目の前に置かれた水晶玉。
 透き通ったそれの表面に薄く映り込む自分を見つめ、アンティはわずかに眉根を寄せた。
 彼女の未来予測という能力は、往々にして重要な選択が迫られた時に必要とされてきた。それに答えを出すのは彼女の義務であり、存在理由。
 選択すると同時にある種の責任を負うコトも必然。
『私の答えが一つの未来を決める』
 自分はただ予測した結果を言っただけだと、すべてを割り切れるほど彼女は無責任にはなれなかった。

 そして、今。
 
 目の前で涙をこぼす少女の姿に。
 言いようのない苛立ちを覚えながら、アンティはため息をついた。
「あなたまで私の”言葉”で未来を決めようと言うの?」
 強い口調に責める響きが混じる。
 それが相手にとって理不尽な対応である、という自覚は十二分にあった。
「自分自身の問題でしょう?結果次第で…レスキュー、あなたの”未来”が変わるなんて責任重大なコトを私に頼るなんてやめてちょうだい。何かあったら私のせい、みたいで気分が悪いわ」
 冷たく、突き放すように言う。
 それに返る反応は、アンティが予測したとおりのものだった。
 どうしてそんなコトを言われるのかわからない、というように大きな瞳を見開いて。
 それから、今までとはまた違う新しい涙をその目いっぱいに浮かべて少女は唇を震わせた。
「ひ、ひどいですっ!アンティさん。わたし、そんなつもりじゃ…」
「つもりじゃなくても、結果的にはそうなの」
「…………っ」
「迷惑なのよ」
 未来予測の能力を持ったプログラムソフト。
 求められた結果は、選び取る”未来”を確定するための要素になる。
 求められるのが当たり前であり、それに応えるのが当たり前すぎて、アンティが『拒絶』するコトなど誰も予想などしなかっただろう。
 呆然とアンティを見つめていた少女の目から、涙が頬を伝わり落ちた。
 そして、嗚咽をこらえるように口元を押さえた少女はアンティに背を向け、館の外へと走り出て行った。
 それは至極当然の、能力を使うまでもなくわかっていた結果。
 アンティは開け放たれたままの入り口に立ち、遠ざかる少女の姿が視界から消えるまで見送ってから扉を閉めた。
「私ってばホントに嫌な女」
 冷たい扉に額をくっつけ、呟くように言う。
 胸の辺りがひどく苦しかった。

『もし、わたしがウィルスさんのことを忘れるコトでウィルスさんが幸せになるなら…
 わたし、ウィルスさんのこと、全部忘れますから』

 耳に残るその言葉を打ち消すように、アンティはぎゅっと目を瞑った。
 自分にとって邪魔な存在である少女に対してウィルスが突き付けた未来。
 それは彼に関する記憶(データ)をすべて消し、少女の中にある彼自身への関心までも排除しようというモノだった。
 しかし、そんな提案にココロを乱した少女は助言を求めてアンティの元にやってきた。
 なんて重い責任のかかってくる問題だろうと思う。
 少女へ告げた言葉はアンティにとってまさに本心であったが、わざわざそうと告げて傷つけたのにはまた別の理由があった。

 もし。

 あるデータを消去することで、自分たちがプログラムソフトとしての役割をスムーズにこなすことができるのなら。
 それは、歓迎されるべき選択ではないだろうか。
 アンティは思考の冷静な部分でそう理解していた。
 そして、自分の未来予測の能力がそういう答えを弾き出すような気も、した。

『そう、それはきっとプログラムソフトである私たちにとって”正しい”未来』
 
 規定とか規格とか、そういった基準を考えれば『正しい』コトにちがいなかった。
 でも、確かに。
 ココロのどこかでそれを否定する自分がいた。
 本当は少女にもそんな未来を選び取ってほしくはないと感じていた。
 だから。
『そんな未来を呼び込む予測をするのが…怖かった』
 そう、怖かったのだ。
 わざと突き放し、少女を自分から遠ざけるほどに。
『なんてことかしら…』
 アンティは静かに息を吐き、目を開けた。
『このままじゃダメ』
 そう思うのはプログラムソフトとしての義務感だろうか。
 彼女は一度は閉めた扉をもう一度開き、館の外へと足を踏み出した。
 向かう先は決まっていた。
 その行為が正しいのか、誤りなのか、なんてわからない。
 それでも、アンティは今度こそ何か答えを得られるような、ふとそんな気がした。


 何か、やわらかいものが頬を撫でる気配があった。
 ふわりとかすかに通り過ぎる。
 その何かが鳥の羽だと気づくのに数秒のタイムロスがあった。
 そして、やや遅れて彼は自分が身動きすらとれない状況にあるコトに気づいた。

『あなたに最後のチャンスをあげましょう』

 それは常に冷徹な男が告げた珍しい言葉。

『あなたの願いをひとつ、私がかなえてあげます。コントロル』

 黄色の羽根を手にまとわりつかせたまま言うその姿に、コントロルは思わず契約を求める悪魔の姿を連想していた。
 ”無償”や”慈悲”といった言葉とはほど遠い意識を持つ相手と知るからこそ、警戒せずにはいられない。

