人魚姫T-【4】
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 嵐の海は恐ろしさと不安をかき立てるものでした。
 それはテンガアールが今、たった一人でそんな海の中にいるから、ますますそう感じたのかもしれません。
 テンガアールはわき上がる不安を押さえつけながら、闇に目を凝らしました。
 ちょこまかと素早い動きで落ちてくる木ぎれを交わして海面に近づきます。
 少し大きめの人間らしい影を見つけるたびに泳ぎ寄って、おそるおそる触れてみましたがみんな、ぴくりとも動きませんでした。
『人間ってほんとになんて簡単に死んじゃうんだろ』
 今までなら、なんでもない事実として笑って言えた言葉だったかもしれません。
 でも、今のテンガアールはやるせない気持ちでそう思うのでした。
『一度、外に出て見たほうがいいかな…?』
 海面に顔を出して、船の様子を確かめてみようと身を翻した彼女の目に大きな樽のような影が映りました。
 ちょうど頭の真上。
 間に合わないと思いつつも、もう一度体をひねります。
 しかし、来るだろうと思っていた衝撃はなく−−−何かがテンガアールの腕に絡まりました。それはかなり重いらしく、泳ぎ去ろうとした彼女の動きを引き留めるほどでした。
「…!?」
 その腕に絡まっているのは…いえ、彼女の腕を掴んでいたのは紛れもなく五本の指でした。驚きにテンガアールは飛び退きそうになりましたが、腕にかかる重みに引かれて逆に前のめりになりました。
 ゆらゆらと揺れる短い髪が間近に迫ります。
 まるで怪物のような印象を受けましたが、どうやら体の大きな人間のようでした。
 しかも、掴んでくる力といったら指が腕に食い込むほどです。
「…って、生きてるってことだよね?」
 パニックになりそうな気持ちを抑えながら、次にどうしたらいいのかテンガアールは一所懸命考えます。
「ええと…そう!空気っ」
 海の上に出て、人間に空気を吸わせてやらなければなりません。
 その思いつきは間違っていませんでしたが、テンガアールの腕に下がった人間の体は重すぎて、とても彼女の力では上へ運び上げることができません。
 このままではせっかくまだ生きているというのに、すぐにでも死んでしまうことでしょう。
 自分の無力さが悔しくて、情けなくて、どうしていいのかわからなくて、テンガアールは涙がこぼれそうになりました。
 その時、聞き慣れた呼び声が響きました。
「テンガアールっ」
 闇間に浮かぶ鮮やかな赤い尾はお姉さん人魚のモノです。
「姉さん!?」
 いつも、いつでも困っている時には助けにきてくれる人。
 それをまったく期待していなかったと言えば、嘘になるでしょう。
「何をしているんだ!?テンガアール」
「この人間、まだ生きてるからっ」
『助けたい!』
 しかし、助けるにはお姉さん人魚の力を借りなければなりません。
 そんな厚かましくて無理なコトを言うことはテンガアールにもできませんでした。
「この人間を助けたいのか?」
 淡々とした声にびくりと体をすくめながら、テンガアールは頷きます。
「助けられるんなら、ぼくは……ぼくは助けたいんだ!姉さんっ」
「……そうか」
 闇に隠れた口元がふっと苦笑したかのように見えました。
 と、テンガアールの腕にかかっていた重みがいっきに軽くなりました。
 荒波を器用にかきわけながら、人間を抱えたお姉さん人魚はぐんぐん海面へと近づいていきます。
 そうして、たどり着いた海の上でテンガアールが見つけたのは、大きく半分に裂けた船の姿だったのです。
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