| 「いつまで呆けているつもりです。ビクトールさん」 冷たい言葉に、呆然としていたビクトールもハタと我に返る。 そして、彼はまるで幻想を払うかのように頭を振った。 「なんっつーか、ホント、らしい部屋だな」 『別の世界にやってきたかと思ったぜ』 同じ砦の中にある部屋とは思えない。そこは壁といわず、天蓋付きのベッドといわず、思いつく限りの場所が美しいドレープをつけた真紅の布で飾られていた。 部屋の主が派手好みとはいえ、あまりの光景にビクトールは顔が引きつるのを感じた。 「目が痛くなんねえのか?ミルイヒ」 上着のボタンに手をかけながらクローゼットに向かっていたミルイヒがふっと小さく笑う。 「別に。今はバラの園週間ですから赤ですが、しばらくしたらまた模様替えするつもりです。あなたはどんな花がお好きですか?」 上着の下から現れたレース仕立てのシャツと開かれたクローゼットの中身にまたもや目を奪われていたビクトールはミルイヒの言葉を聞いてはいなかった。 「へ?なんだって?」 「…いえ、なんでもありませんよ」 あからさまに呆れたため息をついて、ミルイヒは真正面からビクトールを見返した。腕を組み、相手のつま先から頭のてっぺんまで眺めわたす彼の様子はまるで冷静な観察眼を持つ品評家のようだ。 苦手な環境とそのぶしつけな視線にビクトールはひどく居心地の悪さを感じる。すぐにも部屋を飛び出しそうになる衝動をねじ伏せるにはかなりの努力が必要だった。 「な、なんなんだよ!?」 平静を装おうとしても頬が引きつってしまうビクトールをミルイヒはちらりと見て、 「なんでもありませんよ。なんでもありませんが…」 そこで盛大なため息をついた。 「かなりもったいない選択かもしれないと思っただけです」 そんな、ビクトールにはわけのわからぬことを呟いた。 「はあ?どーいう意味だよ、そりゃ」 尋ねてみてもミルイヒは肩をすくめるだけで、さっさと戸棚へと向かった。それにしても戸棚の半分ほどがワイン専用に傾斜のついた棚になっているのはさすがというべきか。 「どれがお入り用です?」 どうぞ、とばかりにミルイヒが横にどく。並べられているのはざっと見ただけでかなりの値打ち品だとわかるものばかりだった。そのことにビクトールはふとバレリアの持っていた酒を思い出す。 「バレリアんとこもたいがいだと思ったが、こいつはすげえな」 「バレリアの、ですか」 わずかに関心を引かれたようにミルイヒが問う。 「何本くらいありましたか?」 「あ?何本って…四、五本ってとこか」 なんでそんなことを聞くのかと怪訝に思うビクトールの前で、ミルイヒの口元がかすかにほころぶ。 「それならよかった」 「ああ?」 「いえ、ここにあるのは彼女の寝酒用に取り寄せたものですが、当分、補充の必要がないというのは実に喜ばしいことです」 「……………………んだって?」 ビクトールは思わず自分の耳を疑った。しかし、よくよく見てみれば、並ぶワインの銘柄はバレリアの部屋で見たのと同じものがあるような…? 相手のために寝酒を用意するような関係ってことは…。 『こ、こいつらデキてたのか!?』 信じらんねえ、とビクトールは目を見開いた。 いくらなんでも男の趣味が悪すぎねえか!? 「あなたが何を考えているかだいたい想像はつきますけど」 ミルイヒはにっこりと笑ったが、その目がまったく笑っていない。 「部下の…いえ、元部下の健康管理に気を配るのもわたしの義務ですからね」 「部下って…」 そういえば、帝国軍にいた当時、バレリアがミルイヒの管轄部隊に配属されていたというのをどこかで聞いたような気がする。ド派手が取り柄の将軍に堅物の部下というギャップのせいか、本人からそうと聞かされた今でも信じられない事ではあったが。 とはいえ、本当にミルイヒが言うように二人の関係は上司と部下というだけなのだろうか? 「それで、あなたが盗んだのはどれです?」 唐突にそう切り出され、ほかのことに気を取られていたビクトールはギクリと動きを止めた。 「なんっ…」 「何を驚いているんです。そんなことは誰もが知っているコトですよ」 あれだけひと騒動起こしておいて、気づかないわけないでしょう。 バカですか、あなたは。 『ど、どうりでここんところ周りの目が冷たいと思ったぜ』 どっと冷や汗が出そうになるのを感じながら、それでも負けるわけにはいかないとビクトールはミルイヒを正面から睨み返した。 もしかしなくても、ミルイヒは怒っているのだろうか。 だとすれば、探し物を手に入れるのは困難かもしれない。たとえそうだとしても…。 「ここには並んでねえヤツを探してる」 覚悟を決めて、彼は言葉を続けた。 「交換条件を言ってくれ」 * 青く、深い色の瓶。 ワインが入っているにしてはちょっと変わった形のそれを彼は抱えて廊下を足早に歩いていた。 『なんだったんだ?いったい』 貸し借りナシのタダで手に入った酒。 机の引き出しにしまわれていたこれをあっさり手渡された時には、彼自身、何が起きたのか信じられなかったくらいだ。罵られるか、かなりのリスクを負わされる覚悟をしていたというのに。 ただ、別れ際の相手の言葉が気になった。 『そうそう、これをわたしがあなたにあげたことは秘密にしておいてください』 添えられたのは意味ありげな視線と微笑み。 『これは餞別ですよ、ビクトールさん。これからのあなたの行動如何によっては死をもって償っていただくことになるかもしれませんから注意なさることです』 「クソッ」 死をもって償いってのはなんなんだよ!? 単なる脅しだと笑ってすますことができないからまた腹が立つ。 よくわからないが、ミルイヒに…いや、そもそもバレリアに関わったコト自体が大きな過ちだったとビクトールは心底悔やんでいた。 これはもうさっさと手を切ってしまうのが一番だ。 『とっととコイツを返して、全部きれいに片づけちまうにかぎるぜ』 けっこう苦労して…そう、精神的ストレスで倒れそうになるくらいには苦労して手に入れたのだ。 これなら文句はねえはずだ。 いや、文句なんて言わせてたまるかってんだ! 彼は手にした瓶を憎らしげに睨みつけ、鼻息も荒く床を蹴った。 NEXT ・ BACK |