 しかし。

 目の前にいる相手ほど、自分の願いを叶えてくれるだろう存在はないことも彼は知っていた。だから、かすれそうになる声で問いかける。
「その代償はなんだ?ウィルス」
 ここで『魂』とでも言われたなら、彼はウィルスが悪魔であるコトを信じただろう。
 が、挑発的な薄い笑みを浮かべたウィルスは両手を広げて、彼自身の研究室を示した。
「この部屋に散らばったデータを残らずすべて集めてください」
 あなたなら簡単でしょう?
 そう言って、またも無造作な仕草でそばにいた鳥を掴む。
「こうして…」
 と力の込められた手の中で握りつぶされた…と思った鳥は、姿を消した代わりに指先ほどの大きさをした結晶体となってそこにあった。
 改めて気づけば、ウィルスの骨張った細い手は白い手袋に包まれている。
 その手袋を脱ぎながら、「簡易圧縮装置です」と言うウィルス。
 それは確かに効率的だろうが、見た目の残酷さが開発者の性格を感じさせるシロモノだとシンクロは思った。
 でも、これならなんとかクリアできそうな条件である。
 話に裏はないかと真剣に考えながら、
「本当に願いを叶えてくれるのか?」
 とサイバースコープに隠された目を真正面から見返して問う。
 いつものことであるが、「ええ」と答える相手の声はひどく素っ気なく聞こえた。
「なんでも?」
「私にできることなら」
「じゃあ…」
 俺の願いはひとつ。
 決意を込めた声が震えそうになるのをコントロルは懸命にこらえ、言葉を続けた。

「俺のなかにあるアンティに関するデータを消してほしい」

 それこそが、今望める最良の手段にちがいなかった。
 これ以上、アンティを追い求め、彼女を苦しめるコトのないように。
 記憶も想いもすべて消してしまえばいい。
 そして、今度はただの仲間としてもう一度、あるべき関係を作り出せばいい。
 同じコレクターの仲間や犬養博士には到底、言えない願い。
 だからこそ、勇気を振り絞って訪れた相手は、
「構いませんよ。キレイさっぱり未練など残らないように消去してあげましょう」
 そんな風にあっさり答えて、白い手袋を差し出した。

 ただ。

 コントロルは知らなかったのだ。壊れたディスクが『珍妙な鳥1〜100』だけでなく、『無害な昆虫1〜1000』もあったということに。
 収集の途中で力尽き、意識が途切れたところまでを彼は覚えている。
 そして、ようやく意識を取り戻した今、彼は未だ全身に力が入らない自分の状態に気づいた。腕を動かすことも、まぶたを開けて周囲を確かめることすらできない。
 だから、感じるのは闇と静寂だけ。
 倒れた後に残ったデータがどうなったのか、とか。
 ウィルスはどうしたのか、とか。
 自分はどうなってるのか(きっと床に転がされたままだろう)とか、いくつか気になるコトはあったが。
『そんなに都合良くはいかないか』
 いまだ処理されていない記憶の存在に、コントロルはため息をつきたい気分だった。
 ちょうどその時、何かが、耳に聞こえた気がした。
『…?』
 かすかに聞こえるそれは…声?
 徐々に大きく、近づいてくるそれに彼は思わず息を詰めた。

「いったいあなたは何をしたのっ?」
「答えなければいけませんか?」
「ウィルスッ」

 聞き間違えるコトのない声は今、一番聞きたくなくて…でも、それでもやはり叶うならいつまでも聞いていたい声だった。
 勢いよく刻まれる靴音が声といっしょにまっすぐ自分の方へと向かってやってくる。
 それはその場から逃げ出したい衝動にかられる出来事だった。

「どういうコトなのかきちんと説明してもらいましょうか?」

 責める響きを持つ言葉に、コントロルの方が肝が冷える思いがした。
 そして、無情なウィルスが何をどう話すか考えただけで気が狂いそうになる。
『彼女はどう思うだろう?』
 絶望的な想いに捕らわれながら、コントロルはウィルスの言葉を思い出していた。
 両手に鳥を抱えて集めていたコントロルに彼は言ったのだ。

『ところで、アンティに自分の気持ちはうち明けたんでしょうね?』

 と。それに対してコントロルは短く、『言う前に玉砕した』と答えた。
 この時、ウィルスは何を考えていただろう?

『それではいつか後悔する時がくるかもしれませんね』

 意味ありげに薄く笑って告げられた言葉。
 その時はきちんと理解できているつもりだった。
 いつか、言わずに消した気持ちを後悔する時があるかもしれない、と。
 だが、すべてを消した後にまでそんなコトを感じる『いつか』などないと思ったのだ。
 
 胸がどくん、と鳴る。

 何かとてつもないコトが起こりそうな予感に、コントロルの胸はざわめいた。
 back next