「ん?」
廊下の先にぽつんと落ちていたのは一冊の分厚い本だった。
彼女は体をかがめてそれを拾い上げると軽く首を傾げた。
大きさはそれほどでもないが、装丁がしっかりした皮表紙。ちょっと見ても安物でないコトは確かだ。
書庫の本だろうか?
それとも誰かの落とし物だろうか?
怪訝に思いながら周囲を見渡すものの、近くに人の気配はない。
そして、なにげなくぱらぱらとページをめくった瞬間、彼女の表情は凍りついた。
反射的にぱたんと表紙が閉じられる。
「うーん…」
見るんじゃなかった、と彼女は胸のうちで呟いた。
表紙を見つめる眉間にはいつの間にか刻まれた深いシワ。
このまま元あったところに置いておこうか?
「それは…やっぱり可哀想、か?」
中に書かれた内容はあまり他人には見られたくないだろうモノだった。
自分一人だけですませておいた方がまだマシだろうか、と思う。
その時、ふいに肩が叩かれた。
「おい、バレリア」
「−−−−っ!?」
すぐ耳元で響いた低い声に、彼女はとっさに一歩飛び退いていた。
「ビ、ビクトール」
そのらしくない態度に相手は怪訝な顔つきになった。
「なんだ?バレリア」
どうかしたのか?
『こいつにだけは知られるわけにはいかない』
そんな使命感が彼女に冷静さを取り戻させた。
まだ少しばくばくする心臓をごまかすように、口元には苦笑を浮かべる。
「いや、少し考え事をしていただけだ」
「それにしちゃ、すげえ驚かなかったか?」
そして、彼はバレリアの抱える本に少し興味を持ったように「おっ」と声を上げた。
「なんだ?それ。またえらく分厚いじゃねえか」
その視線にバレリアは舌打ちしたい気分にかられた。
いつもなら本など表紙を見ただけで憂鬱になるなどと言うくせに。
こういう時にヘンな好奇心を出すな。
「あ、ああ。ちょっと書庫で借りてきたんだが、兵法書だ」
けっこうためになるぞ。
おまえも読んでみるか?
生真面目な顔をつくったバレリアはそう言って、本を差し出すフリをした。
するとおおかた彼女が予想したとおり、ビクトールはいっきに興味が失せた様子で、
「んなもん、いらねーよ」
とすぐさま自分から話題を変えた。
「そんなことより、フリックが面白れえモン見つけたってんで今から下に行くとこなんだが」
おまえも行くか?
誘いに、バレリアは少し考えるように沈黙して、
「そうだな。今のところこれといった用事もないしな」
「じゃあ、急ごうぜ」
早くも急ぎ足になって先をゆくビクトールはまるで子供のように浮き立つ気分を隠せない様子で。
バレリアは小さく笑って、後に続いた。
そして、手にした本に視線を落とし、軽く肩をすくめる。
『仕方ない、な』
この内容からして、落とし主を探すのに他人に聞いて回るわけにはいかないようだ。
ならば、自主的に名乗りをあげてもらうよりないだろう。
面倒なモノを拾ってしまったと思いながら。
その日から彼女はどこに行くにもそれを持ち歩くようになった。
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