| 願いごとひとつ【5】 |
* 願いごとなど何もないと言ったら、あなたは怒るでしょうか? * |
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| 飛ぶように走りすぎてゆく文字列を目で追いながら、彼はこぼれそうになるため息を噛み殺した。 それが何度目になるか、なんて余計なコトは考えない。 今、彼が抱え込んでいる仕事は山ほどあったがそれはいつものこと。 加えて、作業も順調に進んで予定どおりに処理できているのだから、文句などあるもはずない。 ただ。 いつの間にかキーボードの右側を定位置に置かれるようになった卓上カレンダー(イラスト付き紙製)の日付と。 少し離れたところから漂ってくる紅茶の香りに。 これから起こるだろう出来事を思って少しの期待と、そして、多大な不安を覚えてしまうのだった。 それでも常の的確さでパソコンのキーを打ち続ける彼の指は、壊れていたデータを丁寧に再構築してゆく。3つの破壊箇所を修正して、総合的に正常な機動ができるか確認すれば完成。 終了時間は14:57だった。 データを納めたディスクを依頼人に向けて発送する手間は1分もかかりはしない。呼び出したメールマンにディスクを渡し、そこで彼は初めて息をついた。 『仕事を片づけた安堵や達成感からというより、これはやはりため息の部類に入るのでしょうね?』 そんなことを胸の内で呟く彼の耳に、明るい少女の声が届く。 「お仕事終わりました?ウィルスさん」 お茶の用意をしてもいいですか〜? と、尋ねながらも新しい茶葉の入っているポットに湯を注ぐ音。 それは午後3時のティータイムという、今となっては既に習慣と化した出来事の一つ。 『でも、今日はいつもより、ひどく楽しそうじゃありませんか?』 いつも笑顔で楽しそうにしている少女を振り返り、彼は苦笑した。 それでもその仕草の一つ一つがいつもより弾んだ雰囲気を伴っているように感じるのは気のせいだろうか? 「ウィルスさん?どうかしましたか〜?」 「いいえ。別になんでもありません」 椅子を立ち、少女がお茶の用意を済ませた来客用のテーブルへと移動する。 そこに用意された紅茶も焼き菓子も現実世界の味覚が再現されたいわゆる高価な嗜好品。その無駄とも思える開発品の存在意義には今でもウィルスは首を傾げずにはいられない。 それでも、この金の髪の少女が誰のためにそれを作り続けているのかを思うと何も言えなくなる。彼は差し出されたティーカップを「ありがとうございます」と受け取り、素直に口をつけた。 褒め言葉を言うのも稀だったが、向かいに座った少女はそれだけで満足らしかった。 「ところでウィルスさん♪」 にっこりと曇りのない笑顔。 それが見られるだけで、疲れも吹き飛ぶというのは言わない。 なぜなら、少女の明るい色の瞳は吹き飛んだ疲れと同じだけのモノを奥に隠しているコトがあるのだから。 「なんです?レスキュー」 「もうすぐ七夕ですよね♪」 「そうみたいですね」 きましたね、という呟きは隠し、ウィルスは気のない調子で頷いた。 「で、そのお願いごとのことなんですけど…」 そう言いながら、少女はテーブルの上に積んであった色紙の束を取り上げ、ちょっと困ったようにウィルスを見た。 「お願いがたくさんありすぎて、どれにしようかな〜って迷ってますの♪」 本当に困っているというように寄せられた眉とは裏腹に、弾んだままの声。そうして白い指で、短冊用の色紙をまるで扇のように広げた。 ちょうどクッキーを食べていたウィルスは丸い文字の書かれたそれにちらりと視線を落とし、ゴホッとむせかえった。 「…ッ」 「あらあら、大変〜」 『わかっていて、やりましたねっ』 違和感を感じる喉を押さえて、ごほごほ咳き込む。 慌てることなく、すっと差し出されたコップの水を彼は迷わず飲み干した。 「レスキュー…あなた、わざと…」 恨めしげに顔を上げたウィルスはしかし、目の前に突き付けられた短冊に続けるべき言葉を失う。 「ね、ウィルスさんはどれがいいと思います〜?」 -ウィルスさんがいつも元気でいますように♪ -ウィルスさんとの茶会がいつまでも続きますように♪ -ウィルスさんと週に一度はデートできますように♪ -ウィルスさんがデートの時に手をつないで歩いてくれますように♪ -ウィルスさんがおやすみのキスをしてくれますように♪ -ウィルスさんとの時間を邪魔する人がいなくなりますように♪ -ウィルスさんが…etc.. 『嫌がらせですか?』 個人名詞を出しての注文にも問題があるが、内容がだんだんおかしくなってきているように思うのは気のせい…ではあるまい。 「全部、却下ですっ」 少女の手から短冊を抜き取り、きっぱりと言いきる。 こんな内容の短冊が誰か他人の目に触れると考えるだけで、全身から血の気が引くように感じる。 『あなたには羞恥心がないんですかっ』 と思うのだが、 『あら〜、別に恥ずかしいコトじゃないじゃありませんか〜。それにわたしの正直な気持ちですし♪』 と言って、この少女なら平気でこの短冊を衆人の目にさらしてくれることだろう。自分自身の想像で動悸が早まる胸を押さえる。 「七夕の短冊なんですから、もっと別の願いごとにしておきなさい」 「でもでも、これが今、一番!かなってほしい願いごとなんですもの〜」 堂々とそう宣言する少女にウィルスはうっと息を詰めた。 