廊下の先から聞こえた声に、軍服の袖をつかんでいた少女の体がびくっと震える。
「バ、バレリアさんっ」
 その声に前を走っていたバレリアは足を止め、真っ青な顔をした少女を振り返った。
「カスミ、あなたはここで待機を」
 剣を鞘から抜きながらごく事務的にそう告げると予想通りの反論が戻ってきた。
「そんなの、できませんっ」
 事態を引き起こしたことと、そして、仲間を置き去りにして逃げたコトに対してカスミは自分を責めていた。その想いが彼女をここまでやって来させたのだが…。
「今のあなたでは戦えない」
 恐怖で小刻みに震える指をそっと服から引き離しながら、バレリアは言う。
 酷なコトを言っているとわかっていても、足手まといになるであろう相手を戦いの場に連れてゆくほど彼女も甘くはなかった。それが自分のためだけでなく、相手のためでもあるならなおさら。
「しばらく待って誰も出てこない時は、ほかの者に知らせてほしい」
 それもまた、誰かがやらねばならぬ大切な役目だった。
 迷いながらもカスミは頷く。
「………はい」
 バレリアは唇を噛んでうつむいた少女の頭にぽんと手をやり、
「頼んだぞ、カスミ」
 言って、再び走り出した。これで後顧の憂いはない。
 目的の部屋、開いた扉の隙間から見慣れた背中がちらりと覗く。
 というコトはまだなんとか無事ではいるらしい。が。
『それにしてもなんて声を出すんだ。あいつらは』
 たかが動く人形くらいで。
 カスミから状況の説明を受けたバレリアはそう思いながら小さく舌打ちする。
『心配になるじゃないかっ』 
 扉に近づくにつれて走る速度を落とし、壁際にぴたりと身を寄せる。しかし、そんな彼女の耳に聞こえたのは意外とも思える室内の会話だった。
「そういうことも有り得るんだなあ」
「おいっ、フリック!!感心してんじゃねえっ」
「怒鳴るなって。おまえはうらやましいと思わないのかよ、ビクトール」
「なにがだっ!?あっ、メモとってんじゃねえっ」
 落ち着き払ったフリックとそこにツッコミを入れるビクトール。
 それはいつもの彼らの様子とそう変わりなくて、『なにをやってるんだ』とバレリアは額を押さえた。
 どうやら事態はそう悪くはないらしい。
 それでも、身構えつつ、片手でゆっくりと扉を押し開いた彼女に、
「おっ、来たのか。バレリア」
 手のひらにのせた小さな紙にペンを走らせていたフリックが顔を上げ、
「バレリアっ!このバカになんとか言ってやってくれ」
 コイツ、とフリックを指さし、ビクトールがわめいた。
 そんな騒々しい様子にバレリアはひどい疲労感を覚えながら、淡々と口を開く。
「……………で?問題の人形はどうなったんだ?」
「ああ、それなら…」
「そいつは…」
「問題の人形とはわらわのことかの?」
 聞き覚えのない声はフリックとビクトールの向こう側、テーブルの上に鎮座する人形の方から確かに聞こえてきたモノで。
 その事実に、先にそうと知っていたバレリアもやはり軽く目を見張る。
「おばあちゃんのお友達なんだって」
 にこにこといつもと変わらぬ笑顔で無邪気に言う少女。その言葉に頷きながら、フリックは肩をすくめてみせた。
「幽霊だそうだ」
「へっ。呪いの人形に決まってんだろーが」
 しかし最後にビクトールが吐き捨てるように言った瞬間、彼めざして小さな木片が勢いよく空を飛んだ。
「だあっ」
 額にぐっさり刺さったのはどうやら人形が手にしていた扇らしい。
「おお、みっともないところを見せてしまったのう」
 小さな手を口元にかざして人形は笑う。
「わらわの名はアオイ。よろしくの、赤い剣士殿」


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