まるで星が一瞬にして流れ落ちるように。
破れた襟元からこぼれ落ちた光を、バレリアは視界の隅で捕らえていた。
しかし、その光に手を差し伸べる時間も、いや、落ち行く先を見届ける間すら彼女は持たなかった。それどころか、その時『何』を落としたかという意識さえ、ほんのまばたき一つで切り捨てなければならなかったほどの切迫した状況で。
選択したのは仲間の命。
そして、手放したのは思い出の品。
『これはお守りだよ』
戦いに身を置くおまえが、生きて必ず戻ってこれるように。
告げられた言葉とそう言ってくれた家族の姿を彼女はいつも鮮明に思い出す。
手渡されたのは細い銀の鎖にガラス玉の飾りを通しただけの簡素な首飾りだった。
それでも、涙がこぼれそうなほど嬉しかったのを覚えている。
「私は生きて必ずこの家に戻るから」
何があろうと。
何を犠牲にしようと。
みんなを守り続けるために。
生き続けようと彼女はその時、固く心に誓った。
それは、家族を失った今でもバレリアにとって尊い誓いだった。
ほんの少しだけカタチを変えて、それでも続く誓いのハズだったのだ。
-*-
「それじゃ、これから三日間はみんな療養に専念するってことで」
仕事はいっさいしないように!
と厳しい顔つきでそんな命令を下したのはリーダーである少年だった。
あちこち包帯で巻かれながらも元気な少年は実に鋭く、
「特にカスミにバレリアに、フリック…たとえ簡単な荷物運びでも手伝うのは禁止だから。逆に他のヤツらをこき使うくらいの気持ちでゆっくり体を休めるように」
わかったね?と念を押す。
一命を取り留めた踊り子の少女はまだ寝たきりでこの場にいない。
が、この場にいてしかも少年の目の前にいた男はぼやくように口を開いた。
「おいおい、オレサマは関係なしかよ?」
「おまえは言わなくてもそうするつもりだろ、ビクトール」
すげない切り返しに周囲から笑いがこぼれた。
確かにそうだけどな、と大きく肩を竦めて苦く笑うビクトール。
探索から帰った後にこうして休息期間が与えられ、こんな会話が交わされるのはいつものことだった。
でも。
『三日』
いつもなら本を読んだり、こっそり書類の整理をしたりするうちにあっという間に過ぎてしまう時間だった。
なのに、それが今はバレリアにとってひどく長くて重い時間に思えた。
『長いな…』
その三日が過ぎればまた次の戦いがあって、忙しさに明け暮れる日々になるのだろう。
それだけの時間が経ってしまえば、あの魔物の森も多少変化する。
小さな落とし物など草に埋もれて、もしくは動物や魔物たちに持ち去られて、自分の手の届かないところに消えてしまうのだろう。
仮に次の探索があの森だったとしても同じルートを辿るとは限らないのだし。
自ら手放しておきながら、それのことばかり考えている自分自身に気づいて、彼女はかすかに苦笑した。
『未練がましいな』
失ってしまったのは思い出の”カタチ”。
その時の想いも誓いも記憶も何も失ってはいないというのに…。
『なんだろうな?』
この空しさは。
胸の奥に冷たい風が吹いているようなこの感じ。
『いつか…』
いつか諦めがつくだろうか?
いや、もう諦めなければならないコトだとわかっていた。
なのに、胸の奥でジリジリと焦げるような熱を感じるのも事実。
『三日』
それだけの時間があれば…。
三日という自由な時間があるなら、と危険な賭を願っている自分を彼女は知っていた。
それが誤った選択肢であるコトもまた彼女はよく理解していた。
しかもそれは己に課した誓いを破る選択になる。
「じゃあ、解散だ」
少年の言葉を合図に自室へと戻る仲間をぼんやり見ながら、彼女もまた踵を返した。
胸がイヤな感じに鼓動を刻み、気分が悪かった。
『今なら…』
今なら、なんだというのか。
それ以上は考えたくなかった言葉が脳裏に浮かぶ。
どんなに堪えてみても誤魔化しきれない本当の気持ちがあふれる。
『今なら、まだ間に合うかもしれない』
今なら、まだ取り戻せるかもしれない、と。
愚かとわかっている願いを想ってしまう。
「バレリアッ」
遠く聞こえてきた声に、廊下を歩いていた彼女は足を止めて振り返った。
そして、その相手が思いのほか近くにいたコトに少し驚く。
「ビクトール?」
ほんの数メートルの距離。
もっと遠くから呼びかけられたと思ったのは、考え事に気を取られていたからだろうか。
そんなことをぼんやりと思いながら目を、意識を凝らすようにして相手を見返す。
「なんだ?」
何か言いたそうな顔をした男は口を開きかけて、迷うように口を閉ざした。
直情的で思ったことをすぐ言葉にしてぶつけてくるヤツにしては珍しい態度に、彼女はわずかに首を傾げた。
「どうかしたのか?ビクトール」
漆黒の瞳はいつものように強い意志をのせたまま、彼女を見ていた。
いや、その鋭い視線が向けられているのはバレリアではなく、軍服の襟に隠れた彼女の首元だった。
そうと気づいて、バレリアもかすかに緊張する。
『まさか』
気づいたのか?
