いつになく厳重に防御ロックされた分厚い扉を見つめ、アンティは一つ深呼吸した。
 たびたび訪れ来慣れた場所でありながら、言い知れない圧迫感を感じる。
 この扉の向こうに、自分が求める答えの『鍵』を知るだろう人物がいるのだ。
 そう思うと胸がドキドキして、そして、やはり少し怖くて…。
 彼女は震えそうになる指先をこらえるように力を込めて訪問のチャイムを鳴らした。
 いつもなら勝手にロックを解除するところだが、今回ばかりはそうしない。
「アンティよ。入れてもらえるかしら?」
 通常、すぐさま開かれるはずの扉も、この時は少々勝手が違っていた。
「2秒間、扉を開放します。その間に滑り込んでください」
 スピーカーの向こうからごく事務的に告げられた内容に、彼女は思わず眉を寄せた。
 無理な注文ではないが、それは普段では考えられない要求だった。
 それでも、その理由に心当たりがあったから、素直に指示に従う。
 理不尽さを感じるよりも、内部はそんなにひどい惨状なのかという危惧の方が勝った。
 しかし、そんな予想をしていながらも、半ば飛び込むようにして一歩室内に踏み込んだ彼女はその瞬間、息を呑んだ。
『すごいわね…』
 辺り一面、床と言わず壁と言わず散らばった鳥の羽。
 まさかそこが最先端の情報処理施設の一つだとは到底思えない有り様に、アンティは呆気にとられた。所々無機質な金属部分が見え隠れしているものの、ここは鳥小屋なんだと言われた方がまだしっくりしたはずだ。
 感情まかせにこの場所を飛び出した少女が、その時、いくつかデータファイルを壊したと聞き知っていた彼女ですら驚かずにはいられない。
『いったい何羽くらいいたのかしら…?』
 壊れたファイルが鳥類に関するモノだとはすぐに予想がつく。
 それでも靴の爪先が埋まるくらいの羽根というのはやはりスゴイことだった。
「ウィルス、どこなの?」
 話をするより先に、片付けを手伝う方が先決かしら?
 このまま羽を散らして進むのも気が引けて、視線を巡らせるアンティに応えるようにデータ室の方から白手袋に包まれた片手が突き出された。
「ちょっと待ってください」
 そんなかすれ声がしたかと思うと、片手に続いてウィルスがデータ室から現れた。
「!!」
 全身に鳥の羽がまとわりつかせたウィルスの姿は『スゴイ』の一言に尽きた。
 髪は乱れ、服もどこかよれて見える。なにより綿ぼこりかゴミのようにくっついた羽が、彼の潔癖然と整えられていたいつもの姿を見事にうち崩していた。
 そんな相手の意外な様子に、それまで抱えていた重い気持ちもなんのその、アンティは小さく吹きだしていた。
「私も手伝いましょうか?ウィルス」
 サイバースコープの下に隠された感情はいつもどおり彼女にも読みとれない。
 それでも、意外なことにウィルスはさほど怒ってるようには感じられなかった。そう、不機嫌そうにきつく寄せられた眉も、「けっこうですよ」と言うひどく素っ気ない声もいつもと何も変わらない。
「既に別の方が手伝ってくれましたから。9割方は捕獲済みです」
 無造作に服をはたく横からアンティも手を伸ばして、ウィルスの髪についた羽根を取り除く。
「別の…?」
 見たところ、この研究室に他に人がいるようには思えなかった。
 それでも。
「コントロルですよ」
 ウィルスの短い言葉に彼女はギクリとする。
「コントロルが…来てるの?」
 動揺を表に出さないようにと思っても、自然と固くなる声。
 しかし、ウィルスがそんな彼女を気にする様子はなく、彼はただ神経質そうな指先で袖口に付いた羽毛を払った。
「ええ、まあ。…どこかその辺に転がってるんじゃないですか?」
「!?…ど、どこかって」
 転がってる!?
