『占いの館』というのは一種の相談所でもあるかもしれない、と彼女は常々思っていた。
 客の大半が恋や人生に対する悩みや迷いの答えを求めてやってくる。
 そんな風に訪れる人々の様子は期待や不安でどこか落ち着きがなかったり、またはひどく意気消沈していたりといった感じではあったが。
 激情に流されるまま涙をぼろぼろこぼして店に飛び込んでくるというのは開店以来、初めての出来事だった。
「ど、どうしたの…?レスキュー」
 ずいぶん急いで走ってきたのか、金髪の少女の息は荒い。
 いつも綺麗に梳かれている髪も乱れてひどい有り様だったが、スカートをギュッと掴んで仁王立ちになった少女は怯むことなく涙に濡れた目できつくアンティを見返して…いや、睨みつけていた。
 そんな風にどこか切羽詰まった様子の少女は何かを堪えるように一度唇を噛み、そして、口を開いた。
「ア、アンティさんっ……お、ねがいっ、がっ」
 嗚咽に途切れがちの声はなかなか言葉にならない。
 それでも懸命に言葉を続けようとした少女はどうにも声すら出せなくなって、その大きな両の目に新たな涙を溢れさせた。
「レスキュー?」
 戸惑うアンティの前で、少女はこらえきれなくなったように両手で顔を覆った。
 そうして、力尽きたようにぺたりと地面に座り込むと、少女はまるで幼い子供のように声を上げて泣き始めたのだった。 


 ヒーローたる者は己の信念のためなら死をも厭わない。
 …という言葉は、実に自分のような者にこそ相応しい言葉だと彼は常々思っていた。
 ”己の信念”というのが男気を感じさせてまたカッコイイではないか。
 ”死を怖れない”というのもいい。

 しかし。

 死など怖くないし、すべては自分の信念に基づいた行動の結果とわかっていても。
 いくらなんでもこんな状況で最期を迎えるのはイヤだっと彼は思った。

 そんな彼の視界に映るのは雪のように舞い飛ぶ無数の白い羽根。
 所々に他の色の羽根も混じれば、長い孔雀の羽根なんてものまでちらりと過ぎる。.
 そのおびただしい数の羽根は見ているだけでも息が詰まりそうだというのに、騒音としか呼べない鳥たちの鳴き声に彼は意識が遠のきそうになった。
 仮に。
 そこが動物園かバードパークだったなら、彼もなんとも思わなかっただろう。
 しかし、実のところ、バサバサとこれまた無数の鳥が飛び交う背景には精緻なコンピューター機器がずらりと並んでいたし、七色まだら模様のキウイが長い嘴で彼の足をつついて跳び越え、白黒の鳩が赤い嘴でポーと鳴いている床はスイッチひとつで客間にも会議室にもなる多機能付きの優れたシロモノだった。
 そこは常に静寂と沈黙が好まれる場所。
 ”研究室”という呼び名がこれ以上ないくらい相応しい部屋…だったハズで。
『な、なぜこんなことに…?』
 何かのデータを取るために試しに研究室をバードパークにした、というのはジョークにもならない戯言だった。こんな騒々しさを部屋の主が許すハズなどないのだから。
 どうやら、これは鳥系の収集データが壊れたせいで収納されていたデータが形状化した結果…らしいコトはわかったが『なぜ』そうなったかがわからない。
『不注意なんてわけ…あるハズないよな』
 あの冷徹で慎重で正確無比のヤツにかぎって。
『わからんな』
 とことんわからなかった。が。
『と、とにかくここを出よう!』
 外から破られた形跡などなかったのにロックすらされていなかった入り口。
 それが指し示すのは部屋の主がまだここに…この中にいるというコトに他ならない。
 あの潔癖性の塊のようなヤツがこの中でいったいどんな精神状態でいるか?なんて考えるだけでもオソロシイ。
『絶対!八つ当たりされるに決まってるっ』
 悲しいことにこの手の予想が外れたコトはまずない。
 だから、命があるうちに逃げ出すというのは正しい選択だった。

 でも。

 ここで逃げ出して。
 これ以上の時間が経ってしまったなら。
 今、自分の中にあるこの決意はどうなってしまうだろう?

