「しばしの間、そなたの体をわらわに貸してはくれぬか」
 その言葉が脳に届くまで、少なくとも一分はかかったかもしれない。
「なんだとおぉおっ!!」
 なんでもないコトのように告げられた爆弾発言に、ビクトールはこめかみの血管が二、三本は切れた気がした。
 怒り心頭のあまり、続く言葉が声にならない。空しく空気を噛むそんな彼の後ろで扉が壁にぶつかる音が響いた。
「そんなのっ、ダメですっ!!バレリアさん」
 そう叫びながら部屋に飛び込んできた少女はまさに体当たりの勢いでバレリアの背中にしがみついた。
「…っ、カスミ!?」
「言いつけ守らなくてすみませんっ。でも…でも、わたしっ」
 バレリアさんを犠牲になんてできません!
 そう言い切り、カスミはキッと人形を睨みつけた。
「体を貸すなんてとんでもないです」
 そんな風に突如乱入してきた少女に出鼻を挫かれたビクトールは空しくなった。
『そいつはオレのセリフだろーが…』
 バレリアをかばって怒るのは自分だったハズなのだ。
「おお、誰かと思うたら…そなたはつい先ほど窓から逃げた童ではないか」
 威勢はよいが、足が震えておるぞ。
 人形はからかうような口調で言って、笑う。
「ふ、震えてなんか…」
 しかし、そんな二人を仲裁すべく割って入った声はやはり冷静沈着という言葉が相応しいモノだった。
「カスミ。心配してくれるのはありがたいが、大丈夫だ」
「バレリアさん…」
「アオイ殿も、交渉相手は私だったはずですが?」
 儀礼的な淡い笑みを口の端に浮かべ、バレリアは確認するように問う。
 それはごくふつうの人間に対するのと変わらぬ態度で、ビクトールは頭痛を覚える。
『あんまし驚かねえと思ったら、こいつってヤツはなんでこうなんだっ』
 無茶な注文に怒るとか、怖がるとか、そういう感情はカケラも感じられない。
 そう、あまりにも平然とした様子に人形…アオイの方が戸惑ったほどだ。
「あ、ああ。そうであったな」
「ではいくつか質問を」
 あなたが私に乗り移っている間、私の魂はどのような状態になります?
「体の中で半分眠っているような感じであろう」
 あなたは何をしたいと思っておいでなのです?
「何をって…生きた体の感覚を楽しみたいのじゃ」
 淡々と交わされる会話。
 まさかとは思うが。
『まさか、引き受ける気じゃねえだろうな!?』
「では、最後に」
 他人に迷惑をかけるような悪いコトはしないと誓えますか?
『なんだとぉお!?』
「おおっ、それでは…」
「どうなんです?アオイ殿」
「それはもちろん…」
「ちょっと待てぇえぇっ!!」
 まさか、体貸すつもりじゃねえだろーなっ!?
 間に割って入ったビクトールを見て、バレリアは何を今さら、という顔をする。
「少しの間なら、別に構わないと思う」
「おいおいおいっ!!ちょっと本貸すのとは違うんだぞっ!?」
「確かにそうだが」
「そうだが、じゃねえっ!!」
 元に戻れなくなっちまったらどーすんだよっ。
「そうですよ!バレリアさん。やめてくださいっ」
「カスミ、大丈夫だ。いろいろ考えた末での判断だ」
「いろいろだとぉ?いったいいつの間にだっ」
『一生、中身が妖怪ババアなんてコトになっちまったらどうすりゃいいんだっ』 
 ひっくり返りそうになる声を抑えて言うビクトールに、返るのは短い即答。
「今の間に、だ」
 そして、バレリアはごく簡単で事務的とも思える説明をする。
「アオイ殿はヘリオン殿がいない今、この提案をした。というコトは、ヘリオン殿がいてはマズイ提案なのかもしれない」
「うしろめたいコトがあんじゃねえかよ」
「…仕方あるまい。ヘリオンは死者が生者に関わるのを良しとせぬのだ」
「んなもん、当たり前だっ」
「だが、彼女は問答無用に相手へ乗り移るのではなく、まず交渉してきている点は善意的にとれるものだ」
「そうじゃ。わらわは良い霊だからの」
「自分で言うんじゃねえっ!!」
「少し冷静になれ、ビクトール。特に重要なのは、彼女が肉体を持ち自由になることでそれなりに本性がわかるのではないかと思われる点だ。その行動で彼女の善悪を計るコトも可能だからな」
 体を貸すのは同情ではなく、そうした調査のためというところがなんともバレリアらしいといえばそうなのだが。
「ヘリオンのババアに聞けばいいだろーがっ」
 そうすれば危険を冒さずに人形に憑いているアオイのことがわかるのだ。
「その時間があればいいが…。アオイ殿」
「なにかのう?」
「あなたは別に本人の許可がなくてもその相手に乗り移れるのではありませんか?」
 その問いにアオイは確かに苦笑した。
「………まあ、不可能ではない」
 しかし、無理矢理にではわらわもかなりの負担を負うことになるがな。
「つまり、ここにいる誰かに無理矢理乗り移り、逃げることもできるわけだ」
 バレリアの説明は実に理論的で、この先の結論がなんであるかビクトールにも容易に想像がついた。アオイを追いつめて最悪の事態になるのを避けようというのだ。
 そうわかっても別に何かが好転したわけでなく。
 ビクトールの声も目つきも今や完全に座ってしまっていた。
「……………で?」
「カスミとビッキーは論外だ。そして、おまえやフリック殿にでは、残った人間で押さえきれるとは思えない」
 だから、状況的に自分が一番適任なのだと示唆するバレリア。
「おめえも十分強ぇだろーが」
「それでも私になにかあったら、おまえがなんとかしてくれるだろう?ビクトール」
 小さく微笑むバレリアに、ビクトールはがっくりと肩を落とした。
『そういう殺し文句をいけしゃあしゃあと…コイツはっ』
 信頼されているというのは気持ちのいいものではあるが、こういう時にそう言われても素直に喜べないモノがある。
「コイツになんかしやがったら、マジに消滅させちまうからな」
 アオイ殿。
 低く地を這うような声で釘を刺し、彼は諦めの吐息をひそかにこぼしたのだった。


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