七夕が近いと知ってから、少女がこの手の願いごとをしそうだとは予測していたものの…。 まさか、ここまでしてくれるとは。 『それにふつう願いごとは一つでしょう?』 ウィルスはため息をつきつつ、取り上げた短冊中から山吹色の一枚を抜き取った。 -お仕事が多くも少なくもなくて、適度にありますように♪ ただ一枚、固有名詞の書かれていない短冊。 彼らプログラムソフトにとって『仕事』というモノは自身の存在意義としてなくてはならないものだった。とりわけ、ウィルスにとってはそうだ。 だから。 それは多分に、わかっていて書かれた願い。 『私がこれを選ぶしかないとわかっていて用意しましたね?』 サイバースコープに隠された目を細め、書かれた文字を追いながら彼は山吹色の短冊を少女に差し出した。 「これにしておきなさい」 「でも、ウィルスさん…」 一方的な決めつけに抗議しかけた少女を遮り、彼は言葉を続ける。 「かなう願いなら、笹につるす必要もないでしょう?」 その瞬間、少女の顔が明るい笑顔に一転した。 「はい♪ウィルスさんがそう言うなら、そうしておきますね♪♪」 元気の良い返事だった。 そして、「あっ」と呟き、お茶が冷めていることに気づいた少女は短冊をテーブルに置くと弾む足取りで踵を返した。スカートの裾を翻して向かう隣のデータ室には、彼女用の備品置き場が作られている。 『いつの間にか』 そう、すべてがいつの間にか定着してしまった。 こういう駆け引きも。 自分自身の選択肢も。 相手は実に確信犯的ではあったが、文句を言う気にならないのもいつものコト。 『この状況に不満ではなく、満足しているのですから不思議です』 時々、ふとそう思う。 たとえば、自分ならば七夕の願いに何を書くだろうかと彼はここ数日考えていたが、さてさて、仕事さえできれば十分と思って生きてきた彼にとってそれ以上の『願い』はそうそう思いつくものでない。 -レスキューのワガママがもう少し減りますように。 -レスキューが仕事の邪魔をしませんように。 -レスキューが八つ当たりでデータを壊しませんように。 とか、細々したコトはいくつか思い浮かんだものの、そんな注文は”彼女らしさ”の妨げにしかならないのだろう。ならば、願うこと自体が無意味なことだった。 そして、仕事=コムネットの問題であるウィルスにとって、他の者とちがいコムネットの平和など願ったりはしない。 結局のところ、願うとすれば適度な仕事量といったところだろうか。 しかし、それもレスキューによって先取りされてしまったが。 「七夕の願いごと、ウィルスさんは決まりました?」 改めてお茶を入れ直した少女が興味津々といった瞳で彼の顔を覗き込み、問いかける。 短冊どうぞ♪とまだ何も書かれていない色紙の束が差し出されたが、ウィルスは指を出さずに肩をすくめて返した。 「私には特にこれといって願うことはありませんよ。レスキュー」 今のままで十分です。 そう言うと、少女は不満そうに軽く頬を膨らませた。 「今のままで十分なんて、ひどいですわっ。ウィルスさん」 「は?」 さすがのウィルスにも『何』がひどいのかわからず、一瞬、戸惑う。 「だって、お休み、少なすぎるじゃないですか〜」 「少ない…ですか?」 「もう、少ないに決まってますわ〜!いいですっ。ウィルスさんのお願い、わたしが決めてあげますね♪」 薄い緑の短冊を勝手に選んだ少女は腰に手を当て、ペンを握った右手を振り上げ宣言するように言う。 「ウィルスさんのお願いは”週休二日になりますように♪”ですわ」 「…二日は長すぎでしょう」 いくら世の中、週休二日制が主流といえども、二日も仕事ができないことは彼にとって苦行に近い。 「どうせ半分は急なお仕事入ったりしてダメになるんですから、ちょーどいいんですっ」 「そんなものですかね」 「そんなものですわ♪」 そう言って、目の前に置かれた短冊とペンをウィルスは意外な気持ちでまじまじと見下ろし、とうとう小さく吹きだした。 「私が、書くんですか?」 「だって、ウィルスさんのお願いごとですもの♪」 それはそうなのだが。 『かなり腑に落ちない気がするのはナゼでしょうね?』 しかし、こうも臆面もなく言いきられると逆に清々しいのも事実だった。 言われるままに短冊を書くそばで、少女がくすくす笑っているのが視界の端に引っかかる。 「何かおかしいですか?」 「いいえ♪ただウィルスさんが大好きだなあって思っただけです♪」 その言葉に、書きかけていた『な』の文字がわずかに歪み、完璧主義のウィルスは肩を落とした。 「レスキュー…」 「はい?短冊、書き直しますか〜?」 新しく差し出された白の短冊。 しかし、彼はその短冊ではなく、短冊を握る細い手を掴んだ。 「え?」 驚いたように目を見張る少女の手を引き寄せ、倒れ込んできた体を受け止める。 少女がどこまで確信をもって行動していたのかなんて知らない。 ただ、真っ赤な顔をした少女が逃げもせずに腕の中に収まっている事実さえあれば十分だった。 『あなたさえいれば、それ以上、願うことなどないのですから』 声にはしない想い。 自分だけを見つめる瞳に、自分の姿を確かめながら彼は微笑んだ。 『でも、あなたになら言わなくても伝わるでしょう?』 |
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