「おい、大丈夫か?」
 心配するような声に、彼女はハタと我に返った。
「あ、ああ……だいじょう、ぶだ」
 応えながら、自分がほんの一瞬、気を失っていたらしいコトに気づいて眉間にシワを寄せる。
「そんなに…すごいか?」
 フリックは苦笑しながら、それでもどこか面白がるような目をしてバレリアを見た。
 バレリアはあまり深く息をしないように気をつけながら、
「ああ。信じられんほど汚いな」
 口早に言う。
 そう、ビクトールの部屋は呼吸するコトもためらうほど汚かった。
 扉が境界線であるかのように、床いっぱいに物が散乱していた。脱ぎ散らかした服に何かの…おそらく食べ物の包み紙らしきモノ、空の酒瓶etc…。
 積もった埃の様子からして軽く一ヶ月は掃除もしていないはずだ。ベッドのシーツもぐしゃぐしゃで、洗濯好きのセイラがこまめに洗ってくれているはずなのにちっとも清潔感がない。
 つまり、目に付くものすべてがとにかく汚いのだ。
 自分の部屋をここまで救いようがないほど汚くできるというのも一種の才能に違いないとバレリアは思った。
 無意識のうちに、敵でも見るかのような目で室内を睨みつけていたそんなバレリアの様子にフリックは肩を震わせて笑う。
「確かに汚いが、この方がヤツには具合がいいんだとさ」
「それにしても汚すぎる。前はここまでひどくなかったはずだ」
 中まで入ったことはないが、戸口で話をしたことならバレリアも何度かあった。
 扉の隙間から見えた床は確かに散らかっていたが、これほどではなかったと思う。
「…そうだったか?いつもこんなもんだぜ?」
「いつも?」
 よく病気にならんな。
 呟きに、フリックは小さく吹き出す。
「病気か。それほどヤツに無縁な言葉はないだろうよ」
「それもそうだな」
 体力バカ、それこそがビクトールの一番の長所だろう。
 相手が相手とはいえ我ながらけっこう失礼なコトを考えているな、と気づき、バレリアはふっと口元を緩めた。
「で、ここで待つのか?」
 やめといたほうがいいぜ、と告げる目を見返し、彼女は同意を示すように肩をすくめた。
「いや…待つのは」
 扉の外で…と応えようとした彼女に向かってその時、黒い影が動いた。
「!?」
 ちょうど天井の方、斜め上から飛んできた親指ほどの塊。
 とっさのことであったが素早さを武器ともするバレリアはそれを難なく手で受け止めた。
「なんなんだ?」
 白い手袋をした手の中、掴んだモノは妙に平べったい。
 怪訝な顔をするバレリアとは対照的に、フリックはすぐにそれがなんであるか気づいたらしい。
「バレリア、ちょっと待っ…」
 しかし、彼が止める間もなく、バレリアは閉じていた手を開いていた。
 白い手袋の真ん中に収まっていたのはつやつやと黒光りする”ゴキブリ”と呼ばれる一匹の虫であった。
 
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