「まいったな…」
 彼は顔をしかめて、呟いた。
「お役に立てなくてすみません。ビクトールさん」
 本当に申し訳なさそうに言う相手にビクトールは軽く笑ってかえした。
「物が何かわかっただけでも大助かりさ。アントニオ」
「似たような物を探しておきましょうか?」
「いや、もうちっと自分で探してみるぜ。邪魔して悪かったな。レスター」
 気にしないでくれと手を振り、厨房を出る。
 そして、厨房には声が届かぬ場所まで来てから彼は大きくため息をついた。昼食の後片づけが一段落した頃合いをみて厨房に出向いていったコト自体は悪い考えではなかった。
 解放軍の食材に関して全体を把握できているのは、二人のコックをおいて他にない。
 案の定、彼の探し物が解放軍の備蓄にあるかどうかもすぐに判明した。答えはナシ、である。
 そう、彼が探しているのは一週間ばかり前に割ってしまった一本の酒だった。ノーラベルだったそれを瓶の大きさや形、味の特徴だけで産地まで推測できたコックたちはさすがとしか言いようがない。
 しかし、単に砦の備蓄庫にないだけであったなら、外へ買い出しに行くなど手はいくらでもあっただろう。
「くっそー、ただの安酒だと思ったのによ」
 なんだか騙されたようだ、と彼は胸の内で悔しさを噛みしめた。
 二人のコックが言うにはその酒は滅多に手に入らない代物だというのだ。
 いわゆる地元の人間がふだん飲むために作られる物だから、値段は確かに安いらしい。が、そういう物であるだけに作られる量は限られていた。味は良いものの、市場に出回る数はたかがしれているという。
 本当に手に入れたければ作っている村まで直接行って、それぞれの家で取り置いている物を頼んで分けてもらうしかない。
 とはいえ、その村は帝国領でも辺境に位置する山際にあるというのだ。
 いつ戦闘に駆り出されるかわからない時期にそんな所まで出ていけるはずがなかった。
 こうなってくるとあとは砦の誰かが個人的に持っている中にないか探して、譲ってもらうしかないか。
『珍しい酒を持ってそうで、すんなり譲ってくれそうなヤツは…』
 真っ先に頭に浮かんだのは人当たりの良い笑顔が似合う解放軍の古株−−−サンチェスだった。
『まあ、とにかく当たってみるか』
 やれやれ面倒なこった、と肩を落としながら階段へと向かう。
 しかし、そんな彼が数時間後、立っていた場所は彼の天敵ともいえる男の部屋の前だった。

 *

 ビクトールは目の前に立ちはだかる木の扉を睨みつけていた。
 もし、近くを通りかかる者がいたなら、その切羽詰まった形相に誰もが驚いたことだろう。
「ぐうううっ」
 食いしばった歯の間から、低い呻きがこぼれる。
『うがあっ!冗談じゃねえぜッ』
 サンチェスから仕入れた情報によれば、この扉の向こうにこそ彼の探し求める物があるという。
 だが、この部屋の主に助力を求めるなど考えるだけでも脳みそが沸騰しそうだった。
 もともと性格的にも合わないどころか、目にするにもうっとおしくて避けてきた相手になんで自分から頼み事なんてのをしなけりゃならないんだ!?
 どうせ山ほどの嫌味をぶつけられたうえに断られるに決まっているのだ。
『やっぱ、やめるか…?』
 ノックしようとのばしかけた手を引く。
 手間と時間はかかるが、近くの街々で探してみたら見つかるかもしれない。
 それにバレリアへの詫びなら、別の物を用意するという方法もまだ残されている。
 ただ、そのどちらも彼が望む物を手に入れられる可能性が低すぎるのが難点だった。無くしてしまった物と同じ物、もしくは同じくらい価値のある物を返してケリをつける、それが彼の望みだからだ。
 単に高価な酒や宝飾品など返したところでこの場合、意味がないのだ。
 ならば、答えはもう決まったも同然だった。
 そう、もう何時間も自分の部屋でぐるぐる歩き回って出した結論を彼はもう一度引っ張り出した。
『こいつに頭下げるしかねえ!』
 すうっと息を吸い、こぶしを固める。
 そして彼は自分自身を鼓舞するように勢いをつけて、扉をノックした。
 もうここまで来たら引き下がれねえ、という思いがあった。もはや他人の部屋に入るのに自分がノックすること自体、ひどく珍しいコトだと自覚できないほど今の彼は精神的に追いつめられていた。
 だから。
「わたしの部屋の前でなにをやっているんです?ビクトールさん」
 扉の向こうからではなく、ほんのすぐ近くから響いた声に彼はその場から飛び退くようにして振り返った。
「てっ、てめっ…!!」
 大きな羽根飾りのついた派手な帽子がまず視界に映る。
 そして、相手をからかうような…いや、小馬鹿にするような目にぶつかった。
「ミルイヒ!てめえ、なんでこんなところにいやがるっ」
 ずっとぐるぐる考え込んでいた姿をコイツに見られたのか!?
 思わず頬を引きつらせたビクトールに、
「わたしだってずっと自分の部屋にいるほど暇ではありませんからね」
 ミルイヒは刺を含んだ嫌味に余裕の笑みを添えて返した。そして、これ以上は用がないとばかりにさっさと部屋の鍵を開けて、ノブへと手をかける。
「それでは失礼しますよ」
 その何もなかったがごとくの態度にビクトールはムッとした。
 自分が部屋の前にいたということは少なくとも何か用事があったと考えて当たり前だろうに、ミルイヒはそれを完璧に無視するつもりらしい。
「ちょっと待てよッ」
 閉まりかけていた扉に手をかける。思いがけずも容易く止まった扉の隙間から覗く瞳の色はいつになくふつうで、冷ややかでもなければ侮蔑混じりでもなかった。
「何かご用ですか?ビクトールさん」
 声にはいつものようなやわらかな拒絶さえ感じられない。
 だから、ビクトールも思わず戸惑い、ひるんだ。そして。
「お、おう。酒くれ!ミルイヒ」
 とっさに口から出た言葉はあまりにも唐突で簡略化されすぎていた。
 反射的にマズイ、と思った時には半眼になったミルイヒの凍えた眼差しがそこにあった。
「あ、あのだなオレは別に…」
 何か上手い言葉はないかと慌てるビクトールに、しかし、ミルイヒは大きくため息をついただけだった。
 閉められるかと思っていた扉が逆に、入室を許可するように開かれる。
「事と次第によっては酒の一本くらいおわけしますよ」
「…へ?」
 なにがなんだかわからないまま、ビクトールは狐につままれたような顔つきで呆然とミルイヒを見た。
 コイツが自分に対してこんな寛大なセリフを吐いたことがあっただろうか?
 何か裏があるんじゃないかと勘ぐりそうになった彼に、いい加減しびれを切らしたようにミルイヒが言う。
「いつまでもそこにいられると邪魔なんですよ。出るか入るかさっさと決めて下さい」
「は、入るに決まってんだろ!」
 ここまできて閉め出されてたまるかとビクトールは部屋に飛び込んだ。
『あ?そういや、コイツの部屋なんて見たコトなかったな』
 そんなどうでもいいことがちらりと頭をかすめる。
 そして、部屋の灯りがつけられ、暗闇から浮かび上がったその光景に彼の目は点と化したのだった。



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