そんなハズはないと自分自身に言い聞かせ、平静を装う彼女にビクトールは短く、断定的な声で聞いた。
「おまえ、何を考えてる」
その声がどこか怒っているように聞こえるのは気のせいだろうか。
バレリアは少し考えるように沈黙し、そして、小さく笑った。
「たいしたコトじゃない」
もし、本当に自分の考えていることを言ったなら、コイツはどうするのか?
それはもう『てめえはバカだ愚か者だ』と罵りながら怒り狂う気がして、それがなんだかおかしかった。しかし、
「首の…」
「え…?」
突然、聞こえてきた言葉にバレリアの頬は凍りつく。
驚きを隠せずに見返す先で、ビクトールは怒ったように眉をしかめたまま、ぶっきらぼうな声で言った。
「首の傷、まだ完治してねえんだろーが。おとなしくしてろよ!」
それは少し意外で、でも、彼らしい言葉のような気がした。
自分の愚かな想いに気づいているのか、いないのか、それはわからない。
でもなんだかうれしい言葉だった。
「ああ、わかってる。ビクトール」
ほんの少し胸の痛みが和らぐのを感じながら、彼女はそっと微笑んだ。
『おまえは本当にいいヤツだな』
ただ、残念なのは。
それだけでは何も変わらないというコト。
痛みも未練もまだ強く彼女の中で変わらずに存在して。
胸に生まれた空虚感もまたこのままではどうにも埋めようがないのだと知る。
「バレリア、ほんっとうにわかってんだろーな?」
疑わしそうな声と視線に、それでも彼女は「ああ」と素直に頷いてみせた。
よくわかっているつもりだった。
このまま自分がおとなしくなんてしていられないというコトも。
自分自身が愚かな人間の一人にすぎないコトも。
だから、
「ビクトール、おまえのほうこそ部屋から出ずにおとなしくしてた方がいいんじゃないのか」
そんな憎まれ口を叩きながら、彼女は心の中で礼を言った。
『ありがとう。ビクトール』
私は本当に愚かで。
救いようがないバカなのだと思う。
たとえ間違った道とわかっていても、今度ばかりは譲れないと思ってしまう。
『頑固者なんだ』
-+-
月の光が細く地面を照らしていた。
そこは闇と光、白と黒とに塗り分けられた世界。
まるで夢のように現実感のない風景だと彼女は思った。
そして、生き物たちが自分の存在を隠すように息をひそめる闇の中に立ちつくし、呆然と目の前の地面を見下ろす。
そこに倒れた男の姿から目が離せなかった。
夢ならいい。
夢であってほしかった。
でも、これは…。
「ビ、クトール?」
震える声と入れ替わりに口の中に忍び込む冷たい夜気。
まるで悪夢のようなこれは、確かに現実なのだと彼女は思い知る。
「ビクトールッ!」
ぴくりとも動かない男に駆け寄り、手を伸ばす。
間違っているとわかっていて撰んだ道。
だから、その結果としてたとえ死ぬ目にあったとしても自業自得と割りきっていた。
覚悟していた。
それは諦めにも近い想い。
「なぜ…ッ」
こんなコトになったのだろう?
震える指を伸ばして、男の首筋に当てる。
脈はあるのか?
それとも…?
彼女はぎゅっと目を閉じ、震える声で願った。
「お願いだ…死なないでくれ、ビクトール」
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