| 願いごとひとつ【6】 |
* 願いごとがたくさんあるって言ったら、あなたは呆れるかしら? * |
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| 手の中に収まる旧式の懐中時計。 それに時々、目をやりながら彼女は時間を確かめる。 赤い装丁の時計は花模様の針で時を刻み、その可愛さは見ているだけでも楽しかったが、特に午後3時の時に近づいていくのを見ているのは何よりうれしいコトだった。 そして、響いてくるパソコンのキーを打つ音。 あまりにも早く、つかえることなく続く音には安堵と期待と、そして、ほんの少しの不安を彼女は覚える。 テーブルの上に広げた色とりどりの短冊たち。 一枚につき一つの願いをのせたそれを指で取り上げながら、彼女はひとつに束ねた。 『これを見たらなんて言うかしら?』 思わずこぼれる笑みが唇だけで留まるように彼女は注意する。 カタ…という音が止まったのは2時57分。 その事だけで彼女はうれしくなる。 いつの間にか習慣になった午後3時のティータイム。 ふだんから口数も少なく無愛想な恋人ではあるが、それでもきちんと律儀にこの時間を守ってくれている。 呼び出されたメールマンがディスクを持って部屋を飛び出してゆくのを見送りながら彼女は茶器を手元に寄せた。 『あら、ため息♪』 仕事を終えてホッとしたというより、何か気にかかるコトがある…というような吐息が聞こえ、首を傾げる。 『気付かれてしまったかしら?』 そんなことないわね、と思う。 仕事をしている時の恋人の集中力といったら、時々妬けるほどのモノなのだから。 「お仕事終わりました?ウィルスさん」 お茶の用意をしてもいいですか〜? と、一応声をかけながら新しい茶葉を入れたポットに湯を注ぐ。 「?」 いつもならすぐにやってくるはずなのに、ぜんぜん動かない気配に彼女は顔を上げた。 「ウィルスさん?どうかしましたか〜?」 「いいえ。別になんでもありません」 低い声で短く応えて椅子を立った恋人が、お茶の用意を済ませたテーブルに着く。細身の体は本当に無駄な動きをしない。 その颯爽とした動きにいつも彼女は見惚れてしまう。 必要な動きしかせず、必要最低限の言葉だけしか言わない人。 だからこそ、その動きが、言葉が自分に向けられている時が一番幸せだった。 そして、同じような作用をこの恋人にも与えたいと思う。 手の込んだプログラムで作り上げた紅茶も焼き菓子もそのための小道具の一つにすぎない。 「ありがとうございます」 そう言ってティーカップを受け取る時、口元にそっと浮かんで消えるやさしい笑み。このコトに、もしかしたら、この鈍感な恋人は気づいていないのかもしれない。 「ところでウィルスさん♪」 うれしくて、楽しくて、それを隠せず、笑いかける。 対するウィルスが穏やかに、でもほんの少し警戒しながらサイバースコープの下から自分を見返しているのを彼女は知っていた。 「なんです?レスキュー」 「もうすぐ七夕ですよね♪」 「そうみたいですね」 声がほんの少しだけ固い。 『あなたは何を考えているのかしら♪』 彼女は笑いがこぼれそうになるのをこらえ、困ったような顔を作りながらテーブルに置いてあった短冊の束を取り上げた。 「で、そのお願いごとのことなんですけど…お願いがたくさんありすぎて、どれにしようかな〜って迷ってますの♪」 言って、カードを広げる要領で短冊を広げてみせる。 短冊の扇の向こうにいた恋人の頬が凍りつくのが彼女にはわかった。 と、口を押さえてゴホッとむせかえるウィルス。 『あら、まあ!そんなに驚きました〜?』 ちょうど食べていたクッキーをどこかに引っかけたらしく、ごほごほと咳き込む様子は苦しげだ。 「あらあら、大変〜」 口ではそう言いながらも、彼女は滅多に見られない恋人の失態に『可愛いですわ♪』と秘かに思いつつ、そばにあったピッチャーからコップに水を注いで渡す。 「レスキュー…あなた、わざと…」 恨めしげな視線を遮るように、自分の唇に浮かぶ笑みを見られないように彼女は短冊を相手に突き付けた。 