 それがどういう意味なのか、アンティでもすぐには理解できない。
 億劫そうに視線を巡らせたウィルスが「ああ…」と呟き、
「あそこにいますよ」
 と顎で示され、息が止まりそうになる。
『あそこって…』
 文字通り、ほんのすぐ近くを示唆する言葉。
 それはつまり、つい先程、自分がひどい言葉を告げたばかりの相手がすぐそこにいるというコトにほかならなくて。
 罪悪感と共にひどい後ろめたさが押し寄せてくるようだった。
 逃げ出したい、と正直に思う。
 それでも、なんとかそれをこらえてみせるのは、自分の選択が間違ってはいなかったと証明したいから。
 だから、平静を装い、顔を向ける。
 そして…。
「−ッ」
 彼女は思わず絶句した。
 床一面にまるで絨毯のように敷き詰められた鳥の羽。
 部屋の隅でそれに埋もれるようにして、仰向けに倒れているのは紛れもなく…
『コントロル!?』
 まるで壊れた人形のようにぴくりとも動かない姿に、愕然とする。
 次、会った時はどんな顔をすればいいのか、とか。
 ちゃんとこれまでどおりに接するコトができるだろうか、とか。
 そんな心配事もコントロルを見た瞬間、頭の中から吹き飛んでいた。
 敵との戦いの中で傷つき、倒れることはよくある。
 それでも、こんなに…まるで死んでしまったかのような沈黙の中で目を閉ざしたままのコントロルの姿を見るのは初めてで。
 いつも騒々しい彼には決して似合わない静けさに、アンティは言い知れない不安を抱いた。刻まれる靴音と競い合うようにして聞こえる胸の鼓動に、気分が悪くなる。
「いったいあなたは何をしたのっ?」
 コントロルはただ倒れているだけなのだと、たいしたコトはないのだと思おうとしてもナゼか上手くいかなかった。
『私はどうしてこんなに動揺しているの?』
 その事自体が彼女の中で更なる動揺と混乱を招く。
「答えなければいけませんか?」
 意味ありげに暗い笑みを浮かべるウィルスの姿に、加わるのは不吉な予感。
 相手がそうと、わざと演出してるのだと解っていてもアンティは自分の中にある感情の乱れを押さえることができなかった。
「ウィルスッ」
 声が責める響きを伴う。
 それでも、動じることのないウィルスは研究者特有のどこか事態を面白がるような様子でアンティを見ていた。
 それは彼の性質上、いつものコトと理解していても今回ばかりは苛立ちを覚えた。
「どういうコトなのかきちんと説明してもらいましょうか?」
 目を閉じたコントロルは本当に静かだった。
 人間ならば『気絶』という状況で、それでも、アンティがそこに感じたのは『機能停止』という言葉だった。
 そして、そう、自分たちは人間ではナイという事実が頭の隅に引っかかる。
 『カラダ』も『ココロ』も『イノチ』ですら容易く消去できる存在なのだと、ふいに思い知らされる時があった。
 そんな当たり前のコトに時々、ゾクリと悪寒を感じる。
 アンティは素早くコントロルの傍らに跪き、無事を確かめるために手を伸ばした。
 しかし…。
「おや、確認、しないのですか?」
 相手へと触れる寸前で止まった指先に、彼女はきゅっと唇を噛みしめた。
 コントロルの体を揺すって、その無事を確かめたかった。
 でも。
 意識を取り戻した彼の目に映る自分を見るのも…怖かった。
「アンティ」
 抑揚のない低い声が彼女の名を呼ぶ。
 それに対して、彼女は顔を上げることもできなかった。
 自分がこれまでと違い、どこか変調をきたしているのはわかっているつもりだった。
 それでも、そんな自分の様子を冷静な研究者である男がどんな風に観ているのか、知るのは怖かった。
『怖いものだらけね…』
 未来予測の能力を持つ者が、なんてことかしら…と思う。
 先へ続く道を選び取るための能力を持ちながら、前に進むのではなく、その場で尻込みばかりしている。
