日毎日、晴ればかりより。
たまにはこんな日があっても悪くないと割りきってしまえば気にならない。
なにより、滅多に見るコトのできないモノが見られるなら。
雨の日も悪くないと思ったのは彼か、それとも彼女の方だったのか?
それを知るのはこの降り続く雨だけ。
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