| 夕食後の閑散とした食堂の片隅で。 彼はテーブルに頬杖をついたまま、手の中のグラスを揺らした。 そうするとグラスに注がれていた琥珀色の液体が小さく波立ち、氷が音を立てる。 しかし、そんな小さな音はすぐさま周りのざわめきに溶けて消える。 「今日はやけに静かだな。ビクトール」 やはり酒の入ったグラスを片手に、隣の席に座った相手へビクトールは唇の端をあげて応えた。 「こいつがあんまりうまいんでな」 だから無口になるんだと揶揄すると低い笑いが返った。 「いつもと同じ安酒がか?」 「夢のねえこと言うなよ、フリック」 苦笑しながら、グラスを掲げてみせる。 「ただの安酒でも天上の美酒ってヤツになるかもしれねえってこった」 「天上の美酒、ね…」 どうせ酔ってるのは酒にだけじゃねえんだろーが。 呆れたような呟きを聞こえないフリで聞き流し、ビクトールは椅子の背に体をあずけた。 心も体もほろ酔いかげんの心地よさ。 悪くない気分だ、と思いながらグラスに口をつける。 その時、ちらりと目の端に華やかな色彩がかすめた。 『赤』 それは最も好ましく、同時に最も嫌悪する色。 ほとんど条件反射で感度を上げた聴覚が、ざわめきからひとつの声を拾い上げる。 とたん、ビクトールは顔をしかめた。その変化に気づいたようにフリックも手を止める。 「ん?どう…」 した?と聞く前にフリックもまたグラスに映り込んだ色に気づいて、目を細めた。 「珍しい客人だ」 「胸クソ悪ィ」 不機嫌を隠そうともせず、ビクトールはチッと音を立てて舌打ちする。 そこに降りかかったのは彼の不快感をいや増す声だった。 「こんばんわ。ビクトールさん」 物腰と口調だけは丁寧に、その視線は侮蔑と挑発とを宿していた。 しかし、そんなことに臆するビクトールではない。 「邪魔すんじゃねえよ。ミルイヒ」 酒がまずくなるだろーがっ。 あっちへ行けとばかりに手を振る。 が、ミルイヒはそんなビクトールの態度を怒るでもなく、微笑む。 気品と優雅さと。 そして、なにより気位の高さを感じさせる笑み。 それを悪魔の微笑みのようだと思うのは偏見だろうか? 「おやおや。そんな顔しないでくださいよ」 そんな言葉に「ほっとけ!」と返そうとしたビクトールは、先手を打たれて絶句する。 「うれしくなるじゃありませんか」 「…………っ」 不機嫌な態度も相手を喜ばせているだけにすぎないと知ってビクトールは心底うんざりした。 「あのなあ…」 口を開くのですら億劫だったが、言わずにはいられない。 「ミルイヒ、オレはてめえが嫌いだっつっただろーが」 険のある目で睨みつけてみても、相手は変わらず飄々としたままだ。 「確かにそう聞いたことはありますね」 「聞いたことある、じゃねえ」 「では…ちゃんと覚えていますよ、と応えれば文句ありませんか?」 「…………くそっ」 ビクトールはもう一度舌打ちして、がりがりと頭を掻いた。 ばか丁寧なだけの回りくどい言い方は、彼を苛立たせるための”わざと”だというのはハッキリしていて。 「この際、はっきり言うがなあ…」 オレはてめえの顔見ただけでムカつくんだよ。 話しかけてくんな。 近づくな。 ビクトールはそんな大人げないコトをキッパリ言いきり、最後の最後に、 「仕事以外ではな」 必要最低限の譲歩だけは示してみせた。 そして、ミルイヒはというとそんなビクトールを斜めに見下ろして満足そうに頷いた。 「それはかなりいい提案です」 「へっ。そうかよ」 「ええ」 わたしもあなたが嫌いですから。 「…………ああ、知ってる」 その原因もな、と苦虫を噛みつぶしたような顔でビクトールは胸の内で付け足す。 「じゃあまあ、意見も合ったことだし」 どっか行きな。 しかし、 「せっかちですねえ。まだ用事は終わってませんよ」 ビクトールさん。 立てた人差し指を優雅に振りながら、ミルイヒは鷹揚とした口調で応えた。 立ち去る素振りも見せぬその余裕の態度にビクトールはますますムッとした顔になる。 「どうせロクでもねえ用事だろーが。ミルイヒ」 「そうですね。あなたにしてみたらそうでしょうとも」 「…………」 がたん、と音を立ててビクトールは椅子を立った。 これ以上は耳を貸す気にもなれないと背を向けた彼を、静かなミルイヒの声が追う。 「いいかげん理解できたのではありませんか?ビクトールさん」 「…………」 「あれは高嶺に咲く気高き花」 あなたには不釣り合いなのですよ。 淡々と、しかし譲らぬ意志の込められた言葉に、ビクトールは足を止めてゆっくりと振り返った。 NEXT |