彼の仕事は植木職人のやる作業と似通っていると言えたかもしれない。
 無駄な枝葉を切り落とし、必要なモノだけをそこに残す。
 できあがるのは見目良く整えられた樹木のように、隙なく構築されたデータと理論の山だ。
 ひとつひとつの小さなパーツが互いを補いあって、まとまりとしての美しさを作り上げように配慮する。
 そう、不必要で余分なデータは彼にとって意味がない以上に、邪魔な存在でしかなかった。
 しかし…。
「あら、いつからティーセットなんて置くようになったの?ウィルス」
 奥のデータ室から聞こえてきた声に、その瞬間、キーボードを叩いていた彼の指は凍りついた。
 声の主はコレクターの一人、アンティだった。彼女は彼の研究室を逃走経路としてだけでなく、静かで都合の良い休憩室としても活用するようになっていた。
 彼女の場合、それほど仕事の邪魔にもならないのでウィルスも大目に見ていたのだが…。
『適当な場所に突っ込んでおいたのが仇になりましたか』
 どこに置いても目障りだからと、目につかないところに圧縮して放り込んでおいた代物。
 しかし、よくよく考えてみれば、最近そこを隠れ場所にしたり、データ検索で暇つぶしをする人物がいるのだからあまり賢い方法ではなかった。
「使わせてもらっていいかしら?」
 かちゃかちゃと陶器の擦れ合う音にウィルスは眉を寄せた。
「どうぞ、ご勝手に」
 不機嫌きわまりない自分の声に。
 処理が滞ってしまったデータ画面に。
『どうしてこうなるのでしょうね』
 思わずため息をつく、という無駄な時間まで重なる。
 彼が好むのは平静、冷静といった思考を研ぎ澄ますのに都合の良い状態であり、それこそが物事を順調に進めるうえで一番大切なものだった。
 なのに、そうある時間が最近、富に減ってしまったような気がしていた。
 不愉快、不機嫌、苛立ちetc..
 精神的なそれは物理的な原因以上に、彼の作業を妨げる。
「いい茶葉を用意しているのね」
 深い翠の髪をした美女が、白い湯気を立ち上らせたティーカップを片手に現れる。
 ただただ清潔感を保たせただけの白磁のカップは彼女が持つと少し味気ない感じがして、ウィルスはサイバースコープの下でわずかに目を細めた。
『持ち手によって見える印象がこうも違ってくるものですかね』
 それは無意識のうちに行われた対比。
 しかし、自分の意識がそんな余計な思考に一瞬でも奪われたコトに彼は深く自己嫌悪する。
「あなたの分もいれた方がよかったかしら?ウィルス」
 むっつりと黙り込んでいるウィルスに彼女は不思議そうな目をした。
「いいえ。わたしはけっこうですよ。アンティ」
 そうでしょうね、というように微笑み、勝手知ったる様子で来客用の椅子を床面から取り出すアンティ。
 『未来予測』の能力のおかげだろう。彼女がウィルスを不快な気分にさせるコトは他者に比べるとはるかに少なかった。
 無意味な行為も。
 無駄に時間と労力を消費する会話もウィルスは好まない。
 そう、たとえば、この”紅茶”というアイテムにしてもそうだった。
 プログラムソフトの負担やオーバーヒートを押さえる役目を担うそれは、簡単に言ってしまえば冷却剤のようなモノだ。
 しかし、ウィルスはそれを他のデータと区別するために必要最低限の姿として”水”を模擬させ、既に持ち合わせている。だから今さら”紅茶”など彼には必要のない、無駄な代物であった。
『そう言ったのにどうして押しつけて行きますかね』
 思い出しただけでむかむかする出来事と、人物。
 彼はグロッサーの配下として”敵”として存在した時間が長かったためか、相手を嫌うコトに、また逆に嫌われるコトにも慣れていた。
 ”嫌悪感”
 彼にとってはごく自然な”感覚”であるそれも、互いを補うために創られたプログラムソフト同士では考えられない特異なモノだ。
 …と彼もまた思っていたのだが。
 彼の目の前にいるコレクターの一人は特定の人物を「嫌い」だと断言してみせた。
 それがバグのせいなのか。
 それとも彼女が人格を持つ特異プログラムソフトであるための、なんらかの作用なのか。
 問いに対する答えをはじき出すのに必要なデータはまだ足りない。
 そう、美しい理論の道を完成させるにはあと一歩、足りない。
『そろそろ次の段階に進めてみますか』
 作業途中のデータに保存をかけ、彼は椅子を回してアンティを振り返る。
 それをまるで予期していたかのように彼女は静かな眼差しでウィルスを見つめていた。
 深く澄んだ綺麗な瞳。
 その思慮深い瞳が何を考え、どんな計算をはじき出すのか。
 彼は問う。
「嫌いなら嫌いと、本人に言ってみてはどうですか?」
 それは唐突すぎるようでいて、彼ら二人にとってはごく自然な会話だった。

 *

 彼女は『未来予測』の能力で相手の先を読む。
 しかし、対するウィルスもまた、これまでの観察データの分析結果からさまざまな予測を持っていた。
 だから。
 ほんの一瞬の沈黙の後。
「それは言えないわ。ウィルス」
 そう応えたアンティの言葉は彼の予想どおりのモノであり、続く言葉もまた彼にはわかっていた。
「私たちコレクター同士で相手を”嫌う”という感情は好ましくないモノだわ」
