コッ、コン、コン。
元気良く扉を叩く音に、わずかに身構えるビクトールを横目で見ながらイルフはやれやれと肩をすくめた。
「誰?」
「あのね、ビッキーだよ」
弾んだ声にイルフは首を傾げる。
「ビッキー?」
彼女の方から自分の部屋にわざわざやってくるなんて珍しいな、と思う。
イルフの部屋は砦の最上階、少し離れた場所にあるうえ、軍師マッシュやシュウなど解放軍の中核を担う大人たちの部屋の前を抜けてこなければならない。
それはやはりリーダーとして他のみんなと一線を置く意味があるからだろう。
少しとぼけたところのある黒髪の少女にしても、この最上階に足を踏み入れるのは苦手らしかった。
急ぎの用か、何かだろうか?
まあ、ビクトールのホッとした様子からして、彼の追っ手がビッキーでないコトは確かなようだ。
「ちょっと待って」
イルフが手にしていた棍棒を壁に立てかけ、扉を開けるとそこには急いで走ってきたらしい少女が頬をぴんく色に染めて立っていた。
「珍しいじゃないか。どうしたんだ?」
尋ねながら、少女が大事そうに抱えているバスケットに気づく。
「あのね、おばあちゃんからお届け物なの」
ビッキーはそう言って、イルフの向こう、部屋の中を覗き込んだ。そして、
「あっ、いたいた〜。よかったあ」
嬉しそうに飛び上がるビッキーに、イルフはやはり首を傾げた。
「なに?ビクトールに?」
よくビクトールがここにいるとわかったもんだ、と思う。
この広い砦じゅうを探して回ったのだろうか?
「そうなの。おばあちゃんがね、絶対ここにいるはずだからって」
「ヘリオンさんが…?」
ますますわけがわからない。
ビクトールが逃げてきた相手がヘリオンだったのだろうかと振り返るが当のビクトール自身、不思議そうにビッキーを見ている。
「よくわかんねえが、あのバアさんがオレになんだって?」
「えっとね、これ。ビクトールさんにお礼だから、食べてくださいって」
ビッキーはうきうきした足取りでビクトールの前までやってくると、バスケットを差し出した。
「礼…?なんかしたっけか?」
ビクトールは眉間にシワを寄せて、うーんと唸った。
追っ手から逃げることに一所懸命だった彼は、その途中経過のコトなど既に頭にない。
「それで?ビッキー、届け物ってなんなんだい?」
イルフはくんと鼻を鳴らして、バスケットへ視線を向けた。
ほのかに香るのは甘い菓子の匂いだ。
するとビッキーは自慢げに胸を張り、バスケットの蓋を開けた。
「……………」
「……………」
「あのねえ、おいしいマフィンなんだよ」
「へえ…」
「おいおい、これのど…」
どこがマフィンだって!?
そう言葉を続けようとしたビクトールの脳天に棍棒が直撃した。
「−−−ッ」
ぐおおっと頭を抱え込むビクトールの姿をさりげなく隠すように身を乗り出して、イルフはにっこり笑う。
「もしかして、これ、ビッキーが作ったのか?」
「うんっ。おばあちゃんに頼まれたの」
「おいしそうに作れてるじゃないか。前より上達したんじゃない?」
そう言うと、ビッキーはうれしそうに笑った。
「それでね、おばあちゃんがね、出来たてが一番だからすぐに食べてもらうようにって」
「へえ、すぐにね…」
ちらりと目を向けた先、恨みがましい涙目で睨みつけてくる相手をあっさり無視し、
「じゃあ、ここでお茶会にしようか」
そう提案したイルフにビクトールはげっと顔を引きつらせた。
「ちょっ…」
「せっかく、ヘリオンさんからのお礼なんだし」
”お礼”という部分をことさら強調してイルフ。
彼はそのマフィンがヘリオンからビクトールへの”仕返し”なのだと気づいていた。ビクトールに身に覚えがないとしても、きっと何かやらかしたに違いない。
そして、彼はビクトールに同情の余地ナシと判断したのだった。
「ほら、ビッキーが一所懸命作ってくれたマフィンだ。まさか食べないなんて言わないよな」
明るい口調に潜む陰を敏感に感じ取ったかのようにビクトールは言葉を失う。
「……………じゃ、じゃあ、おまえも…」
なんとか気を取り直そうと口にしかけた言葉は、笑顔と共にねじ伏せられた。
「なに言ってるんだ。ヘリオンさんは君にって言ったんだ。全部、君一人で食べてこそヘリオンさんの気持ちも報われるってもんじゃないか」
「……………」
ビクトールは顔を引きつらせながら、期待に目を輝かせる少女の姿を見て−−−がっくり肩を落とした。
彼としても本音をぶちまけて、ビッキーを傷つけるコトは本望ではない。ヘリオンとて、そんな彼の本質をきちんと計算してこの策を用意したのだ。
『オレ、なんかしたっけか!?』
早く食べてみて、と見つめてくる少女と。
早く食べろよ、と氷の視線を突き刺してくる少年と。
結局、逃げることはできなくて。
「わかったよ。食やいいんだろ」
よく見りゃうまそうじゃねえか。
ほとんどやけっぱちに言いきって、ビクトールはマフィンと呼ばれる物体を思いきりよくつかんだ。
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