 すべてが元の黙阿弥になってしまうのではないかと。
 そのことへの不安が、辛うじて恐怖に勝った。
 大きく響く鼓動はどくんどくん、というどころか、ドッドッドッと何かの拍子に口から心臓が飛び出しそうな勢いで続く。
 しかし、彼はそれを堪えて足を踏ん張りなおした。
『これくらい大丈夫だ』
 彼女をこれ以上苦しめ、嫌われるコトへの恐ろしさに比べれば。
 何がダイジョウブなのか、なんて本当はよくわかっていなかったかもしれない。
 それでも。
 都合の良いその言葉を何度も胸の内で繰り返しながら呼吸を整え、部屋の主の名を呼ぶために口を開きかけたその時、
「なにしに来たんですか?コントロル」
「…ッ!?」
 まさしく、背後から、ほんのすぐ耳元で聞こえた声にコントロルは文字通り飛び上がった。
 反射的に発動した加速能力で飛び込んだのは、舞い飛ぶ羽根のど真ん中。
 一息に小さな羽毛をいくつも吸い込み、激しく咳き込む。
「バカですね」
「げほっ…ぐっ…」
 反論する余裕もなく、あまりの苦しさに前屈みになって喉を押さえる彼の耳に小さな電子音が聞こえた。それが入り口の防御ロックを作動させる音と気づいて慌てて顔を上げる。
「ウ、ウィルス…?」
 羽毛越しに静かにたたずむ男の姿が見えた。
 サイバースコープの向こうに隠された感情を読みとることができないのはいつものコト。
 しかしながら、その顔がいつにも増して青白く、生気に乏しく見えるのは気のせいだろうか?
「そ、その…ダイジョウブ、か…?」
 愚かすぎる問いのような気がした。
 気がしたが、この状況ではそれしか言う言葉が思いつかなかったのだ。
 案の定、
「バカなコトを言っていると消去しますよ」
 不機嫌極まりない様子でフンと鼻を鳴らしたウィルスは冷たい声音でそう返してきた。
 そのまま壁のパネルにはめ込まれたキーを叩く彼の口元に浮かぶ薄笑いが、コントロルにはやけに不気味に見えた。
「これでもうここから出るのは不可能です」
 ニヤリ…という効果音が最も適切と思われる笑み。
「…ッ」
 コムネットの貴重なデータを収納しているこの場所を守るために作られた特殊な防護プログラム。最高5重に組み上げられたそれは防御壁の内外に等しく作用し、その頑丈さと鉄壁さはコントロルもよく知っていた。
 散乱した研究室に。
 いつもとほとんど同じように見えて(たぶんきっと!)内心では怒り狂っているだろう冷血漢が一人。
 それは泣きたくなるような状況であった。
「よりにもよってこんな時に来るとは本当にあなたも運がない人ですねえ」
 呪われそうな呟きに、コントロルは思わずありもしない退路を探してしまう。
 せっかくの決意と勇気は既に大きく揺らぎかけていた。
『うう…』
 この状況でこんな相手に頼み事なんて、殺してくださいと言うようなものだろう。
 そうでなくても、今まさに非道い目に遭わされそうだというのに。
「ウ、ウィルス…冷静に話し合おう」
 ウィルスは全身で身構えるコントロルをあざ笑うように唇の端を上げた。
 白い羽根の舞う中にありながら、その様はまるで悪魔のようだとコントロルは思う。
 しかも、告げられた言葉はまさに悪魔の囁きにも似て…
「あなたに最後のチャンスをあげましょう」
「チャンス…?」
 さ、最後の?
『どういう意味だ?』
 戸惑う彼の目の前で、ウィルスは近くを飛びすぎようとしていた鳥を無造作な仕草で鷲掴みにして捕らえた。
 それは黄色の羽根が愛らしいツバメ。
「もうこれ以上、あなたがたに付き合う気は毛頭ありませんから」
 突き放すように言うと同時に彼は手に力を込める。
 驚くほどにあっけなく手の中で握り潰された小鳥の羽根が宙に舞った。