「ね、ウィルスさんはどれがいいと思います〜?」 -ウィルスさんがいつも元気でいますように♪ -ウィルスさんとの茶会がいつまでも続きますように♪ -ウィルスさんと週に一度はデートできますように♪ -ウィルスさんがデートの時に手をつないで歩いてくれますように♪ -ウィルスさんがおやすみのキスをしてくれますように♪ -ウィルスさんとの時間を邪魔する人がいなくなりますように♪ -ウィルスさんが…etc.. 『どれもいいお願いだと思うんですけどね♪』 でも、これだけたくさんあると笹につるしたくらいじゃ全部叶いそうにないんですよね。 それに…。 「全部、却下ですっ!七夕の短冊なんですから、もっと別の願いごとにしておきなさい」 かすかに顔を赤くして、ついでに胸まで押さえて訴える恋人の反応はもう彼女の予想どおりのモノだった。 ただ、だからといってここで引き下がるわけにもいかない。 「でもでも、これが今、一番!かなってほしい願いごとなんですもの〜」 無茶を言っているのはよくわかっていた。 それでも、自分の望む答えを”彼”から手に入れたくて挑戦せずにはいられない。 ドキドキしながら見つめる先で、ふと落ちたため息にドキリとする。 『呆れちゃったかしら…』 しかし。 「これにしておきなさい」 骨張った指は短冊の束から山吹色のそれを選び、彼女に差し出した。 -お仕事が多くも少なくもなくて、適度にありますように♪ それはただ一枚、固有名詞の書かれていない短冊。 自分たちプログラムソフトにとって『仕事』というモノは自身の存在意義としてなくてはならず、とりわけ、彼女の恋人にはそうだとレスキューは知っていた。 だから、それは無難で、また一番最良とも思える願い。 選ばれるのはあらかじめわかっていた。 でも、だからって他の願いを諦める気だってぜんぜんないのだ。 「でも、ウィルスさん…」 もうひと踏ん張りと口を開きかけた彼女は、 「かなう願いなら、笹につるす必要もないでしょう?」 そんな不愛想なくせにやさしい響きをした声に自然と笑みをこぼした。 「はい♪ウィルスさんがそう言うなら、そうしておきますね♪♪」 元気の良く応え、ホッとしたついでにお茶が冷めていることに気づいて踵を返す。隣のデータ室に作られた備品置き場から新しくお湯のプログラムを出しながら、壁にはめ込まれたガラスに映り込む自分の姿を彼女は見つけた。 にこにこと幸せそうに笑う自分自身の様子に、さらに笑みを重ねて笑いかける。 『いつの間にか』 こんなに幸せになっていた。 その事実を本当にうれしく思える。 『あとはウィルスさんの願いごとを決めるだけですわ♪』 自分自身のために何かを望むというコトが少ない人だから、アドバイスをしてあげませんとね♪と本人が聞いたら文句を言いそうなことを彼女はこっそり呟く。 でも、実際、彼女はよくわかっていたのだ。 たとえばあの仕事一筋に生きてきた恋人が願いそうなコトといったら、 -レスキューのワガママがもう少し減りますように。 -レスキューが仕事の邪魔をしませんように。 -レスキューが八つ当たりでデータを壊しませんように。 …とかいうくらいだということも。 『ちゃ〜んとわかってやっていることですから、やめる気なんてさらさらありませんけどね♪』 自分の存在に気づいてほしくて。 自分のすることに何かを返してほしいから。 たとえ怒られるだけだとしても、本当はうれしいのだと言ったらウィルスさんはどんな顔するんでしょうね? 「七夕の願いごと、ウィルスさんは決まりました?」 改めてお茶を入れ直し、問いかけてみる。 コムネットの平和にも、長すぎる就業時間にもまったく関心を持たない人だから。 『だから、わたしがしっかりしなくちゃ!なんですわ♪』 そんな想いを胸に彼女は愛しい恋人の瞳を覗き込む。 とはいえ、その彼女がどれくらいしっかり者かを誰より理解できていたのはやっぱり目の前にいるただ一人の相手だったのは間違いない。 |
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