まるで旧知の友か、ライバルのように。
  いつの間にか、相手のコトを理解するようになっていた。

 そんな事実にビクトールは喜びではなく、憮然とした気持ちを抱いた。
 なぜなら、そいつはクソ真面目で几帳面で、およそ自分とは対照的な人種で。
 うっかり関わり合いになんてなれば面倒極まりないコトになるのはわかりきっていた。
 事実、口論から始まり剣を持ち出すケンカまで、互いに衝突することも多かった。
 相手のすべてが不愉快で、腹が立って、気に入らなかった。
 それがそうでなくなったのはいつだろう?
『面白いヤツだ』
 と思ってしまったのだ。
 怒鳴りつけてもびくともせず、剣を持ち出しても怯むことなく、逆に打ち据えてくる。
 遠慮など必要としない相手の”強さ”を、彼は秘かに気に入った。
 口論もケンカも減ることはなかったが、そこにあるのは怒りだけではなく彼自身面白がっていた部分も確かにあったのだ。
 そうしているうちに話すことが増え、関わることが増え、自然と相手の姿を視界に入れるようになっていた。
 だから、知っていた。
 大きな戦さが始まる前、いつも片手を胸元に置き、目を伏せるバレリア。
 ほんの数秒という短い時間のそれは戦闘前に精神を集中させているようでもあり、また”何か”に祈りを捧げているようにも見えた。
『祈り…ねえ』
 そんな自分自身の思いつきにビクトールは苦笑したのを覚えている。
 バレリアは”神”に祈るような性分でない。そんなあやふやなモノに頼るより、己の腕を、剣を頼りにする。その点だけは珍しくビクトールと共通するものだった。
 ”祈り”なんて自分たちには必要ない。
 ビクトールはそう思っていた。
 しかし、ある時、バレリアの襟元からこぼれた銀色の光に気づいた瞬間、
『ああ、そうか』
 と不思議なほどすんなり納得するものがあった。
 銀の細い鎖。
 その先にはただ色のついた小さな石ころのようなものがついていただけだったが。
 それがバレリアにとって、とても大切なモノなのだと…理解した。
 誰から贈られたのか。
 どんな経緯で手に入れたのかなんて、わからない。
 ただ、命を賭けるその時に”祈り”にも似た特別な想いを抱くようなモノ。
 だから…。
「バレリアッ」
 いつもとどこか違う相手の雰囲気に彼は声をかけずにはいられなかった。
 魔物の爪を受け、破れていた軍服の襟元。
 そこに銀色の輝きはあっただろうか?なかっただろうか?
 まるで何事もなかったかのように振る舞う姿からはそれを窺い知ることはできない。
 それに、そんな憶測も心配も、彼女にとっては余計な世話だったかもしれない。
 仮にアレを森で失ったとして、それが手元に戻ってくる可能性は皆無に等しく。
 バレリアは今、こうしてこの砦にいるのだから。
 そう思うとこれ以上、何を言えばいいのかわからなかった。
「おまえ、何を考えてる」
 もし。
 アレを無くしたんだとしても。
『おまえなら大丈夫だよな…?』 
 バカなこと、考えてなんかいねえよな?
 確かめたくても声にできない問いの代わりに、
「首の傷、まだ完治してねえんだろーが。おとなしくしてろよ!」
 ただそんな風に牽制することしかできない自分自身にビクトールは腹が立った。
 そして。
「ああ、わかってる」
 と言って、微笑んだバレリア。
 そこに彼女特有の覇気はなく、今にも消えてしまいそうな危うさを感じて…。
「バレリア、ほんっとうにわかってんだろーな?」
「ビクトール、おまえのほうこそ部屋から出ずにおとなしくしてた方がいいんじゃないのか」
 いつもどおりの憎まれ口のようでいて、いつもとどこか少し違う声。
 ゆっくりと遠ざかってゆく後ろ姿に、
『ダメだ』
 とビクトールは思った。
 今、彼女をこのまま行かせてはいけないと…直感に近い部分で思った。
 しかし、結局、彼は伸ばしかけた手をそのまま引き戻した。
 それを後悔したのは翌朝の朝食の席で、バレリアが既に砦を出たと知った時。
『あのバカ野郎…』
 込み上げてくる怒りとも焦りともつかない気持ちを胸に、その時、ビクトールは己の過ちを深く後悔した。
 そして、こんな想いはもう二度と御免だと思ったのだ。


