人魚姫U-【4】
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 嵐の海はいつのも穏やかさが嘘のように暗く、激しく荒れていました。
 が、そんなことなどバレリアにとってはなんでもないことでした。ためらうことなく波の渦をすりぬけながら、ただ一つの物を捜して闇に目を凝らします。
『テンガアール…』
 わき上がる不安は嵐のためではなく、ただ愛する妹がそばにいないからでした。
 妹が今、どんな危険な目にあっているのかと考えると胸が締め付けられるようです。
 海の上から落ちてくる人間の体を睨みつけるようにして見据えながら、バレリアはしなやかな動きでその下をくぐり抜けました。
『命は儚く、失いやすい』
 それは人間だけに限らないというコトを、テンガアールはわかっているだろうか。
 バレリアははやる気持ちを懸命に抑えながら、周囲に目を配ります。
『いたっ!』
「テンガアールっ」
 闇間に浮かぶ明るいオレンジ色のかけらは妹人魚の尾に違いありません。
 しかし、その近くでゆらぐ黒い影はなんなのか。
「姉さん!?」
 元気そうな声にバレリアは小さく安堵の息をつきつつも、眉をひそめました。
「何をしているんだ!?テンガアール」
 やたらと大きなその影はよく見ると−−−−人間のようでした。
「この人間、まだ生きてるからっ」
 勢い込んで言う妹人魚の様子にバレリアは軽く目をつむりました。
 すべてを聞かなくても、妹人魚が何を言いたいのかわかります。そして、放っておけばいいと言ったところで、やさしい妹がそれを承諾するわけがないこともわかっていました。
「この人間を助けたいのか?」
 諦め混じりに問いかけます。
「うん、助けられるんなら、ぼくは助けたい!」
 それは本当に妹人魚らしい言葉でした。
 自分達に関係のない、ただの人間。
 そんなもの、バレリアにはどうでもいいことでした。
 しかし、だからこそ、彼女は自分とは違う妹人魚の考えや想いを大切にしてやりたいと思うのです。
「……そうか」
『おまえがそう願うなら』
 バレリアは妹人魚の腕にぶら下がっている人間の体に腕を回して、力強く尾を翻しました。船の近くを避けて海の上へ。
 海面で踊る光がだんだん近づいてきます。
「くっ」
 たどり着いた海の上、抱えていた人間の顔を水の中から引き上げ、バレリアは鋭く舌打ちしました。
「くそっ!」
 海に落ちたその人間はどれほどの時間、溺れていたのか。その呼吸はすでに止まっていました。
『同じ死ぬなら、今じゃなく後で死ね!』
 妹の前の前で、こんな状況で死ぬんじゃないとバレリアは悪態をつかずにはいられませんでした。
『息を吹きかえらせるのは−−−−人工呼吸といったか?』
 魔女の家で読んだ人間の本を思い出しながら、一瞬、顔をしかめます。
 とはいえ、迷っている時間はありません。バレリアは冷たくなった唇に自分の唇を押し当てて、その胸の奥へと空気を送り込みました。何度も、何度も。
「姉さん……船が」
 すぐそばで妹人魚の声がしましたが、振り向いている間がありませんでした。
 この人間さえ助ければ妹とてそれで十分だろう、とバレリアが思っていたのも事実です。
 だから、まさか妹人魚がまたも自分の元を離れるとは考えていなかったのです。
「…………落ちた」
 聞こえるか、聞こえないかの呟き。
 それに水が跳ねる大きな音が被さりました。
「テンガアール!?」
 ほんのすぐそばにいたはずの妹人魚の頭が、離れた波間に見え隠れしています。
「姉さん!その人のことお願いっ」
 あっという間に遠ざかってゆく姿にバレリアはきつく唇を噛みました。
 妹人魚の向かう先には、大きく二つに裂けた船が見えます。
「行くなっ!!テンガアール」
『なんてことだ…』
 こうなっては、彼女が取る道は決まっていました。
 助ける意味のなくなった人間から、その体を支えていた手を引き抜きます。支えを失った人間の体が深い海の中へと沈んでいる様には見向きもしません。
『早く連れ戻さなければ』
 たとえ、テンガアールが拒んだとしても、もうこれ以上は許すわけにはいかない。
 強い決意を秘め、身を翻そうとしたバレリアはしかし、思いがけない力に動きを阻まれて目を見開きました。
「なにが−−−!?」
 腰の辺りに奇妙な重みがかかり、尾を大きく動かすことができなかったのです。
 そして、その時、彼女の腰に絡みついていたのは−−−彼女が海に捨てたはずの人間の、腕だったのでした。

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