ばらばらに床に散らばったページ。
 そこには几帳面な性格を感じさせる文字が綴られていた。
 書き込まれていたのは一日も欠けることのない日付とそして…。
『たわいもない話をとても楽しげに笑いながら聞いてくれる。思わず見惚れてしまうような笑顔だった』
『あまり危ないことはしないでもらいたいけれど、無理な相談なのかもしれない』
『あの人は今日も元気。見ているだけで自分も元気になれる』
 と、いうような箇条書きの日記。
 それは書いている本人が”あの人”と記した相手にかなり惚れ込んでいるらしいコトが、ちょっと読んだだけでわかる内容だった。
 これの持ち主がバレリアとなれば、”あの人”が誰かという答えも自然に出てくるわけで。
「笑ってんじゃねえっ!!フリック」
 怒鳴る相手をちらりと見返し、彼はまた肩を揺らした。
「顔が赤いぞ。ビクトール」
「…っ。こ、これはだな…その…」
 言葉を失うビクトールに構わず、フリックは相手への理解を示すように頷いてみせる。
 まあ、こういうコトならビクトールが必死になって続きを読みたがった気持ちもわかるというものだ。
「ここまで惚れられたら男冥利に尽きるってもんだよな」
 言いながら、からかうような笑みが唇の端に浮かんでしまうのは仕方がない。
 ビクトールは顔を赤くしたまま、上目遣いにそんなフリックを睨んで、
「うらやましいだろーがっ。クソッタレ」
 と半ばやけっぱちのように言葉を返した。
 そして、腕に抱えた紙束に視線を落とし、わざとらしいくらいに盛大なため息をついてみせた。
「それよりなあ、どうしてくれんだよっ。コイツを」
 てめえのせいだぞ。
 けんか腰の口調は照れ隠しもあるのだろうか。
 とはいえ、理不尽な言いぐさにフリックもムッとする。
「なんで俺のせいなんだ?自業自得だろうがっ」
「てめえが引っ張ったんじゃねえかっ」
「おまえがさっさと手を離せば良かったんだ」
「てめえが…」
「おまえが…」
 再び睨み合う二人。
 その目の端で小さな影が動いた。
「紙がいっぱい落ちてるよ。どうしたの?」
 明るい少女の声に振り返った彼らの目に映ったのは。
「ビッキー!」
「ビッキー!?」
 なにより手に持っている紙片を見つけてビクトールは顔を引きつらせた。
「ビッキーっ、い、いい子だからそいつをオレに返してくれねえか?」
 ビッキーはそんなビクトールと手元の紙片を見比べ、にっこり笑った。
「うん、いいよ。でもこれってバレリアさんの秘密の本なんだよね?」
 彼女の足下には見慣れた表紙の本−−−日記帳が真っ二つになって転がっていた。
 勢いよく足を踏み出したビクトールをかわすようにくるりと回り、ビッキーは好奇心に輝く目を紙片に向けた。
 元気のよい声が一つの日付と箇条書きの一文を読み上げる。
『今日はいい天気。あの人と一緒に馬で出掛けた』
 そして、ビッキーは軽く首を傾げた。
「あれ?これ…?そっか、バレリアさんの持ってたのって日記帳だったのかあ」
 なあんだ、と少しがっかりしたように呟く少女の手から素早く紙片は抜き取られた。
「油断も隙もねえぜ」
「あーっ、まだちょっとしか見てないのにー」
「人のモンは勝手に見るもんじゃねえんだよ」
 年下の者に道徳を説くというのは悪いコトではないが、自分の事は棚に上げたセリフにフリックの手が反射的に動く。
「ってえ。殴んなよっ!フリック」
 しかし、その鋭い眼光をフリックはあっさり無視した。
 険悪な雰囲気よりも、何かが気になったのだ。その”何か”に思い至り、彼は軽く目を見張った。
「おい、フリック?」
「ちょっと待ってろ」
 邪魔だとばかりに言い放って、彼は頭の中で数字を数える。
「ああ、やっぱりだ」
 答えが出るまでほんの数十秒。しかし、それは殴られたうえに無視されたビクトールがふてくされるには十分な時間だったかもしれない。
「おい、気づいたんだが…」
 声をかけたのに振り向きもせず、落ちている紙片を黙々と拾い続けるビクトール。まとわりついてくる少女をかわすことに集中しているから、というだけではないだろう。
 フリックは目を細め、かがみ込んだ相手の背中を遠慮なくどかっと踏みつけた。
「−−−−ってめ…」
「コレ、本当にバレリアが書いたヤツなのか?」
 ビクトールが大きく口を開いたところに間髪入れず、そう言う。
 喉元まで文句の言葉がきていただろう彼は一瞬体を止め、ぱくぱくと口を動かした。
「…なん、だって?」
 わけがわからない、といった顔をする相手に、
『こいつなら当然の質問だな』
 とフリックは思う。
「だってな、今、ビッキーが言った日付、変だっただろ」
「………?」
 何か変か?と首を傾げるビクトールにフリックは「だからっ」と声を上げた。
 なんて頭の回転の遅いヤツなんだ、と胸の内で悪態をつく。
「この時期はおまえ、リーダーと一緒に外に出てただろーが」
 瞬間、ばさばさと音を立てて紙の山が床に落ちた。
「だっ…!?なにやってんだよ、おまえはっ!!」
「ああっ。あっちまで飛んでっちゃったよ?」
 ビッキーが指し示す先には開け放たれた窓。
「げっ!!」
 とっさに走り出したフリックは外に出るぎりぎりのところで紙片をつかみ取る。
 そして、ほっと一息ついて振り返り、彼は眉を上げた。
「おいっ!!どこ行く気だ!?ビクトール」
 足の踏み場もないくらい床に撒かれた紙の束。
 今までの執着心が嘘のように背を向けて遠ざかってゆく後ろ姿に、フリックは声を張り上げた。
「ビクトールっ!!」
「あれれ?ビクトールさん…なんだか歩くのふらふらしてるよ?」
 具合悪いのかな?
 そんなコトを言うビッキーの横でフリックはため息をこぼす。
「そんなに…」
 自分のコトじゃなかったのが残念だったのかよ。
 声に出さずに呟いて、そして、ふっと顎に手を当てた。
「まさか…」
 まさか、変な思い違いなんてしてないだろうな?
「あっ、転んだ」
「まさか、な」
 バカげた可能性の存在に気づいて、フリックは軽い目眩を覚えたのだった。


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