 だから。
 二度目は迷わず手を伸ばした。


「バレリアッ」
 深い森の中でビクトールがようやくバレリアを見つけた時、彼女は群がる魔物たちを相手に苦戦を強いられているところだった。
 ビクトールが援護に加わっても魔物の数が遥かに勝る状況では、徐々に追いつめられてゆくばかりで。
 気が付くと二人とも本当に崖っぷちに立たされていた。
 そして、息つく間もない攻防戦の最中、バレリアの方が先に崖から足を踏み外した。
 とっさに伸ばした指が、あとほんの一息のところで赤い軍服の袖を逃す。
『クソッ』
 思うより早くビクトールの体は動いていた。
『させるかよッ!』
 足が地を離れるのも構わず手を伸ばし、バレリアの腕を捕らえる。
 そこはもう空中だった。
 十数メートル下には生い茂る緑の木々が広がっていた。
 これから自分がどうなるのかなんて、考えたくもない状況で。
 それでも、驚きに見開かれた瞳に自分の姿が映っているコトに気づいたビクトールは、どこからかこみあげてくる可笑しさに笑った。
『今度は捕まえてやったぜ』
 何かに勝ったような、そんな気分だった。
 そう、結果がどうだろうとコレなら後悔なんてしない。
 だから、そんな顔するんじゃねえ…とビクトールは思った。
「すまない…」
 今にも泣きそうな顔で囁かれた言葉。
 ビクトールは掴んだ腕を引き、共に落ち行く相手の体を強く抱き寄せた。
「てめえが謝ることじゃねえさ」
 自分自身が後悔なんてしない為に選んだコト。
 あとは…
『なにがなんでも、てめえは死なせねえ』
 確固とした想いを胸に、ビクトールは迫り来る緑を睨みつけた。

 -+-

「ビクトール…?」
 名を呼ぶ声が聞こえた。
 疲れを滲ませたかすれ声はよく知っているモノのようで、初めて聞く声だった。
 重い瞼を押し上げると、闇とかすかな光が見て取れた。
 そして。
 光を遮る人影。
 顔はよく見えない。
 それでも、間近に感じる気配で彼は呟く。
「バレ、リア…?」
 よかった…と震える吐息のような声といっしょに何かがビクトールの頬に落ちた。
 それは膝をついて彼を覗き込んでいたバレリアの…
『涙…?』
 温かなしずくに、まさかと目を見張る。
 しかし、感覚が戻るにつれてビクトールは自分の思い違いに気づいた。
「バレリア!おまえ…」
 薄明かりにぼんやりと区切られる闇と影。
 地面の所々に盛り上がって見える影は…魔物の死体ではないのか!?
 周囲に満ちた血の匂いにそこがどこで、どういう状況なのかと考え至り、ビクトールははね起きようとして途端に体を折り曲げた。
「ぐうっ」
 全身がバラバラになるような衝撃。
 かすみかけた意識の裏側で彼は思い出した。
 崖から落ちた後、木々に突っ込んだ衝撃までは記憶にあった。
 よく生きていたものだと自分自身の頑丈さと運に感心しながら、打撲と数カ所の…おそらく骨折、それくらいは仕方がないと思う。
 そして、そこまで考えて、ビクトールはギクリとした。
「バレリアっ!おまえ、怪我…」
 彼女だけ無傷、だったなんて考えられなかった。
 きっとどこか怪我をしたハズ。
 その状態で魔物と戦ったのか!?
 しかし、低く押さえたバレリアの声からは体調の不良も、感情さえも読みとることはできなかった。
「ビクトール、動けるようなら自分で歩いてくれないか。あともう少し…左手に進んだ岩場に洞穴のようなものが見える。そこに一時避難する」
 ただ切羽詰まったような、有無を言わせぬ口調にビクトールは頷くよりなかった。
 闇の中、確かに近づいてくる生き物の気配は味方のモノであるはずもなく。
「早く行けっ」
 自分がただの足手まといにしかならないと知るビクトールは、軋む体を強く手で握るように押さえながら足を動かした。
 あの高さから落ちた自業自得の結果。
 後悔はしていなかった。
 それでも。
『こんなとこで死ぬんじゃねえぞ…バレリア』
 決して晴れることのない重い気持ちに彼はきつくこぶしを握りしめた。

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