「ウィルス…?」
 相手に触れることすら躊躇うアンティの手を、近づいてきたウィルスが掴んだ。
 そして、怪訝に見上げる彼女を立ち上がらせながら、
「どうせなら、このままにしておいてもらいましょうか。静かな方が作業がしやすくて助かります」
「作業…?」
 なんのことだか理解できないアンティに、
「あなたのデータを彼の中から消去するんですよ」
 薄い笑みを浮かべたウィルスはそんな言葉を口にしたのだった。
「なんですって…?」
 一瞬、アンティは思考回路がショートしたような錯覚を覚えた。
 しかし、ウィルスは動揺を隠しきれない彼女の様子すらきれいに無視して、なんでもないコトのように言葉を続ける。
「ええ、だから、コントロルの記録データからあなたに関するモノを消去するんですよ」
「…ッ」
 どうして?という問いがアンティの頭の中をぐるぐると駆けめぐる。
 でも。
 なんとなくではあったがその答えならわかるような気がして、アンティは不快な音を刻む胸を押さえた。
「どうしてか、とは聞かないんですか?アンティ」
「ウィ…」
「これはコントロルからの依頼です」
 無情に、容赦なく、淡々と告げられる言葉。
『なん、ですって…?』
 うそだ、と思いたかった。
 でも、ココロのどこかが『これもまた有り得た未来』だと囁く。
 もし、コントロルが自分に対する余計な干渉をなくしてくれたら、同じ仲間としてもっと上手くやっていけるのにと確かに感じていた。
 彼が自分を”ただ未来予測をするだけの仲間”と認識してくれたら、どんなに楽だろう。
 そうするために取れる手段は何?
 それを考えた時、コントロルの記憶データを消去するコトなど全然思いつきもしなかった…と言えばウソになるだろう。
 だから。
「良かったではないですか、アンティ」
 タイミング良く響いてきたウィルスの声に彼女はドキリとする。
「これでもうコントロルに付きまとわれ、あなたが不快な思いをするコトもなくなるでしょう」
 そう、なのかもしれない…と思う。
 こんなココロの惑いも感じなくてすむようになるのかもしれない。
 そして、それこそがコムネット世界を支えるプログラムソフトの自分があるべき状態に違いない。
「でも…」
「でも?」
 続かない言葉の先を求めるように、ウィルスは鋭く促す。
 しかし、アンティは何も答えることができなかった。
「何を迷うことがあるというんです?アンティ」
 迷う必要などまったくないでしょう、と言外に告げる声。
 それに対して、彼女の思考は肯定的だった。
 ウィルスの提示するモノこそ正しい選択肢なのだと理解していた。
 なのに、素直に頷くことができないのはただ、「イヤだ」と否定する『ココロ』の声が聞こえるせいだ。
「私はただ…」
 イヤだから、なんて何の根拠も持たない感情論…彼女の立場で言えるハズなかった。
 代わりにもっともらしい言葉を選んでみても、鋭い観察眼を持つウィルスならきっとそうと見抜いてしまうだろう。
「私、は…」
 言うべき言葉が見つからず、黙り込んでしまったアンティの様子にウィルスはやれやれというように肩をすくめた。
「思いのほか、往生際の悪い人ですね」
「…?」
 どういう意味?
 目で問う彼女の怪訝な思いも、やはりウィルスはきれいさっぱり無視してみせた。
 そして、床に転がるコントロルを見下ろし、言う。
「ちょうどいい機会です。実験をしてみませんか?」
「実験…?」
 アンティが思わず眉をしかめてしまったのは、『ウィルス』と『実験』の組み合わせにあまり良いイメージを持てなかったせいだ。
 それでも。
「上手くいけば、それですべてが片づくはずです」
 そんな魅惑的な言葉に、アンティは心惹かれずにはいられなかった。
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