 白地に赤い花模様が大きく焼き付けられたマグカップ。
 大きめのそれを両手で包み込むようにして見下ろしていたアンティは意外な話を聞いたというように顔を上げた。
「まあ、そんなことしたの?」
 思わずこぼれた声には呆れが混じる。
 すると小さなテーブルを挟んで向かいに座っていた少女はムッとしたように眉を上げた。
「あれくらい、当然の報いですっ」
 きつい口調で堂々と言いきる。
 そのわりにはようやく乾き始めた目元に再びうっすらと涙の影が戻ってきていた。
 それを隠すように、誤魔化すように少女は花柄のマグカップに注がれたホットミルクに口をつけた。
『当然…ねえ』
 本当に困った子ね、とアンティは思いながら、目の前の少女を見つめた。
 同じようにコムネットの世界を守るために作られたプログラムソフト。
 なのに、性格も考え方も自分たちはまったく違う。
 それは互いで不足している部分を補い合えるという利点を持っていたが、なぜ、完璧なひとつのカタチを作ってそれを複製しなかったのかという疑問も残る。
 ココロを持つプログラムソフト。
 その製作がまだ試みの段階でしかないためなのか、それとも他に理由があるというのだろうか?
「だってだってっ!ウィルスさんってば意地悪じゃないですか!」
 個人的な感情で言葉を選ぶ少女にアンティは「そうかしら?」と静かな反論を返した。
 ひととおりの事情を聞き出した今となっては、少女の言葉にただ同意して済ませるわけにはいかない気がした。
 だから、少女が見落とした…いや、認めたがらない事柄をほのめかしてみる。
「確かに素直な性格とは言えないけど、あなたが意地悪をされたと感じるなら、そうされるだけのコトをあなたが彼にしたのではなくて?」
「それはっ…」
「彼は元からああいう性格で自分から好きであんな生き方をしているのよ?」
 カップの中の白い液体を見つめ、少女はきつく唇を噛んだ。
「そんなの、わかってます…」
 いつも明るさをはらんだ声が震え、秘やかに応える。
「でも…だから!いけないっていうんですか?わたしがウィルスさんにもっとお休みをとって休んでほしいと思ったり、何か食べてちゃんとおいしいとか、幸せだとか感じてほしいって思うのはそんなに…そんなにいけない、こと?」
「それは…」
 いけないこと、ではないとアンティは思った。
 それはごく普通の…現実世界の人間にとっては当たり前に必要とされるモノ。
 ただ、それがコムネットという仮想世界に住む住人にも本当に必要なのだろうか?
「少なくとも、彼…ウィルスにとっては余計なお世話というところなんでしょうね」
「…………」
「レスキュー、プログラムの保護や防御を重視するあなたが私たちの”健康”に気を配るのはわかるわ。でもあまり不必要な干渉は…」
 諭すような言葉を遮るようにガタン、と椅子を引く音が響く。
「アンティさんはっ…」
 立ち上がった少女は涙の浮かんだ目でアンティをキッと見返した。
「アンティさんはウィルスさんと同じコトしか言わないんですねっ」
「レスキュー…?」
「やっぱり…アンティさんもウィルスさんの方が正しいって思ってるんですか?」
 問いかける語尾が揺れていた。
 にも関わらず、揺るぎなく自分を見据えてくるその強くて熱い思いを秘めた眼差しにアンティは一瞬気圧され、言葉を失う。
『正しい?』
 何が正しくて、何が過ちなのか。
 自分自身のことですら、確かに判断することができないというのに。
「どちらが正しいのかなんてわからないけれど…」
 そう、正しさの基準なんて自分には見極められない。
 自分にできることは、より正しいと思える方を選び取るだけ。
「私はウィルスの判断も仕方がないコトだと思うわ」
 少女の気持ちを傷つけた、と思った。
 せっかく泣きやんだ少女に、今度は自分の無情な言葉が新たな涙を流させるのだ。
 そう思いながら、どんな罵倒も受ける覚悟でいたアンティに、しかし、少女は意外にも静かな声で応えた。
「わかりました。もう…いいです」
「レス…」
「占ってください」
 きゅっと握りしめた手を震わせながら、
「もし、わたしがウィルスさんのことを忘れるコトでウィルスさんが幸せになるなら…」
 囁くように言って、少女は涙のこぼれ落ちる顔に笑顔を浮かべた。
「わたし、ウィルスさんのこと、全部忘れますから」
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