『あー、ムカつくっ』
 腹立ちまぎれに力いっぱい階段を踏みつけながら、三段跳びに駆け上がる。
 そんな彼のすぐ斜め後ろから、
「顔、怖いぞ。ビクトール」
 ぼそりと呟かれた言葉。それに彼はフンと鼻息で返す。
「ほっとけ。フリック」
 どれほど心配しようと、そんなコトは無用だとばかりに邪険な態度で返されれば腹も立つというものだ。
「まあ、ああいう性分なんだから仕方ないだろ」
「んなこたぁ、わかってる」
 己の身より他人を気遣う優しさ。
 しかし、その美徳は時に大きな自己犠牲を招くコトもあって。
『オレが気ぃつけてやんねえと』
 これまでに何度、そう思ってきただろう。
『もっと自分を大事にしろっ』
 これまでに何度、そう注意してきただろう。
「くそうっ!ムカつくぜ」
 目指す部屋を間近に、扉を睨みつけながら彼は腰に収めた剣の柄へ手をのばした。
 どうせなら、この苛立ちを晴らせる相手が中にいればいい。
「ビクトール、あんまし暴れんなよ」
「へっ。知るかよ」
 不敵な笑みを唇に浮かべ、彼は勢いよく扉を蹴り開けた。
 そして、油断なく目を光らせながら部屋の中に飛び込み、鋭く確認する。
「ビッキー、無事か?」
 しかし、椅子に座った少女はいつもどおりの様子で不思議そうに突然の来訪者を振り返っただけだった。
「どうしたの?」
「は?どうしたのって…」
「あ、わかった。お茶飲みに来たんでしょっ。おいしいお菓子もあるんだよ」
 すぐ用意してあげるね。
「えーと急須、急須っと………ん?あ、さっき壊しちゃったんだっけ」
 忘れてたとばかりに屈託なく笑って、ビッキー。
 絶対化け物がいるにちがいないと思っていたビクトールは、緊張感のカケラもないその雰囲気にいっきに脱力してしまう。
「ちくしょう…暴れられるんじゃなかったのかよ」
 その横で同じように剣を構えていたフリックも、刃を下げる。
「ビッキー、カスミが窓から落ちてきたが、何かあったのか?」
「あっ、そうなんだよ。カスミってばいきなり窓から出て行っちゃったの」
 逃げようとか言ってたけどなんでだったんだろ、とビッキーは首を傾げる。
 そんな反応をされるとますます状況が理解不能なわけで。
 もうどうでもいいと投げやりになるビクトールに比べ我慢強いフリックが、もう一度問う。
「カスミは人形がどうとか言ってたんだが…?」
 するとビッキーは何かに気づいたようにテーブルの向こうの側にある椅子へと手をのばした。
「人形ってこれのこと?」
 ギクリと少し身構えるビクトールたちの前に、ビッキーは華やかな着物を身につけたひな人形を両手で差し出す。
「あのね、ひな人形っていって女の子のお祭りの日に飾るんだって。カスミが言ってた」
「知ってるか?フリック」
「いや…俺も初めて見るな」
 人形は等身やその表情など本物の人間にかなり近く作られているな、と感じるくらいでそう不自然な点は見あたらなかった。
 いったいこれの何にカスミが怯えていたのか?
「ちょっと近くで見せてもらっていいか?ビッキー」
 剣を鞘に収め、促すフリック。小さな人形などすぐに壊してしまいそうで、最初から触る気のなかったビクトールは抜き身の剣を持てあましながら、
「こんなちっぽけな人形がなんだってんだよ」
 呆れたようにそう呟いた。そこに聞き覚えのない声が応える。
「ちっぽけとは無礼な」
「本当のコトじゃねえかよ。…って、あ?」
 ビクトールは怪訝に思いながら、凍りついたように動きを止めたフリックを見て、そしてビッキーを見た。
 今、しゃべったのは誰だ?
「本当のことであろうと、もう少し口のきき方を考えい。この愚か者が」
 ひどく年寄りめいた口調は部屋にいる誰のものでもなくて。
「鈍いのお。もう一人ここにおるではないか」
「こ、ここ、だと?」
 その状況を理解してしまいそうな自分を押しとどめながら問うビクトールの目の前に、
「ここだよっ」
 とビッキーが持っていた人形をずいっと差し上げた。
 その瞬間、先ほどとなんら変わることのなかった人形は開いていた扇をパチンと音を立てて閉じた。
「そう、ここじゃ」
 バカ者。
 小さな手が小さな扇を振り、ビクトールの頬を叩いたのだった。


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