 その揶揄するような眼差しの意味さえ、予測の範囲。
「これと同じコトを前にも言ったかしら?」
 確かに。
 以前、ウィルスは彼女に同じようなコトを言って今とまったく同じ答えを得ていた。つまり、とりたてて変化のない現状では聞くだけ無駄な問い。
 しかし、前回と違うのはここでウィルスが話を聞き流して終わりにしなかったコトだ。
 彼はわざと一歩踏み込んだ言葉を選んだ。
「アンティ。あなたは仲間を嫌うコトが好ましくないとお考えですが、本当にそうでしょうか」
「…何が言いたいのかしら?」
 眉をひそめて、アンティが聞き返す。
 彼女の持つ言葉の意味が額面どおりではないコトにウィルスは気づいていた。
 確認を装ったなかに含まれる牽制の意図。
 それをあえて無視し、
「逆説ですよ」
 わかるでしょう?と言外に意味を含めて彼は言った。
 アンティは手元のティーカップに視線を落として、小さく微笑んだ。
「では、コレクター同士が互いを嫌っても良いと言いたいの?」
 面白いコトを言うのね、と笑う。
 しかし、そんな彼女の様子からウィルスは目を離さなかった。
「それが許されているかもしれないということです」
 創造主によって。
 それが現状から導き出される答えのひとつだと彼は考えていた。
 そう、可能性としてはゼロではない。
「…理解できないわ」
 ゆるやかに首を振って否定するアンティに、彼の目は冷ややかさを帯びる。
「賢いあなたにしてはおかしな答えです。理解できないのではなく、理解したくないというのが本心ですか」
 言葉を飾ることのないそれに、アンティは何かを言おうと口を開きかけ、結局のところ赤い唇は曖昧な笑みを浮かべるに止まった。
「……………」
 ウィルスは薄い唇の端をかすかに上げて言葉を続ける。
「まあ、別に理解していただく必要性のないことですから構いませんけどね。これは可能性であって、確定された事象ではないのですから。まったく意味をなさない戯言である可能性も多大に含まれます」
 しかし。
「私はあなたが彼を嫌うという”感覚”を理解できているつもりでいますよ、アンティ。彼は短絡で早計で、思いこみが激しく身勝手で、救いようがないほどの馬鹿ですからね」
「ウィルス…」
 嫌いな相手のコトでもさすがにそこまで無情に言い切られると心苦しいのか、顔をしかめるアンティに、
「この評価はあなたがこれまでにおっしゃったコトでもありますよ。アンティ」
 彼は鋭く切り返す。
「このままでは何も変わりません」
 その言葉にアンティが応えるまでほんの少しの間があった。
 深い思考を隠すように目を伏せていたが、ほどなく彼女はいつものように口元をほころばせながらウィルスを見た。
「…そうね。でも、それではいけないかしら?」
 やわらかな声を裏切る真剣な眼差し。
 それを真正面から受け止めながら、ウィルスはうっすらと微笑んだ。それは見た者によっては意地悪く見える微笑みだったかもしれない。
「いけなくはありませんよ。アンティ」
 そして、彼はわざと直接的な言葉を避けた。
「ただ、これ以上のデータが出ないのであれば、私にとってあなたとの関わりは無意味なモノになりますね」
「…あなたにかかると私も研究サンプルのひとつにすぎないのね」
 まいったわ、とこぼれた苦笑に彼女の瞳に見えた真剣な影も紛れて消える。
「わかっていて、ここに来ていたのではないのですか」
「どうかしら…?」
 彼らのやりとりは俗に言う”狸と狐の化かし合い”に似ていた。
 相手の求める答えがなんであるのか?
 彼ら二人は相手以上にそれを理解できていたかもしれない。
 理解できていながら、いや、理解できているからこそ、直接的な答えを避けて遠回しになる言葉を選ぶ。
 だからこそ、これ以上の会話は彼らとってもはや無意味になりつつあった。
 まさにウィルスの嫌う方向へとコトは動いたといっていい。
「嫌いなら嫌いと言うべきですよ、アンティ。良くも悪くもそれで状況が動くでしょう」
 彼は遠慮なく、無責任すぎる言葉を吐いた。
「良くも悪くも…ね」
 アンティは少し困ったように呟いて、静かに椅子を立った。
「ご忠告ありがとう、と一応言っておくわ。ウィルス」
 その顔色がわずかに青ざめて見えるのは気のせいだろうか。
 それでも優美な動きで部屋を横切り、カップを片づけて帰る彼女の様子はいつもとほとんど変わらないようだった。
「それじゃ、失礼するわ」
 いつもどおりに背を向けたアンティを、およそ初めてまともにウィルスは見送った。
「さようなら。アンティ」
 呟くような声が彼女にまで届いたかはわからない。
 扉が閉まり、一人残された彼は思わず、というようにため息をつく。
 しかし、それはなにもアンティの行く末を心配してのコトなどではない。アンティ自身が言ったように、彼にとっての彼女は興味あるデータ提供者にすぎず、事態の良し悪しには関心を持たなかった。
 だから、この時こぼしたため息の理由はもっと別のコト。
「ああ、いやですね」
 作業途中のデータ画面に向かいながら、彼は憂鬱そうに首を振る。
 そして、もう一度、こぼれそうになったため息を噛み殺し、
『あなたとわたしは少しばかり似ているんですよ、アンティ』
 彼は心底嫌そうに顔をしかめたのだった。