*** St.valentine's window *** |
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『02/02/14』 作成したデータに付随する更新日時のその日付を見て、彼はふとキーを叩く指を止めた。 今日という日が何月何日であろうと単なる数字の羅列としか認識しないそれがなぜだか気にかかる。 『さて、何か特別な日付だったでしょうか』 手慣れた様子で『2月14日』とデータ検索をかけ、その結果に彼は怪訝な面持ちになる。 『ああ、そういえば、そんな風習がありましたね』 「St.Valentine's Day」 殉職した聖バレンタインを記念するカトリックの祝日であり、女性が男性に求愛できる特別な日。 巷ではチョコレート菓子が飛び交い、製菓業界の陰謀説も噂されるという。 が、そんなコトは彼の関心の範疇ではない。ハッキリ言ってしまえば、どうでもいい事の一つである。 『…こんなことが気になったのでしょうか?わたしにはまったくもって関係ない事柄だというのに』 そう思いながらも、首の後ろに忍び寄るイヤな気配をゾクリと感じて彼は顔をしかめた。 『こういう感じの時は決まってあの人がらみだったりしますが…。-ッ!というより、これはあの人の好きそうなイベントなのでは!?』 とたん、彼の顔色はいつも以上に青ざめていた。 脳裏に浮かぶのは極悪なまでに脳天気な笑顔をした少女の姿。 彼にとってはまさに『天敵』とも呼ぶべき存在。 そんな相手のコトを、もしかしたら他の誰より自分が一番よく理解しているかもしれない…というのは胸が悪くなる事実である。 己の優れた分析力に自己嫌悪というストレスを受け、彼は盛大なため息をついた。目の前の仕事が期限内に仕上がるかどうかなど、もはや些末な問題にすぎない。 『とにかく、もしものために対策を…』 そう考えた矢先のコトだった。 実にタイミング良く来訪者を告げるチャイムの音が彼の研究室に響き渡る。 |
| 『ウッ』 ウソでしょう…? 対策を講じるどころの話ではない。 早くもドッと押し寄せてきた疲労感に耐えきれず、彼は椅子の背もたれに身を沈め、天井を仰いだ。 『彼女だけはやめてくださいっ』 超現実的なプログラムソフトでありながら、彼は祈りにも近い想いでそう願った。しかし、「誰です?」と義務的に問いかける声は既に絶望の色が濃い。 そして。 「わたしですわ〜♪ウィルスさん」 その明るい声に、彼は額を押さえて呻いた。 入ってくるなと止める間などない。 否。そう言ったところで止まってくれる相手ではなかっただろう。 しかも最悪なコトにこの問答無用でやってくる侵入者を防ぐ手だてを彼は持たなかった。プログラムの『保護、防御』を専門とする少女にとって、入り口のロックを解くことなど簡単なコトなのだから。 ここで勝手をするなと文句を言っても「開ける手間が省けて良いじゃないですか〜♪」と押し切られるのは目に見えている。 「こんにちわ〜♪お体の調子はどうですか?」 にこにこ笑いながら近づいてくる少女が持つバスケットに嫌な予感を強めながら、彼は不機嫌さを隠しもせず応えた。 「問題などありませんよッ。今日はいったい何をしに来たんです!?」 その態度は警戒心いっぱいの野良猫にも似ていたかもしれない。 しかし、少女は鋭い爪に引っ掻かれる心配なんて気にも留めていない様子で彼に近づく。 「何って決まってるじゃありませんか〜♪今日はバレンタインなんですよv」 バスケットからハート形の小箱が取り出される。 光沢のある真っ白な包装紙の上ではピンクと赤の細いリボンがくるくる巻いて揺れていた。 この状況でコレをどうしたいのか?などと聞くのは愚問だろうと彼にもよくわかっていた。 そう、わかるからこそ、頬が引きつるのだ。 凍りついたかのように動きの止まった彼に少女はずいと小箱を差し出す。 「はい、どうぞ♪」 「…………」 「あらあ、遠慮なんてウィルスさんらしくありませんわ〜」 そこで彼が”冷静”であるためのプログラムがぷつんっと途切れた。 「誰が遠慮ですッ!誰がッ!?」 こめかみに青筋まで立て、声を荒げる。 「わたしには必要ない物です。要りませんッ!ええ、ぜっっったいにいただくつもりはありませんので」 とっとと帰ってくださいッ!