「なんだあ?宮廷の舞踏会ってんでもあるまいに」
 こいつは確かワルツ…とか言ったっけか。
 聞こえてきた楽の音に彼は首を傾げながら記憶を探る。
 踊ったことはないものの、そういう光景を遠目に見たコトはあった。
 まあ、村祭りなどで奏でられる曲目とは雰囲気が違うことだけは確かだ。
 なんとなく興味を引かれて音のする方へと足を向け、しかし、少し進んだところで彼は足を止めた。
 ほのかに香る甘い香りが彼の脳裏に色鮮やかなバラ園を描いたのだ。
 そう、このまま音をたどっていけば行き着くのはあの空中庭園に違いない。
「うっ…」
 十中八九そこにいるであろう人物の姿に彼は頬を引きつらせた。
 服の趣味や金銭感覚に始まり、あらゆることにおいて話の合わないヤツというのはいるもので。
「冗談じゃねえぜ」
 見つからねえうちにさっさと退散するか。
 そうしてくるりと踵を返した彼の目に、少女の姿が飛び込んできた。勢い込んで駆けてくるその後ろには少し遅れて少年が続く。
「ちょっと待ってよ。テンガアール」
「もっと早くってば!ヒックス」
 それは見慣れた光景だった。
 と、顔を上げた少女は廊下の先に立つ彼に気づいた様子で急ブレーキをかけた。それまでの慣性に引かれて、赤い髪と黄色のスカートがふわりと揺れる。
 その横を通り過ぎかけ、慌てて足を止めようとした少年は勢いよく顔から床に突っ込んだ。
「おいおい、大丈夫か?ヒックス」
 呆れながら声をかけるとヒックスは赤くなった鼻を押さえながら、よろよろと立ち上がった。
「だ、大丈夫、です…。ビクトールさん」
「ヒックスってば、ドジなんだから」
「テンガアールが急に止まるから…」
「なんだよっ。ぼくのせいだっていうの!?」
「そ、そうは言ってないけど…」
 強気のテンガアールに押されて、言葉を濁すヒックス。
 そんないつもどおりのやりとりに苦笑しながら、ビクトールは助けに入った。
「で、なにを急いでんだ?テンガアール」
 するとハッとしたようにテンガアールはビクトールの方へと顔を向け、
「ね、まだ終わってないよね!?」
 好奇心いっぱいの瞳で勢いよくそう問いかけてきた。
 そのいきなりすぎる質問の意味がわからず、ビクトールは苦笑する。
「ああ?何のことだよ?」
「なんだ、知らないの?バレリアさんのことなのに」
 バレリアの?
 怪訝そうに眉を上げるビクトールの様子を見て、テンガアールはつまらない、とばかりに視線を外した。
「今なら面白いモノが見れるって教えてもらったんだけど」
 でも知らないなら、いいや。
「行こっ。ヒックス」
 テンガアールはそう言うや否や、ビクトールの引き止める間もなく駆けだす。
「お、おい…」
「あ、それじゃ失礼します」
 一応軽く頭を下げて、続くヒックス。
 そんな二人を見送りながら、ビクトールは顎に手をやった。
「面白いモノねえ…」
 そう言われると見たい気もするのだが。
 やっぱりやめておくのが無難だろう、な。
 そして、体の向きを変えようとし…
「うわっ」
 いつの間にかすぐ目の前にいた相手に彼はぎょっとして体をのけぞらせた。
「あ、あんた…っ、い、いつの間に…」
「あら、ちょうど今来たところですわ。ビクトールさん」
 気品さえ感じさせる穏やかな微笑みのままに彼女は言う。
「ちょうど今って…」
 まったく気配を感じなかったぞ、とビクトールは思わず相手を凝視してしまう。
 しかし、彼女はそんなことなど構わず言葉を続ける。
「ビクトールさんはご覧になりませんの?」
「………何をだ?レパント夫人」
 彼女は老若男女問わず、呼び捨てにするビクトールにとって珍しい例外の一人だった。
「何って決まってますでしょう?」
 バレリアさんですわ。
「…………」
「興味がないのでしたら構いませんが」
「…バレリアが、なんだって?」
「それは行ってみてのお楽しみですわ。ビクトールさん」
 にこにこと邪気のない、しかし、その裏を考えずにはいられない微笑みに。
 ビクトールは内心では身構えつつも、葛藤する胸の内に唸らずにはいられなかった。


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