カチャカチャと金属のこすり合う軽い音。
カッタン、ドン、バッタン、ガチャガチャ。
同じ部屋にいながら無視を決め込んでいた彼もその騒がしさにこらえきれず、恐る恐る振り返り、息を止めた。
『うっがああああああ』
あまりと言えばあまりの光景に、振り返ってしまった自分の愚かさを後悔する。
「あ、ねえねえ、アントニオさん。コショウってどこだっけ?」
大きな瞳を無邪気に輝かせてそんなことを聞くのは、物忘れが激しいコトで知られる少女ビッキー。
アントニオは口を開く気力もなく、キッチン台の上に用意された調味料のケースを指さした。
「えーと、あ、これかあ」
塩やパプリカなど詰まった小瓶をがちゃがちゃ引っかき回した末にビッキーが選んだのは”ガラムマサラ”と呼ばれる香辛料だった。
きちんとラベル表示までされているのに、そういうことも彼女には関係ないらしい。探していたのがコショウだということも既に忘れているのだろうか…?
いや、そもそもコショウとかなんとかがどうして今回必要になるのかがアントニオには理解できなかった。
確か…。
確か、ビッキーが作りに来たのはマフィンだったはずで。
あれほど簡単に作れる菓子がどこをどうしたら、こうなるのか。
彼にとって聖なる場所ともいえる料理場は、今や食材の墓場と化していた。
足下や調理台に小麦粉や砂糖がこぼれているのはまあなんとか目をつぶるとして、まな板の上にはぶった切られたピーマンが転がり、計量カップには焼酎とくればもはや何が出来上がるのか考えたくもない。
「ル、ルルン♪ マフィン マフィン あま〜いマフィン♪」
楽しげに歌いながら、ビッキーはボウルの中で不思議な色に渦巻くマフィンのたねを泡立て器で四方八方に飛び散らせた。
掃除することを考えるだけでも頭が痛くなってくる。
それでも口を挟むことはできない。
なぜなら、ビッキーの保護者ともいえるヘリオンから固く固〜く注意されていたからだ。
『この子の好きなように調理場を使わせてやっておくれ。言っとくけど、余計な手出しはするんじゃないよ』
鬼気迫る鋭い眼光ですごまれ、『そうでないと……わかってるね?』と思わせぶりな言葉を告げられた日には彼も自身の保身を第一に考えてしまう。
そのためにはこの神聖な調理場が多少犠牲になることもやむなし…なのだが。
『ああっ!だからなんでそこで塩を足すんだああ』
心の叫びはもはや数えきれない。
「あれ?なんか忘れてる気がするなあ。なんだっけ?」
そんなことを言いながらビッキーはそこらじゅうに散らばっている残り(?)の材料をボウルに突っ込んだ。
「ま、いいか。ぐるぐる ぐるぐる♪ ハイ 出来上がり♪♪」
そう歌い上げたビッキーは最後に陶器の大きな器へとボウルの中身を全部移した。
「アントニオさん、用意できたよ」
なんとかオーブンで焼くだけという形に仕上げたビッキーは得意満面の様子でそう言った。
さすがのヘリオンもビッキーに火を使わせることだけは心配して、その最後の役目をアントニオに命じて行ったのだった。
そうでなければ、アントニオもこの地獄の調理現場からすぐに逃げ出していたに違いない。
「早く早く。急がないと間に合わないんだから」
「わかってるって」
そうして、情けなく肩を落とした料理人の手によって陶器の器はオーブンに入れられ、火が付けられたのだった。
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