…と言い終えるまでもなく、相変わらずの脳天気さで少女は笑顔のまま一つ目の爆弾発言を落とした。 「あら〜、照れていらっしゃるんですね〜♪」 「…………ッ!!」 そのあまりの精神的負荷に彼は言語中枢機能を放棄した。その一方で懸命に”冷静さ”を取り戻そうと試みる。 が。 「それになんだか少しカリカリなさっているみたいですわ〜。ホントに働きすぎはダメですよってこの間、注意したばかりですのに」 少女は立てた人差し指を振って、困った人ですねっとばかりに彼を見た。 「でも、安心してくださいね♪今日のは自信作なんですよっ♪♪」 そう言って少女は自ら小箱の包装を解いてゆく。 ほどけたリボンに広がる包装紙。 この微々たる段階に言い知れない圧力を感じ、彼の頭がぐらりと傾ぐ。 冷静になるどころか、”何が”とか”どこが”と調べる気力もなくなるくらいすべてが消耗しきっていた。 このたった一人の少女が原因で。 「今日のチョコはカルシウム的プログラムを加えてみた自信作なんですよv」 満面の笑顔に迫られ、彼のこめかみを一筋の汗が伝う。 椅子に座っているから、などという理由ではなく、もっと怖ろしい理由から彼はその場から逃げ出すことができない。 「食べてくださいますよね♪」 それ以外、あるはずがないと信じ切っているかの瞳で少女は彼を見上げる。 開かれた箱の中にはハート形のチョコレートが3つ。 その質感もほのかに香る匂いまでよく再現された代物だ。 彼はといえば、まさにヘビに睨まれたカエルの心境だった。まことに不本意ながら、彼自身もそうと認めずにはいられない状況であった。 それでも。 「あなたは…この間のコトをまさか忘れたのではないでしょうね?」 息も絶え絶えの声で抵抗を試みる。 「この間のことですか〜?」 「忘れたとは言わせませんよ…」 思い出すだけで顔から血の気が引くような出来事。 それが彼の身に起きてから、まだ9日と13時間しか経ってはいない。 「あなたがッ!わたしに停止プログラムを組み込んだクッキーを食べさせた件ですッ!!」 その後、まる一日活動停止状態だったために彼が抱えた仕事の山々については語るまでもないだろう。 しかし、対する少女はまったく悪びれた様子もなく、ポンと軽く手を打った。 「ああ、あれですか〜♪ウィルスさんてば、やっぱり働き過ぎだったんですよ〜。本当にぐっすり気持ちよさそうにお休みになっていましたものv 」 「だ…ッ」 「あっ!今日のチョコにはそんな停止プログラムなんて入ってませんから〜。大丈夫ですよ♪」 「そんな言葉、信じると思っているのですか?」 まるで氷の刃のように冷ややかな口調で言い捨てる。 と同時に『しまったッ』と彼が気づいた時には少女の顔から笑みが消え、大きな瞳が涙で潤んでいた。 「じゃあ、どうしても食べてくださらないと…?」 「あ、当たり前でしょう!」 ふいと横を向いた彼の目の前に、少女はちょこんと回り込んで懇願の形に両手を握り締める。 そこに続く言葉も、この後の成り行きも彼にはきっちり予想できていた。 なのに回避もできない自分が呪わしい。 「食べてくださらないなら…」 少女は震える声で言葉を紡ぐ。 「泣きます」 『うっ』 二つ目の爆弾投下。 予想どおりであっても、受けた衝撃に彼は胸を押さえた。 仮に人間であったなら、不整脈で息苦しくなっていたことだろう。 ちなみにその理由は『泣かせるのが可哀想』などというものではナイ。 「それでもダメなら、暴れますぅ」 このセリフは彼にとって核爆弾並みの威力を有していた。 『ううっ』 少女の脅しが言葉だけですまないコトは、既に経験済みであった。 彼女が暴れた後の大惨事と一日機能停止後の問題とを比べてみるにどちらが地獄かは考えるまでもナイ。 早い段階からそうとわかっていたハズなのに、喉の奥に引っかかったかの声はなかなか言葉にならない。 「ウィルスさん…?」 いつの間にか細い手に握られている巨大ハンマーに彼は観念した。 「…………いただきますよ」 地を這うような低い声に。 かすかに震える指で彼は可愛らしい小箱を受け取った。 - * - その後、ウィルスの研究室は三日間閉鎖されたが、詳しい理由については金の髪の少女だけが知る”秘密”だという。 |
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** End ** |